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45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々もうやるしかない。在宅介護の準備202
その後、外来で夫と主治医と今後の話し合いが行われました。治療方針が決まり頭痛や嘔吐などその他異常が無いことで主治医は退院を早めてくれた。退院日が週末だったこともあり往診医さんに来ていただいて変わりがないか診察が可能であればという条件付きだったが往診医さんは快く引き受けてくださった。結果、日曜に来ていただいたが特に問題なし。本当に良かった。そして、この日の夜なーちゃんが寝た後長女への告知をすることを夫婦で決めていた。
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月>歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々>要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目>夫だけに見えている、3人目のこど
夫が食べず、話さなくなってから、17日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月1日明け方5時10分に電話がなる。(4時50分にも一度電話があったみたいだが気づかなかった)病院からだった。「容態が急変しました。今すぐ病院へ来られますか?」と。まず夫の両親に電話をして、子どもたちを起こして急いで病院に向かった。昨日の医師からの話では、今日明日でどうこうなることはないけど予断は許さない、というお話だった。まだ、逝かない
昨日は、9時からハングル教室見学に上大岡へ。生徒私含めて3人だけで容赦なく私も当てられて厳しい〜😂でもこんな勉強したことなかったから私には必要かも。Amazonで、早速テキストとワークブック注文しました宿題も出てます。終了後すぐ地元に戻り月一のマッサージに。気持ちよく施術受けて、次は隣駅まで行かなきゃならず雨の中、施術師の方に車で送ってもらい、自彊術教室へ。1時間半運動して、帰宅。夜はZUMBAへ。足痺れてますが、楽しく踊って終了。16,000歩超えた。今日は、
※しばらく少し前の話になります。また、メッセージをくださった方の中にメッセージを受け取らない設定にされてる方がいらっしゃってお返事ができない方がいます。返事が届いてない場合ご確認お願いいたします。放射線治療2日目やはり機嫌は悪いしこの頃から更に口数が減った。抱っことおやつと嫌!しか言わなくなった…。どんどん赤ちゃん返りをしているような気がしてまた私は絶望の谷間に落とされた。しかも土日動いていた指はまた動かなくなっていた。そして、母(ばぁば)に預けていた長女が
皆様、娘と私達家族を想って予想以上の暖かいコメントを多数いただきまして心よりお礼申し上げます。驚きと共に辛かったけどこんな現実があるんだよと皆様に知っていただく事ができ子どもたちを救う活動ができたら…と思っていたので渚の頑張りは今も頑張っているお友達やそして増えてほしくはないけれど統計上、毎年50人〜のお子さんが罹患する病気なのでその子達やそのご家族を孤独にさせず支援していくことができるんじゃないかなと思うとここまで諦めずに闘い抜いた娘を誇りに思います。
※闘病記5の続きです。この頃、本来はコロナ禍で付き添い入院の交代は禁止されていました。長期入院になることや私の精神状態を考慮して病院側がPCR検査をして陰性であれば月に1回のみ交代を許可してもらえるようにしていただけました。夫がなーちゃんと直接触れ合ったのは転院前の病院の時でした。余命宣告をされた時でさえコロナ予防の為に夫は転院先では会えていません。つまり10日間ほど夫は余命宣告された娘を抱きしめることさえできていませんでした。
8月23日に亡くなった愛する奥さん。R6.2.23で命日から半年経過しました。世の中は何事もなかったように時は流れていますが、僕は世間の流れに取り残されているような感覚が続いています。僕がブログを書き始めたのは、まだ小さいチビ(病気発覚当時はまだ幼稚園児)にお母さんの闘病をいつか知ってもらうための記録的なブログですが、もう一つのきっかけは誰かの参考になればと思い、始めたものでした。今回の記事は、奥さんの脳腫瘍が発覚し、約2年の闘病の末、天国への旅立ち。この全ての過程を、後日になって冷静
前回記事『大学病院①』退院後の外来の翌日、人生初の大学病院へ想像以上に混んでいて驚く総合受付的なところで初診受付をする。初診受付の待合席で「1時間待った」という声が聞こえたと…ameblo.jp治療法などは先生やそれぞれの状況によって様々ですので、こういった治療を受けている人もいるんだ、というお気持ちで読んでいただけますと幸いです先生が病気と長く付き合っていく方が良いのでは?との見解に至ったのは薬が効きやすい乏突起膠腫である可能性が高いことと、下記の
