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5/15、昨日は2か所目のセカンドオピニオンに夫婦で行きましたこの病院は過去通院、有名な「ザ・がん」の病院です夫は1人で行くと言いましたが、明らかに病状が悪くて黄疸、腹水、浮腫もあるため移動が心配5月初めの余命宣告時に受けた血液検査結果的に肝性脳症の可能性は低いと思われるが急激に症状悪化してるのでもしかすると…という私の懸念がありました子どもの預かり先も確保できたので一緒に行くことができたのが何よりです夫の歩く速度は遅く、歩くと呼吸が荒くなって話すこともでき
🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵そー言えば、2月でSQエアマイルゴールドの期限切れ....さよならゴールド😢のはずがまさかの復活😍更新するためのマイルが足りなかったはずなのに温情か?!と言う事で、遠慮なくANAラウンジサイコー😍朝からデザートまで頂きました。本当はカレーが食べたかったけど、おにぎり食べたらお腹がいっぱい@午前7時。👋👋👋👋👋👋👋👋👋👋👋👋👋👋👋👋
5/16金曜日、夕食後に飲んだ利尿剤によって眠れないほどトイレに行った夫は浮腫がだいぶ取れてすっきり寝不足でぼーっとしてますが、確実に足取りも心も軽くなりましたしかも翌週からの入院・手術も可能となり、できなくなったことを数える日々からかなり前向きな気持ちになれました5/16はラーメンを食べに行く予定でしたが、寝不足と前日の移動で疲れた夫の体調を考えて延期時間に余裕ができたので、私1人で市役所に行くことにしました入院時に必要な住民票を取得、(過去いろんな病院に入院し
余命宣告されてからの記憶が霞がかかったような状態ですやりたいことやらなければならないこと日常生活のこと考えて行動していかないといけないことがたくさんですこの時期、参観日や遠足など子どもたちが楽しみにしている行事も盛りだくさんなので忙しいです夫と散歩して、今後やりたいこと話して、病院からの電話や緩和ケア病棟や訪問診療の選定や予約でバタバタしてたら子どものお迎え(いつもと時間違う)忘れてて我ながらびっくりしました40歳以下なので介護保険適用外ケアマネさんがい
思うところがあり、5/21子どもたちに夫の病状を伝えました今まで自分の中でうまく整理がつかず、はっきりと伝えられていませんでしたとても悪い病気なこと今までは入院後すぐに元気になれたけど病気が今まで以上に悪さをしてることもしかすると死んでしまうかもしれないことでも少しでも元気になれるよう今入院してがんばっていることママはパパが元気に過ごせる病院(緩和ケア病棟)を探しているため、お迎えが遅いこと寂しい思いもあるだろうけど、子どもたちもがんばってくれていることへの感謝
2020年2月下旬、聞きたくない診断結果を聞きに大病院の口腔外科に行きました。この2週間、楽観視していたものの、ネットで調べるにつれ不安が増大し心臓の高鳴りがピークに・・・。医師に告げられた一言目、「腫瘍です、悪性です。」右下顎歯肉癌ステージ2T2N0MO腫瘍は筋肉層に達し、骨にも浸潤の疑いあり、リンパ節及び遠隔転移は無しという事でした。治療としては、手術一択のみ。それも大手術になると宣告されました。顎を骨ごと区域切除して腫瘍を摘出し、左手首の筋肉
余命3ヶ月の宣告からおかげさまで2ヶ月目に突入した現在、胆汁排出チューブのおかげで一時期より体調は良くなっていますしかし腫瘍による圧迫のためか食欲はあるのに量がほとんど食べれていません運動量も減ったために体重はかなり落ちてしまいましたベッドの上でできる筋トレやなるべく散歩をするようにしていますが体力低下は否めません前はこまめに小さなおにぎりや野菜スープを食べていたのですが、それも難しくなったためメイバランスで補うことも増えました昔はメイバランス全く飲めなかっ
