ブログ記事64,903件
【8月18日】2回目のオンコビン投与。オンコビンの一番の副作用は腸の動きが悪くなり便秘になりやすいとの事だった。確かに化学療法を始めてから次女は便秘気味ではあった。そしてこの日師長さんが隣の部屋の窓際が空いたので移動しますか?本当はその部屋の出入り口側のお二方の移動が普通なのですがお二人とも同時期の入院でしてお互いに譲りあわれてて、このまま移動なしで良いとのことなので次女ちゃんどうですか?これから長期入院ですし窓際の方が良いと思いますので遠慮なくどうぞ!と声
こんばんは!そしてお疲れ様です🙇ゴールデンウイークゆっくり出来ていますか❓新米社長は眠いですw😂昨日も、沢山のアクセスありがとうございます🙏本当に嬉しいですよ😊😃フォローもありがとうございますね🙇まあ、これは、ワクチン、劇薬コロナ毒チン💀💉との関連は分かりませんが🤪ついに抗がん剤の売上が日本で2兆円を超えた。とんでもない特大市場ですよ。つまりは日本で2025年は特に癌がめっちゃ増えたということ。理由はもちろん…pic.twitter.com/6knDMfGfNf—ふ
次女の化学療法の薬は(髄芽腫の治療)ランダオンコビンエンドキサンを投与するものだった。ランダ→シスプラチンとも呼ぶオンコビン→ビンクリスチンとも呼ぶエンドキサン→シクロホスフォミドとも呼ぶ大学病院ではランダオンコビンエンドキサンという呼び方をしていた。化学療法のやり方によってはこの薬たちを間をあけずに1日単位で連続投与するそうだが次女の場合は最初のランダオンコビンのみ連続であとは1週間に1度の投与だった。1週目ランダオンコビン2週目オン
昨年のあの猛暑のころに発病、もう9ヶ月経った。暑い夏を乗り切り、秋を越え、冬も越えた。そして今は春。長かったような短かったような…世の中はゴールデンウィークだけど、夫にも私にもゴールデンウィークはない。5月だけあって、戸外では新緑が目に眩しいそれまでは夫と2人で、季節ごとに旬の花を求めてカメラ小僧になってよく出かけた元気な夫がいたから、色んなところへ遠出もできたとしみじみ思う。写真のソフト面は苦手だったが、メカには強い夫ソフト面は得意だが、メ
銀座みやこクリニック院長の濱元誠栄ですまずは、LUNASEAのドラマー、真矢さんの訃報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。2020年からステージ4の大腸がんと闘い、7回もの手術や抗がん剤治療を乗り越えてこられたそうですが、残念な結果になってしまいました。昨年末に、「脳腫瘍」が見つかって、放射線治療を検討しているという報道がありました。おそらくは脳転移だと思いますが、今回は、脳転移について解説します。1.脳という聖域がん治療において、脳は特殊な場所で
お風呂で久しぶりに号泣した一周忌で挨拶するとしたら私はどんなふうに挨拶するだろうなと考えていたら、夫が、家族に対してすごく責任感が強かったことを、エピソードとしていろいろ思い出して…。夫は医者から「膠芽腫は生存中央値が一年ちょっと」と聞いた日から、前向きに諦めてた。少しでも子供達の成長を長く見たいから、治療は頑張るし可能性にも賭ける。だけど基本的には「死ぬ」ことを前提に動いていた。(義姉は夫が緩和ケア病棟にいるとき「〇〇(夫)は全然諦めてなかった…」と神妙な顔
一昨年の春ずっと体力があって元気だった夫が脳腫瘍といわれ緊急入院しました。診断は脳腫瘍の中でも一番悪性度の高い膠芽腫。術後の一年間は元気に過ごしたけど今年の春に再発。9月に亡くなりました。闘病の一年半この病気に家族として向き合って思ったことをまとめておきたいと思います。あくまで家族視点の私個人の思いや記録です。いまこの病気で辛い思いをしてる人やご家族には心にしんどい内容もあるかもしれないので心配だったらそっ閉じしてください。1️⃣この病気の現実病名がわかって主治医から