ランチを終えた後再びIさんと合流しリムジンバスでホテルへ🏨お疲れ気味の夫となーちゃんはバスの中でぐっすり長女は機内で怖がって疲れてたのにご飯食べて復活しバスの中ではまだ?まだ?と、テンション上がってきてましたさて今回宿泊させていただいたのはホテルオークラ東京ベイさんでした。一旦そこでIさんと母とお別れし(旅行支援の影響で同じホテルや近隣のホテル抑えるのが難しかったため母は別の駅近のホテルへ宿泊)夕飯はイクスピアリで食べようと約束し
ちょっと色々あって疲れてます。なーちゃんの状態も波があってでも、落ちてる時間の方が(傾眠傾向)圧倒的に長くなってきて段々死神の足音が近づいてきてるようなそんな気持ち。ママきらい〜!ババァ〜!ぶさいくー!なーんて軽口を叩く悪ガキなーちゃんでしたがママ、そばにいてママといたいママが良い…って言って私の腕を不自由ながら一生懸命つかんでくるんです。言葉も段々出にくくなってるのに頑張ってかすれた声でゆっくり、ゆっくり私を呼ぶ娘。こんなこと今まで一度も無かっ
夫が食べず、話さなくなってから、20〜26日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月5日手術から4日後待ちに待ったオンライン面会。目を開けている!!!手を動かしている。こちらの声掛けに反応しているように見える。けど、、、タブレット越しの私たちのことは認識しているのかどうかわからない大きな声で一方的に話しかけた。会話はできない。目はうつろ。無表情。全く別人の夫がいる。そんな夫を見て、子どもたちは黙っている右手は動いているが、左
2023年7月10日からのオプチューン開始に向けて。※時差投稿ゲノム診断で腫瘍がメチル化ではなかったため、テモゾロミドが効くタイプではなく(明確には、怖くて聞けなかったのが事実ですが)、「効かないわけではなく、すごく効きやすいタイプではなかった」と言われ、そう受け取りました。「じゃあ飲んでも意味ないんじゃないか?」と主治医に質問したところ、「意味ないわけじゃないけど、平行してオプチューンを処方しようと考えてる」と言われ、前に、術後説明の際に、こういう治療があるとオプチューンを聞いて
夫が食べず、話さなくなってから、11〜14日目。2023年2月23〜26日仕事はしばらくお休みさせてもらっていた。相変わらず話さず食べずで、寝ている時間が多かったが、日中はテレビを見させたり積極的に話しかけた。食事は水分補給ゼリーを無理やり飲ませる。トイレにも自発的に行かなくなったので、こちらから促して連れて行った。トイレの中でどうしたら良いのかわからないような時もあった。45歳の夫がこんなに急激に認知症のような感じになって、私も本当に戸惑
こんにちは。ご報告ですなーちゃん、退院しましたよく頑張ってくれました動かなくなっていく体に戸惑ってイライラしたりまだ5歳になったばかりの子にCT、MRI、採血や点滴放射線治療などたくさん怖い思いもしたと思います。でも、ようやく自宅に帰ってこれました大好きなお姉ちゃんとの実に1ヵ月以上ぶりの再会も果たし2人喜んで退院した日は2段ベッドを秘密基地にしたりして楽しく遊んでいましたそして、昨日は早速この夏できなかった花火を楽しみ
見送ってきました。今日は手術の件数が多いみたいで手術室の前でいろんな家族が「いってらっしゃい」とか「がんばってね」とか一言伝えてから手術室に入っていく中旦那は迷いなく手術室に入っていこうとするので看護士さんも「えっ」って反応してました。「ちょっとー!何か一言ないの?」ときくと「どうせ寝てるうちに終わるんだからー」と少し笑って行ってしまいました。
お昼ご飯を食べた後はジャングルカーニバルでボール投げをしました残念ながら私、長女、次女&夫で挑戦しましたが獲得ならずあの限定クッション可愛かったなー参加賞のピンバッジをもらって帰りましたそのあとはアリスのティーパーティーキャッスルカルーセル等子どもが好きそうなアトラクションに乗ってシンデレラ城を見学してちょっと疲れたのでワールドバザールでアイスを食べるともうあっという間に夕方パレードを見るために早めに予約を取っていたのでクリスタルパ
こんにちは。少し遅くなりましたが春休みに叶えた夢について書いていこうかな、と思います実はこの春休み中はまだ脊髄への照射は終わってませんでした。ただ、採血の結果が問題なかったことそしてもう時間がないこと主治医からは今が一番お出かけできるときだと思いますと言われていたのでなーちゃんの体調を考慮しつつ行けるなら行くぞ!と県内の遊園地へ向けて出発しました。その日は春休み入ってすぐで県外に住む妹家族(共働き)も繁忙期なのに無理して遊び
自己紹介(なーちゃん)と簡単な経緯2017/7我が家の次女として誕生2022/75歳の誕生日を迎える2022/8突然ふらつき、右上下肢の麻痺があらわれそのまま緊急入院→大学病院に転院後びまん性正中グリオーマ(小児脳幹部グリオーマ/DIPG)と診断2022/9放射線治療30回終了現在麻痺が進行。来週検査入院予定。皆様こんにちは。少しお久しぶりになってしまいました。お伝えしたいことが2点ございまして今日はブログ記事を2つ更