今日夫はセカンドオピニオンに行きました2年前に腫瘍を取ってくれた先生です結果、いい話は聞けず「がんばって生きて」と言われたそうですなんかジブリのセリフでありましたよね思うところはありますが、切り替えて生ききるのみです夫と話していて、「日々の小さな目標を作ろう」ということになりましたここ数週間はほぼ毎日何かしら診察があるのですが、今週末は好きだったラーメンを食べに行きますあと参観日来週は子どもが楽しみにしている発表会もあります6月に入ると子どもの誕生日父親
先ほど本人から連絡があって手術は終わったとのことかなり複雑な手術となり、16時半開始予定で正確な終了時刻はわかりませんが先生曰く時間かかったらしいですしかも予定していたステント留置ではなくチューブを通したらしく、これで流れがよくなったら5/22木曜日にステント留置するそうとりあえず手術はできたのでよかったと思いたいですチューブがいい仕事をして夫が無事治療に向かえるよう願っています✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎夫が病院に到着後、入院ベッドに寝て
6/12訪問看護の際、チューブを入れたところに膿ができてることがわかりました痛みや発熱もなし、全身状態もよく食事も水も取れていましたが訪問診療の医師にも相談して主治医に連絡し、6/17に診察してもらうことになりました6/14には膿は消えましたがチューブの周りの赤みが広がっており、嫌な予感がありました一方で夫はとても元気で体も軽くて調子がいいと機嫌もよかったです確かに体の黄みも心なしか薄くなっていました「6/17の血液検査期待したいね」と話し、状態よく過ごして
2018年GWに卵巣がん3C腹膜播種手術1回と抗がん剤6回✖️2セット今3セット目がスタートしてしまったけど5年を超えても元気に暮らしていますもうダメなんじゃないかな、、、と思ってる人にぜひ元気になってほしい楽しく笑えるように過ごしてほしい!—————————————————こんにちは!とてもご無沙汰しています。2ヶ月ぶりかな。なんだかんだと色々あったけどでも私は元気です。相変わらず、夏休みに突入して日本の学校に通っている中2のいーくんのみ通学中
思うままに書きますが…夫の腫瘍は病理的に肉腫と判断されていないここ数年毎年手術したが腫瘍はすぐに増大したがん研含め、日本の最高峰と言われるいくつかの病院が病理検査を行っても悪性を疑うものは見つからなかった「除去してもすぐに増大する性質はがんと言えるが、病理的には良性腫瘍」「何かわからない」増大する以外に悪さをすることがないよう祈るしかなかった度重なる手術は体に負担がかかるので経過観察しかなかった投薬も考えたが、病理的に何かわからないので何の薬が効くかもわからず
余命宣告を受けて1ヶ月が経ちました怒涛の1ヶ月でした余命宣告されてから日々できないことがあっという間に増えていき、ただただ恐ろしかったです歩くこと、横になること、立ち上がること、いすに座ること、箸を持つこと昨日当たり前にできていたことが今日はもうできない6月を迎えることはできないのではないかと本当に思っていましたセカンドオピニオンに行く体力すらなく寝たきりの夫に「もうセカオピ行くのはやめよう」と言いましたが、あの時行って本当によかった今生きているのはセカ
5/21朝、夫から連絡がありました昨晩眠れず、睡眠導入剤を処方してもらったそうおかげでゆっくり休めたようですあと、今日は新たに処置(手術?)をするとのこと皮膚から針を刺して肝臓のつまりを拡張し、昨日のチューブに繋げることで黄疸数値の改善を見込んでいるそうですまた、黄疸数値改善後の抗がん剤治療の検討のため肝生検も予定昨晩の夫からの連絡で治療不可で退院することも想像していましたが、医師がまだ諦めずにいてくれることがありがたかったです夫の気力も少し戻ったように
『【子宮頚がん高度異形成】術前検査』『【子宮頚がん】手術説明』『【子宮頚がん】両親に報告』『【子宮頚がん】精密検査の結果』『【子宮頚がん】精密検査』『健康診断』『子宮頚がん検診の検査結果』『子宮…ameblo.jp2018年2月6日ー病理検査の結果ー『【子宮頸部円錐切除術】術後7日目〜母へ手料理〜』『【子宮頚がん高度異形成】術前検査』『【子宮頚がん】手術説明』『【子宮頚がん】両親に報告』『【子宮頚がん】精密検査の結果』『【子宮頚がん】精密検査』『健康診断…ameblo.jp術後18日目に
