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脳j血管性認知症は、狭義には以下のようにてう意義されている1回の脳梗塞や脳出血発作により認知機能障害を起こしたものとされている。しかし脳血管障害や外傷によって生じた脳の障害による、様々な機能障害は高次脳機能障害と呼ばれるようになった。この考えに従うと、上記定義による脳血管性認知症は、高次脳機能障害であり認知症と考えない方が良いと思われる。私は、前回記事にした血行動態的脳梗塞を繰り返すことが、進行性の脳の機能障害を起こし、パーキンソニズムと認知症が生じると考えている。私が認知症
母の部屋で眠れぬ夜を過ごす間少しづつ荷物を片付けている自分がいました。「今使わないものはまとめておこう」そう思って片付け始めると施設の部屋の中にあるものはもう使わないものばかりでした。母は退院してからずっとパジャマしか着ていなかったので洋服も全て「使わないもの」でしたが、夏服にはまだ手をつけず冬服はすべて畳んで、大きな紙袋につめていきました。私は洋服を一枚ずつ畳みながら母の最期に着る服を選んでいました。母が好きだった
『ごはんを食べるということ』それは「生きる源」であり、暮らしの上での「楽しみ」のひとつでもあります。母は元々「食べること」も「作ること」も大好き家ではテーブルいっぱいの手作り料理を並べていつも家族の帰りを待っていてくれたし、お寿司お餅おまんじゅう、、もつい最近までパクパク食べていました。(今考えるとちょっと恐ろしい、、笑)去年の11月に一緒に食べに行ったおすしもペロリ施設に入ってからも、「私、テーブルの中で一番最初に食べ終わるからヒマ
午前中、母がお世話になってる特養さんに母に逢いに伺いましたが、母、今日も起きてテレビを眺めてまして耳元で母に声掛けたら、1回だけチラッと私の顔を見てくれまして、残念ながら母看取り期に入っちゃいましたが母、私の声にも反応するので良かったですで、前にも書きましたが、今の母の居室、利用者さんのおトイレの前にあるのですが、母の面会中、何気無くおトイレの方に目をやるとなぜかおトイレのドアが全開でおじいちゃんが、紙パンツを下げて用を足してました勿論、視線をすぐ母に戻しましたが私としては用
医師の最後の診察が終わった後、母の部屋に残った私たち三人(私、旦那、息子)葬儀社への連絡は旦那に任せて私は親族への連絡をすることにしました。父が亡くなってから10年間富山の実家で一人暮らしをしていた母2019年3月に「もう1人暮らしを続けるのは難しいです」とケアマネから連絡があり私の住む関西に呼び寄せました。その時の様子はこちら↓『ケアマネさんからの長い電話』昨日の母に人生最悪と言われた日からのつづきです。ケアマネさんはゆっくり私を気
介護が始まる前、地域のボランティアを掛け持ちしていた。本当は公務員になりたかったのだけれど、運命の悪戯で主人と同じ会社に入社してしまった。根っからのボランティア好きで、娘たちの幼児サークルからずっと何らかの仕事を受けていた。娘たちが成人してしまうと、私に当てがわれたのは老人クラブのスタッフ。セッティングをしたり、レコードを並べたり、歌声喫茶や老人体操のお手伝いをする。その中で綾小路きみまろさんのDVDや、老人川柳を読み上げると物凄く盛り上がった。内心『それ、あなたの事ですから!』と毒
私が親戚へ連絡を取る傍らで主人は葬儀社へ電話を入れてくれていました母が亡くなったことの知らせと遺体搬送の依頼です。10日程前にネットで二つの葬儀社へ資料請求していた私2~3日後に届いたそのパンフレットは封を開けることもせず、家のソファの上にしばらく置きっぱなしになっていました。医師から「あと2・3日です」と言われた日に初めて中をパラパラと見たもののやはり読む気にはなれず、おおまかな費用と概要だけ主人に問い合わせをし