~髄膜腫(脳腫瘍)が発覚した2023年夏~本ブログは、2023年7月髄膜腫(脳腫瘍)発覚→9月開頭手術・入院の体験記、そして、退院後の生活を綴ったものになります。「髄膜腫になったけど、どうしよう!?」「そもそも、髄膜腫って何だ!?」「検査、入院、手術はどうなる!?」「退院後の生活が不安だ。。。」と感じる人が多いかと思います。自分も同じでした。そんな人に向けて、「少しでも参考になれば」と思い、治療経過をなるべくリアルタイムで記録し情報発信したり、退院後の経過を綴った
退院8ヶ月手術で剃られた髪の毛もだいぶ伸びてきて、前髪らへんもいい感じになってきました。頭の中心の感覚も前より出てきた。ただ、美容院とかで軽く頭マッサージされる時とかも、まだ手術した片側は過敏なのか、押されてる感を感じやすくてドキッとする徐々にこれも改善していくと信じよう。身体面の回復は順調だけど、最近は仕事の疲れなのか、疲労が溜まったり、いっぱいいっぱいになったり…。思えばいきなり入院と手術決まって気持ちが追いつかぬまま過ごしてすぐ仕事も復帰して、感情面を後回しにしてた分が来たの
IMRT治療を受けると決断したのだけれど〇病院とは連絡がとれず心が焦りまくっていたゴールデンウィークの間の平日のこと。夫は休みだったので昼間に次女を見てもらい私は帰宅することに。家のことやお風呂に入るために帰った。家に着く前に次女の同級生たちが学校から帰宅しているのが見えた。まだ同級生達のランドセル姿を見るのは辛いものがあり車を家の駐車場に停めて急いで家に入ろうとしたら次女の同級生たちが私の車を発見してダッシュで追いかけてきた「次女ちゃんのお母さ~ん」「
【6月24日】今日も朝早いバスの便で来た。感染予防の薬のバクタが始まった。この薬が苦いらしく飲んだ後に吐いてしまう錠剤を分割にしたやつだったので角が喉に刺さっでしまうらしく苦い上に飲みにくいと言うことで粉末で夕方でることになった。放射線治療により粘膜も傷んできているので余計に飲みにくいのだろう。そして、今日も脱毛が凄い。首周りや枕や布団ひたすらコロコロした。次女は気にしないと言っていたがなるべく気付かれないように髪の毛を処理した。12回目の放射線治療終了。
義母があのあとLサイズトレパン買ってくれたんだけどぜんぜん漏れるもう昨日からずっと全取っ替えしてて大変ややっぱり尿取りパッドがあると違いますか?お盆期間だけどケアマネさん今日電話出てもらえるかな数日前までほとんどトイレできてたのにできなくなってしまったしかも漏れても教えてくれないし義父に「病院にいれてしまった方が楽だよ。たぶん10月まで持たない、、」って言われてご飯が食べられるまでは自宅でと思ってたけど思ったより緩和ケアへの切り替えは早くくるかも、、
電話のあと市民病院からの突然の思いもよらぬ電話の内容にパニックになってしまった私。完全に取り乱していました。長女は何て言っていたのかなんて返事をしてくれていたのか正直覚えていませんでも、大丈夫だよって言ってくれていたような記憶が何となくあります。長女に対して本当に申し訳なかったと今でも反省しています。泣いて取り乱したけど我に返り「泣いていられないとりあえず行動しなくちゃ」と。まずは夫に電話やはり伝えていると涙がボロボロ。病院から言われたことを何とか伝える
今日から闘病してきたことなど書いて残していきたいと思います。患者側からの想いなど赤裸々に書くこともありますので医療関係の方や他の闘病中の方々など不快になる表現などもあるかと思います。ご了承ください。そんな時はそっと閉じてくださいね。病気が分かったその日から次女の全てを残したくて日記を付け始めました。その日記を元に書いて行きます。2008年の時からの事なので当時と今現在の医療は変わっている所もあるかと思います。その事もご了承くださいませ。****************
今日から暫くの間、日付を入れていこうと思います。手術から2日後の4月19日午前中夫には病院に残ってもらい長女と自宅に帰りお風呂に入りました。やっぱり自宅は落ち着くしお風呂っていいなぁ~久々にリラックスした気がした。お風呂から出ると電話が。番号をみると市民病院から怖い…腫瘍があると聞かされた電話を思い出す。次女に何があったのではないかと心臓バクバクしながら急いで電話に出た。ICUの看護師さんからで容態が安定しているので午後から個室のHCUに入るとの事だった。I