5月末から糸が切れたような感じです「自分は何をやってるんだろう」という思いが湧きますとにかく自分の無力感に苛まれますおそらくいろんなことがひと段落して緊張の糸が切れたのでしょう5月中旬からは交感神経が昂ってるのか頭が沸き上がって手が震えるように感じる時が多々ありましたそれでも待ったなしでやらないといけないことが目白押しでしたやれる準備はやったし、できることは継続して取り組んでると思います今は少し自分の気持ちに向き合ってもいいのかもしれません以前、「本当
夫、世界で10例ほどしか報告のないかなり珍しい肝臓の腫瘍があります。度重なる切除も効果なく、ずっと経過観察でした。その腫瘍ががん化するのは極めて稀だということでしたが、元々の腫瘍の性質に加え、ここ数ヶ月で肝臓数値が急激に悪くなり黄疸も出てきたため「肉腫」ということで治療を始めることになりました。この3年間、この謎の腫瘍と闘ってきましたが新たなフェーズに入ったと思い気持ちを新たに記録に残したいと思います。いつかこの経験を笑って過ごせる日が来ますように。
2020年3月24日、手術を2日後に控え、20:00頃病院1階のコンビニで立ち読みをしてた時のことです。本を取ろうと姿勢を屈めると、何か肛門に違和感が・・。便ではない、肛門内の組織の一部がニョロっと出て来てるような、なにか挟まっているようなこれって何歩くと痛い非常に不快場所が病院だけに、速攻で6階の病室に戻り、ナースーコール看護師さんに状況を説明し、恥ずかしい姿勢で恥ずかしい場所見てもらった所、「痔かな?」「先生(口腔外科医)呼んでくるね」って口腔外科
先ほど夫から今日の検査結果に対しての医師説明を受けたと連絡がありましたチューブを入れたことによる効果は今のところイマイチのようです他に方策がないか模索してくれるそうですが、肝臓が腫瘍に乗っ取られている可能性も高いので、改めて治療不可の判断が下される可能性もあるとのこと夫の体調もよくない様子なのも気になります神さまに祈ることはやめましたが、ただただうまくいくよう願うばかりです
この間、骨シンチとCTを撮りに行ってきてから、今はその結果待ち。(当日のことは後に書くかもしれないし書かないかもしれない)前回検査に出した細胞の詳しい結果と、撮影結果を来週聞きに行くことになってます。なんですが、実は初回マンモを取った時、腫瘍のあるのとは反対側の乳房に、石灰化があったと記憶してて。時間があるとネット...見ますよね。やめとけ。石灰化も初期のがんの可能性があるという情報を見てしまった。ほらね。石灰化とはいっても、怪しさすらない石灰化と怪しいとされる石灰化(要精密検査)
5/23朝、夫からLINEがありました胆汁も順調に排出されて経過良好とのこと後にわかりますが、ビリルビン値も入院後の最悪値が16だったのが、再処置後に大きく変化があり、この日は11あたりに下がっていましたLINEの文面からも元気な様子が伝わり、黄疸数値が下がったことで体の怠さも気にならなくなったとのこと夫婦でとても喜びました夫がんばったねととてもうれしかったですその後緩和ケア病棟の最後の予約面談に往復2時間近くかけて行き、家に帰ってみると夫が免許証を無くしていた
まずは「アメトピ」掲載ありがとうございます。物凄いアクセス数にビックリです2020年3月上旬、手術の詳細を聞きに妻と二人で病院に行きました。3月23日に入院、26日に手術が決定。口腔外科、整形外科、脳外科の編成チームによる全身麻酔化での11時間におよぶ大手術になる事が決定。手術内容は、①右上頸部郭清②右下顎区域切除術③腸骨、金属プレートで下顎骨再建④前腕皮弁再建⑤皮弁移植の際の血管縫合実際にCTでスキャンして製作した私の3Dモデル歯茎にできた腫瘍な