84歳の実母脳梗塞の手術直後から軽い認知症の気配が…私の母は…私の子供たちが…心配してしまうような…変なことを言ったりします。たとえば…『この家におったら、ストレス溜まるわぁ~』とか…『この家におったら、そのうち殺されるわ』こんな感じです…(^^;他人が聞いたら…『虐待されてる?』こんな風に…思うんじゃないかと…(^^;他にも…色々とありますけど…たとえば…今年の正月…東京在住の長男家族が…帰省してきたときのこ
母が亡くなってから、あっという間に二か月半が経過しました。やっと、一通りの届け出や手続きが終わった感じです。(まだ手続き中のものもあります)これからは、親が亡くなった後に次々訪れる葬儀・法要・届け出・相続などの手続きについて書いていきたいと思います。あくまでも私が行った順番ですが、・こうしたらスムーズに進んだ・もっとこうすればよかった・その時私がどう思ったか、、も含めて引き続き綴っていきたいと思います。親の死後
「明日、施設に行ったら、片目をつぶって欲しいんですよ」「えっ、どういうことですか?」健太は、高橋さんの言っていることが、すぐには理解できなかった。「君江さんの入所したグループホームは新設です。他の施設からベテランのスタッフも来ているでしょうが、新人スタッフも多いと思います。24時間交代勤務で緊張しながらの毎日です。慣れない仕事に戸惑ったり、ちょっとしたミスしたりすることもあると思うんです。でも、皆さん入所者さんの為に本当に一生懸命働いています。だから
午前中、特養さんにてお世話になってる母に今週初めて面会して参りましたー。母、起きてましたが、母の耳元で話し掛けても特に反応は無く、母の目の前に、母が好きな猫やらライオンのぬいぐるみを掲げて見せましたら、母、チラチラぬいぐるみを見てましたが今日はテレビついて無かったのでテレビをつけたら母テレビ画面はじっと見てまして、どうやらうちの母の場合私と面会するよりも、テレビの方が気になるようです😅で、母、前まで栄養補助の為とエンシュアHが1日二缶処方されてまして、ネット等で知り得た情報に
認知症のないグループホーム。そもそも、グループホームとは認知症の方のための施設です。大学院でこの講義を聞いたときはとても驚きました。認知症にはアルツハイマー型認知症、脳血管性認知症、レビー小体型認知症など様々ありますが、在宅生活が困難になることの一番の要因は、物忘れ自体にあるのではなく、それに伴う周辺症状にある場合が少なくありません。私の施設にも認知症の方がたくさんいますが、入居当初は激しい帰宅願望でスタッフを捕まえては「家に帰る」を繰り返す人が3
お蔭様で、昨日午前中入院中の病院さんより退院しましたが、私家で用事があったので母の退院には付き添え無いので母の入院先の病院さんの医事課さんの方に入院している母は午前中退院するが、入院費の支払いは午後でも大丈夫か電話でお訊きしましたら、それでも大丈夫だそうで、ご親切なことに電話対応頂いた医事課の事務員さんが入院費の概算をお教え頂けましたが、入院時に病院さんの方には母の入院保証金を支払ってるので、お金を持参しなくて良いとのことで、3月に2回入院した母の入院費はこんな感じになりましたー。
うちのご近所に、中3娘の幼稚園の同級生ママさんが働くコンビニが有るのですが、昨日久し振りにそちらのコンビニ寄りましたらたまたま娘の幼稚園同級生ママさん働かれてまして、多分1年以上振りに娘の同級生ママさんにお会いしましたが、今は特養さんにてお世話になっておりますうちの母が我が家で暮らしてた際、母がよく食べ物や飲み物やお酒買いに行ってましたので、娘の同級生ママさん、うちの母を私が在宅介護してた時代から知っておりまして、コンビニに買い物行った際にお会いすると、〇〇さん、そう言えばお母さ
現在、自宅で暮らしている要介護3の母。発症時のことを振り返ってみます。←前の話発症から1週間の母の様子脳出血で救急病院へ入院して数日。持ち物や書類など、入院手続きがひと段落。そこでようやく、母の病状にしっかり目を向けられるようになりました。これまでの母の様子はといえば……。1日目/意識が戻る(目を開ける)が話せない2日目/特に変わりなし3日目/話しかけるが、ほとんどの言葉がわかっていないような。「おはよう」「帰るね」は理解できたか?