手術の翌日手術の翌日ほとんど寝られず朝を迎えた。ICUの面会時間は12時。午前中はこれでもかって位に夫と私は泣いた。(長女ごめんね)昨日の医師からの話がショックすぎてなかなか受け入れられない。受け入れないといけないのは分かっていても心がどうしてもついていけないのだ。あんなに頑張ったのにこれで終わりじゃないのか…この先が怖くて堪らなかった。悪性の上衣腫また再発する可能性が高いその言葉がぐるぐるする。泣くつもりはないのにずっとずっと涙が勝手に出てくる。ず
ゴールデンウィークが明けた5月7日。この日は一気に進展があった。市民病院の主治医から〇病院のJ医師に連絡がついた。待ちに待っていたのでホッとした。連絡がつくまで長かったGW。IMRTをうける病院は〇病院から近い場所ではあるがその病院には入院施設がないとのこと。通いで治療するのが前提らしい。体調が悪くなった時のことを考えて〇病院とIMRTのクリニックの中間にウィークリーマンションなり生活できる場所を借りるのが良いだろうという話になった。〇病院とIMRTの病院(以下ク
退院4日目。本日も少し始業は遅らせつつ出社。スポーツドリンクを相棒に🥤脳腫瘍がヘルプマークの対象に入るのかはわからずですが、最寄駅でもらえたので鞄につけることにしました。混んでる電車で座って嫌な顔されても嫌だし、てんかん発作のリスクもあるのでしばらくは…。付けることで、周囲の変化というよりはお守りの様な安心感を感じる。。病気をきっかけに、1日3食ちゃんと食べることも意識しています。今までは朝は食べず、夜も遅くなった時は食べないことがほとんどで、入院中栄養バランスに富んで美味しいご
退院が5月12日に決まってうきうきな次女。〇病院の県(高速を使って4時間の距離)での治療が決まり住むところ探しと生活用品準備でバタバタな夫と私。しかし不安はあるものの希望が見えてきて嬉しい忙しさだった。退院する2日前、耳鼻科検診があったがやはり低音性難聴のままだった。耳鳴りがまた再開していることも不安な要素だった。後に水頭症になってしまう。この頃から頭に水(髄液)が少しずつ溜まってきていたのかも知れない…。住まいが決まる退院前日。明日は次女の退院で少しの
夫が亡くなってからひたすら断捨離しています今日もゴミ捨て場に持ち込みして来ました今まで捨てられなかったものでもなぜかあっさり捨てられる夫が大事にしていたものはなかなか捨てられないけれど自分のものは簡単に捨てられる不思議です…今は捨てられないものは戻る予定の実家へとりあえず移してゆっくりと片付けて行こうと思います
水頭症になっていた事から緊急手術をすることが決まり直ぐに手術を行うのかと思っていたが手術は15時~とのこと。それまでこの痛みは??我慢することになるの??手術が決まったことで小児科病棟の個室に入った。直ぐに脳圧を下げる点滴を開始。すると少しずつ頭痛も和らいできた。勿論完全にではないが意識が遠のくほどの頭痛ではなくなっていた。良かった‥‥手術の時間まであの痛みがずっと続いたいたらどうしようかと思っていたよ直ぐに手術開始とはいかずその前にレントゲン心電図
2026/4/27(月)※手術は3/13入院して47日目手術して46日目日数のカウントはだいたいです。今日から、復職しました。ここまでくるのに、二転三転大変。以前、メンタルやられた際の上司が、本当にびっくりするくらい仕事の段取りができない方で。。実は、復職し、業務の目処つき次第異動出向終了し、帰任します。で、この目処としては、引継等なんですが、引継不要、業務も不要と、とーっても、私の存在自体がまるで、不要かの扱い。。結局、周りの方が、引継必要。そして、最終的には