こんにちは~乳がん・三大治療無治療11年めのゆるりんですお越し頂いてありがとうございますこちらも変化があった時に更新しています。変化があったら色を変えています腫瘍は、左胸約4×3㎝&腋窩リンパ節に転移あり。左胸は、滲出液少し増えました、出血少々あり。乳輪の一部に皮膚潰瘍あり(直径約1.0㎝)。痛みなし、においなし。時々紫雲膏つけて手当しています。小さく切ったラップに、紫雲膏を多めにつけて、患部に貼り付けて放置しています。(母乳パット使用)2020年秋から丸山
みなさまこんばんは静岡市の病院の通院を終えて埼玉へ向かっているろびにゃです。採血のあとに甲状腺の超音波をやりました。血液の数値は全て正常だったので胸を撫で下ろしましたただ・・・甲状腺の超音波の所見が。先生「右の甲状腺が腫れているんです。ただ、膿疱しかありません。膿疱はふたつ。それがまず不思議です。」ろび「はい、痛いのは右の方です。膿疱だけだったのはホッとしました。」先生「左の甲状腺に腫瘍がふたつあります。とはいってもひとつは膿疱です。左に腫れが無いのが理解できずです。
ウルソを飲み始めたのが4/23水曜日夜から24日夜には尿の色がほぼ黄色に戻ってきたそう便の色はまだ白っぽいものの、26日朝には少し変化があったらしいウルソの胆汁への良い作用とビリルビンの排出が促され始めているんだと希望を持てた
あらゆる闇の残骸が洗い流された身体を見て思ったこと。私は「地球癌」を患っていたのだと言うこと。宇宙規模で見たらこのエネルギーは立派な癌でした。こんな悪性の腫瘍を持ちながら幸せゴッコなんて出来るはずもなく、何のご冗談をと言うのがスピリットとしての本音でございました。変なところだなぁと今も思っています。そもそも何の為にこんなに大量の負の遺産を搭載して生きていたのか。ここはそこまでしている価値がある場所なのか・・・。
2020年3月26日手術日当日改めて、この手術で行われる事。①下顎区域切除右8番から5番付近の歯と歯茎、顎の骨を区域切除し、癌を摘出。②頸部リンパ節郭清右側の首のリンパ節を切除摘出し、20個ほどのリンパ組織を生体検査。③遊離腸骨皮弁再建左手首から静脈ごと組織を摘出し、右顎に移植(脳外科による血管縫合あり)左骨盤の一部の骨を右顎に移植後、チタンプレートで補完。さらに左太腿の筋肉と皮膚を左手首に移植。顎の中心から耳にかけて大きく切開、左腕は肘近くまで切
手術の説明を聞いたのが2022年12月中旬。手術の日程について主治医と話し、もう年末だから年が明けてからにしようと決めた。手術の関する説明の時、初めて妻と一緒に病院に行った。主治医から現在の病状、手術の内容、合併症についてなどの説明を受けた。妻は少し動揺していたが、主治医の説明を一生懸命聞いてくれた。話を聞いた帰り道、妻とどんな話をしたかな。。あまり覚えていないが、多分大丈夫だろうという楽観的な気持ちと、何とも言えない不安が入り混じった今までにない感情だった気がする。。手術前日〜手
こんにちは。過去を振り返って書いてます。2021年3月11日手術が終わりA先生に言われたことをそのまま嫁さんに伝えた。私「手術は終わった……ただ腫瘍は全部取りきれへんかったわ」…………「覚醒下手術の時は次男もパニくったりせず受け答えは最後の最後までしたらしい。」「再発する可能性がめちゃくちゃあるから今後の放射線治療とか化学療法に期待するしかないって言われた」みたいな事を伝えた。嫁さんは取り乱す事なく「気をつけて帰ってきて」凄くショックだったんだが、落ちこんで
またもや死亡報告となってしまいますが、ながらく悪性腫瘍で闘病しておりました直くんが1/6に亡くなりました。5年5ヵ月と3日間のデグー生でした。重たい内容になります事と、患部や埋葬写真などがありますので、苦手な方は閲覧をお控えいただけますよう、宜しくお願いします。前半は思い出話を、後半は治療や症状の変遷について記述します。直くんは父トムと母ジェリーの間に出来た子で、2015年8月3日に生まれました。お父さんのように、真っ直ぐな気性の男の子に育ってほしいという願いを込めて、