施設の部屋で母を看取った後、身体をきれいに拭いてもらいお気に入りの洋服に着替えさせ母に化粧をしました。こちらからのつづきです↓『母旅立ちの直後~着替えと化粧~』母の呼吸が止まった後も私は母の手を握り、顔を見つめていました。「母は、私を待っていてくれた」「私の手の中で旅立っていった」そう思うと涙だけがただあふ…ameblo.jp看護師さんから「医師の到着までに一時間程かかるそうです」と聞いていましたが、訪問医は40分程でやっ
葬儀が終わり出棺となりもう会場内には戻ってこれないので忘れ物がないか確認して持ってきた荷物をすべて車へ詰め込みます。兄に白木の位牌を持たせ私は母の遺影を持ち他の荷物は全部旦那に持たせ母を乗せた霊柩車の後を四人で車に乗ってついていきました。しばらく車を走らせると(息子)「ママおなかすいた。これ以上ムリ」(私)「だから、朝ごはんちゃんと食べなさいっていったでしょ」(息子)「だって、、好きなおにぎりがなかったん
母が去った施設の玄関先で旦那とケンカしてしまった私泣きながら一人自転車で飛び出しましたが結局家以外に帰る場所はありませんでした。あっという間に夕方近くになり、ご飯を作る時間時間がくればどんなに悲しくてもお腹がすく「生きている」ってそういうことです。旦那と言えば、さっきあったことはすっかり忘れてるかのように(旦那)「ねぇ、ごはんどうする?疲れてるやろうから何か買ってこようか?」といつもと変わらぬ感じ(^-^;
母の法名も決まり急いでお泊りの準備と棺(ひつぎ)に入れるものを用意して母の元へ戻らなくてはなりません。※棺に何を入れたか、、の話はまた後日に母の葬儀のスケジュールは次のように決まりました。<葬儀前日>8:00葬儀打ち合わせ17:00付き添い宿泊の説明を聞く○葬儀会館泊まり<葬儀当日>11:00喪主(私)打合せ12:00親族集合(兄、旦那、息子)12:15告別式13:15出棺14:
先日、ネットで職歴15年以上の介護福祉士さんが認知症特有の顔つきや、表情があるとかお書きになられてた記事をお見掛けしましたが、そちらの介護職さんいわく、認知症の方はいつも無表情だったり、ニコニコしてたり、それぞれ特徴あるとお書きになられてましたがうちの母、脳血管性認知症で特養さんにてお世話になっておりますが今は淋しいことに母もうかなり弱っちゃいまして、母と意思疎通や会話が難しいのですが母、施設に入居した時は要介護度要介護4でしたが杖無くても、歩行器使わなくても歩ける程身体も元気でし
現在、自宅で暮らしている要介護3の母。発症時のことを振り返ってみました。←前の話リハビリが始まったころ、母はほとんど話さない状態でした。ときおり発熱もあったので、だるい日も多かったでしょうが、それにしても。話しかけても反応も薄い……。投薬の回数も減ってきてはいましたが、まだ酸素マスクが外せない状態。時々、装着がずれてしまうので、あごのあたりが赤くなってしまっていました。ふつうなら、マスクがずれたら自分で直すのでしょうが……母の場合は、意識
レンタルの手摺りを住宅改修に変更と、プロバイダー切り替えの手続きに義実家まで。朝イチの電車に乗って、夜に帰る。暮れから週一で、そんな状態だ。「私、くも膜下やってから、頭の配線がおかしくなったのか、少しも腹が立たないの。」そう言ってた矢先に、正月に義母が最後のお年玉と言って三兄弟に配った話題になった。前にも書いた話題だが、その時の義妹のリアクションが義母も許し難いものだったようで。「ハワイに遊びに行かせるつもりも、自慢する為だけの犬を買わせるつもりで、お年玉をあげたんじゃないわ。あの子
わたし自身も、どっぷりこんもりと?体験して来たなー。⿻*⌖.:˚◌˳˚⌖⿻*⌖.:˚◌˳˚⌖⿻*⌖.:˚◌˳˚⌖⿻*⌖.:˚◌˳˚⌖「疲れているのに夜、目が冴えて眠れないんです」今回は12日初日だけ『救急搬送、していただきました。』救急に電話をかけながらカレンダーを目にしてちょこっとびっくり今日は旧暦の4月5日!15時49分にこの時と同じ病院へと救急搬送、していただきました。(๑…ameblo.jp「睡眠が足りていないのに朝早く目が覚めてしまって