皆様、こんばんは。今日は闘病記ではなく近況報告と少しブログの更新頻度が落ちるお知らせです💦まだ闘病記は最初の頃の方の話しですが現在は放射線治療とリハビリとなーちゃんの頑張りによって信じられないスピードで症状の改善がみられました。一時的な回復とは分かっていても娘の笑顔が増えたことは嬉しいです。(複雑な気持ちもありますけどね…)そしてなにより実はもうすぐ退院します。少しバタバタすることと病気のことを考えないのは難しいし、もう前の生活には戻れないからこそ新し
点滴をひっぱってしまう次女を見たCLS(チャイルドライフスペシャリスト)さんが「これなら遊んでいいよ〜」と持ってきてくれたのがコレ。な、なつかしい…!私が子どもの頃からあるやつ!よく階段の上からばいんばいんさせて遊んでいました(笑)初めて見る次女さんは、お口をぽかーんと開けてにぎにぎしていました。未知との遭遇。話は変わりまして、次女さん今週は治療の週。初めてのお薬が2つあったんですが、その中のひとつエトポシドの投与をスタートさせたところ、身体全体が真っ赤になり。急いでナースコ
2023年3月31日の診断日が金曜日だったため、土日を挟み、不安で不安で仕方ない。その日の夜、左脚が上がりづらくなる。ソファに座って両脚を上げると、左だけ意図せず下がってきてしまう。左だけ。あれ?左手の痺れも増してくる…【脳腫瘍良性特徴】調べまくるもいまいちわからず。腫瘍の形がはっきりしていないものが悪性と出てきたけど、ロムに入っているCT画像をみても分からず…不安で不安で、近くの救急脳神経外科の夜間に行くことに。子どもを母に預けて夫と向かいました。深夜の病院は何度
闘病記シリーズも結構長くなってきたので今回から自己紹介を作ってみました。よろしくお願いします。自己紹介(なーちゃん)と簡単な経緯2017/7我が家の次女として誕生2022/75歳の誕生日を迎える2022/8突然ふらつき、右上下肢の麻痺があらわれそのまま緊急入院→大学病院に転院後びまん性正中グリオーマ(小児脳幹部グリオーマ/DIPG)と診断2022/9放射線治療30回終了現在症状は改善。週に1~2、リハビリと訪問看護師さん、月に1~
夫が食べず、話さなくなってから、18日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月2日【手術の翌日】10時半ごろ病院へ。先生からCTの画像を見せてもらう。右前頭葉にあった6センチ大の腫瘍は95%以上取れたと言われた。右脳の後頭部に脳梗塞の後がある。意識は戻っても良いレベル、と言われるが戻っていない。昨日は瞳孔が6mm開いていて絶望的な状態だったが3mmに戻ったとのこと。少しだけタブレット越しに面会ができた!!!(コロ
夫が食べず、話さなくなってから、15日目。2023年2月27日近所のメンタルクリニックの初診が翌週末に取れましたが、そこまで待てず少し遠いところにある精神科のある病院へ連れて行くことになった。夫の両親が来てくれてなんとか着替えさせる。以前、便失禁があった時(こちらのブログ→ベッド脇に便失禁)以来、リハパンを履かせていることを、ご両親に伝えた。夫の手を引いて玄関まで連れて行く。私は自分のカバンと上着をとりに一旦部屋へ戻る。夫は玄関で私が来るま
こんばんは、はーちゃんです。2024年4月13日午前9:15こーちゃんは安らかに永眠いたしました。私の大好きで強くて頑張り屋で心が広く優しくて尊敬できる大切な人です。1年間本当に病気に心は負けずに戦い続けられました。お疲れ様です。尊敬します。私が1人にならないように頑張ってくれてありがとうございます。いつも手を繋いでこーちゃんとは寝ていました。朝方4時頃、ふと目を覚ますとこーちゃんの手足だけ冷たくなっていました。慌てて体を触ると前夜同様熱があり、呼吸もしてたの
今日で一ヶ月経ちました。最初の月命日お姉ちゃんは毎日泣いていたけれど少しずつ減ってきているよ。それでも泣いてしまう日はあるし校門まで付き添い登校しないと寂しさと不安で仕方ないみたい。でも少しずつ私の手を放す時間は増えてきて妹がいなくなったこともまだ7歳(小2)だけどちゃんと理解して自分なりに受け入れようと頑張っています。私や夫もそれぞれ寂しいな~抱きしめたいな~こんなことあったねあんなこともあったねあれが好きだ
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目20
こんにちは。今日は皆様にご協力をお願いしたくブログを書いております。闘病中、そして今もお世話になっている・小児脳幹部グリオーマの会そして同じ小児脳幹部グリオーマでお子さんを亡くされた方たちからなる各支援団体様でプロジェクトチームを発足されました。目的は今年5月8日〜9日にカナダのトロント小児病院にて小児がんの医薬品開発を加速させることを目的とした会合「ACCELERATE」(公式サイト)にてDMG/DIPGに特化した治療研究フォーラムが開催さ