今日は手術当日の事を書きたいと思います。あの日の事を思い出すと正直しんどいです。でも忘れられない日。頑張った次女のためにもしっかり、記していきたいと思います。次女の病気が分かった日から日記を書き始めました。次女の言葉を一語一句忘れたくなくて残しておきたくて書き始めましたその数は太い日記帳が10冊近くになります。書いてるとほとんどが祈りと次女へのメッセージ的なものになってしまっていますが‥‥。次女の経過と共に闘病を通し感じたことした方が良いなと思ったこと
入院4日目夜中何度も看護師さんが次女を起こし意識確認をしてくれました。次女は寝付きは良い方なので幸いにも確認後は直ぐに寝られたようでした頭痛や嘔吐があり水頭症の悪化や脳への圧力の可能性もあるので薬や点滴で脳への圧力を抑えていました。そのお陰もあり4日目は1日元気に過ごすことが出来ました。プレドニンはずっと飲んでいたので吐き気が無いときは食欲がモリモリ。特に食事制限もなく食べたいものを食べさせて大丈夫との許可がおりていたので下のコンビニに行きたこ焼きやコーン
2025年5月11日母の日午前中娘から小包が届きました母の日のプレゼントですリファのブラシでしたすごーーいなんて素敵ヘアブラシReFaリファエールブラシバレンタインReFaAILEBRUSHくしブラシ防水みがきほぐしヘアアレンジヘアケアギフトプレゼントプチギフト女性女友達彼女妻誕生日ツヤツヤ髪の毛サラサラ艶髪正規品敬老の日ホワイトデー母の日楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}使い心
息子は今脳腫瘍と闘っています。腫瘍の種類は上衣腫という脳腫瘍に分類されます。正式な病名は、SupratentorialEpendymoma,ZftaFusionPositive,SubclassE(novel)稀な上に診断そのものが2021年に発表されたばかりの悪性脳腫瘍です。これまでの経緯2020.11息子が救急車で運ばれた日①2021.02摘出手術(1回目)2022.11再発手術(2回目)2023.11再発手術(3回目)2023.1
2026年3月18日今朝放送されたNHK「あさイチ」に女優の小林涼子さんがゲストで出演されていました実はね私、小林さんのことがどうにも苦手だったのですよね「え?なんで?!」って思われますか?「あ、私も」という方もおられるかしら?小林涼子さんは2008年に放送された「魔王」というドラマで魔王Blu-rayBOX【Blu-ray】[大野智]楽天市場嵐の大野智さんと恋に落ちる役だったのですとっても可愛い人、嫌味がなく
入院3日目やはりほとんど寝られず朝を迎えました。天井を見るたびに「現実なんだ」と思い知らされ打ちのめされる気がする。次女はなかなか起きなくて心配になり何度も何度も呼吸を確認しました。午前中はお風呂の許可がでて入ることに。泡で遊んでいる次女の姿を見ていると愛しくてたまらない。午後からは私の両親が来てくれました。両親は朝長女を中学校に送ってくれた後に自分の家に帰り(実家)家の仕事をし夕方長女が帰る時間になったらまた長女を中学校に迎えに行ってくれて
忘れないうちに書かないとと思いつつ書かないでいました。亡くなってから思い出す姿はやっぱり旦那が旦那らしくいた時なんだよね。病状が悪化してからのことは思い返すとまだやっぱちょっとさ切なくなっちゃうからさでもほっておくとこの先全部が薄れていっちゃうかもしれないと思うと今ちゃんと残して置かないとーとも思うので書いておく。9/22(月)先週からデイに行けてなくてお風呂に入ってなかったのでこの日はじめて家で訪問入浴の予定だった。でもパパの状態的に負担になりそうなので入浴は
こんばんは♪来月は定期検診がありますが、先生の診察を翌週に変えたくて、電話してもなかなかつながらず、大学病院の予約変更は、気軽にできるものではないと思うしどうしたものか・・・と考えまして、やっぱり行くのがいいかなと、名大病院に行きました。変更は診療科へ行くように言われ、脳神経外科の受付に行って、名大アプリを出し、ここの予約を・・・と読み始めたところで先生の名前が違うことに気が付きました。すると、今までの主治医は専門が変わるそうで、主治医が変わっているそうです。受付の方も「