昨日…こんな記事を書きました。↓↓↓⇒【高齢者】不倫相手が2人になった!で…今回も…近所の人の話ですけど…昨日の人とは…全く別の人です…(^^で…今回の人は…88歳のおじいちゃんで…数ヶ月前まで…奥さんを介護されてました。でも…その奥さん…亡くなられたんです。なので…現在…おじいちゃんは…一人暮らしをされてます。ちなみに…娘(60歳前後)さんが…近所に…住んでるんですけどね。で…先日…その娘さんが…おじいちゃんの家に…立ち寄ったらしい
母の呼吸が止まった後も私は母の手を握り、顔を見つめていました。「母は、私を待っていてくれた」「私の手の中で旅立っていった」そう思うと涙だけがただあふれてきて声を出すこともできず時計の時刻を確認することもできませんでした。しばらくしてふと顔をあげると少し離れた場所で静かに泣いてくれているサ責さんと目が合いました。私がうなずくと、隣にいた看護師さんが近くまできて母の「脈」を確認します。「医師に連絡してきます」そう
これは横浜市で配布されているヘルプマーク。都内で配られているものより、安価な出来栄えだと思う。これを付けていても一度も席を譲られた事も無いし、一番酷かったのは電車の中でリュックに落書きをされ、ヘルプマークを折り曲げられた時だ。誰もがヘルプマークが助けて貰えるかというと、そうでも無さそうに思う。私は一見、背筋が真っ直ぐで骨太な為か健康そうに見られる。同じくヘルプマークを付けている義妹は、小柄でほっそりとしていて席を譲って貰えるらしい。ガンでは無かった義妹が、今でも付けているのはどうかと
今の私、両親と義母と鬱の主人の世話に猛奔走中。「あんたは重病人なんだから。」が枕詞で、「今のうちに、これだけは頼むね。」に続くのだ。私が誰かに傾くと、他2人に嫉妬心が湧き上がる。そうすると何らかの用事を作り、頼み込んで来るわけで。義母の私への依存が特に強くて、「藤井棋士が勝った!」「地震は大丈夫!?」なんて理由を付けて、私に電話して来る。そうすると決まって「門のブザーが鳴らないの。」とか、「タブレットが打てなくなった。」と用事を切り出して来る。それを家に居た主人が聞いていて、「お袋を
午前中、母がお世話になってる特養さんに残念ながら看取り状態になってしまった母の面会に伺いましたー。私てっきり母、寝てるかと思いましたが、母起きてまして、でも母、私とは視線が合わず母ちゃん!!と、耳元で少し大きめな声で母に呼びかけましたら母、一瞬こちらを見てくれまして、どうやらうちの母の場合目と耳には問題は無いようです😶で、二日前に母の面会に訪れた際に母の居室には無かったのですが、今日の居室には施設の職員さんにお作り頂いた今年の母のバースデーカードが飾られてましたー。↓こち
残念ながら、昨日、タレントのりゅうちぇるさんが自死され、亡くなられましてまずは謹んで御冥福をお祈り申し上げます。りゅうちぇるさんも、人には言えない悩みや、苦しみがお有りだったと思いますが、うちの父も私が8歳の時に自宅にて自死しましたが、うちの姉二人、亡くなった父が可哀想だとよく言ってましたが私は亡くなった父が可哀想だとは思いませんと言うか亡くなったうちの父の場合自死したことによって苦しみや、悩み、もしかしたら身体の不調から、逃れられるでしょうがごめんなさい、私は、父、自
「本当に危なくなったら母の部屋に泊まってもいいですか?」この質問を何回しただろう最初は前の施設長に母が退院した時に聞いたと思います。(前施設長)「泊まり、、ですか?前例がなくて、、お貸しできるもののご用意もないんです。検討します」母の住む住居型有料老人ホームは2019年4月にできた新しい施設でその大半がコロナ禍、看取り自体もそうなく当然の返事でした。その後、サ責さん新施設長、、に機会あるごとに尋ねてたら、