ブログ記事150件
広重東海道五十三次桑名宿歌川広重の東海道五十三次と言えば、広重の代表作であり出世作でもある浮世絵風景画の傑作と言っても良い連作です。切手の図案にも多数採用されていて、あまりにも有名な浮世絵です。それが近年(28年程前)新たに司馬江漢の肉筆画帳が発見されたのですが、内容が広重の東海道五十三次の内容と殆ど同じだったから当時は大変話題になりました。司馬江漢は広重よりも半世紀も前に生まれた人ですから、これが本物ならば広重は江漢の絵を写した事にな
紙本に描かれた達磨の作品です。落款には南岳とあります。渡辺南岳(わたなべなんがく)江戸時代後期の京都の画家。円山応挙の高弟で応門十哲に数えられる。江戸に円山派を広めた。ヤフオクで浮世絵の美人画を買った時に、おまけで付いていたような物なので、どうせ本物ではないだろうと思っています。(確認したわけではありませんが)しかし開運なんでも鑑定団という番組に出てくる人達は、自分の持っているお宝の真贋や価値を知りたいがために、そ
北斎と節句幟──朱鍾馗図幟に込められた画道の原点《2025年更新》こんにちは、いわき絵のぼりの絵師・辰昇(しんしょう)です。今日紹介する、葛飾北斎による節句幟「朱鍾馗図幟」は、現在ボストン美術館が所蔵している江戸後期の肉筆絵のぼりです。その迫力と完成度の高さから、本品は現存する江戸期の絵のぼり(絵幟)の中でも、特筆すべき名品といえます。・葛飾北斎【朱鍾馗図幟】/「江戸の誘惑展」2006年図録より引用この作品は、2006年に江戸東京博物館で開催
広重「六十余州名所図会」下野日光山裏見ノ瀧「六十余州名所図会」は、広重晩年の作で、日本全国六十余すべての州をくまなく描いた大作です。下野(栃木県)の名所として描かれているのが日光の裏見ノ瀧です。意外や私は、日光に何度か行った事はありますが、裏見ノ瀧の存在を知りませんでした。華厳滝や霧降の滝など、もっと有名な滝があるのにナゼ裏見ノ瀧なのか、不思議に感じましたが、この錦絵を見れば納得できます。滝の裏側を通る事が出来て裏側から眺める事など中々出来な
今日はヤフオクで最近手に入れた肉筆浮世絵なのですが、ご覧の通りシミが作品を縦断しています。紙本に描かれているのは遊女の立ち姿で落款には、春政とあります。恋川春政(こいかわはるまさ)とは、江戸時代の浮世絵師。恋川春町の門人。北川や恋川の画姓を称し、晩器、花月斎、春政と号す。作画期は享和から文化の頃にかけてとされ、喜多川歌麿風の美人画や読本の挿絵などを描いています。このブログでは無落款の作品が多く、作者不明の浮世絵師が登場するこ
ホトトギスは浮世絵の中では遊女と共に描かれる事がよくあります。5月中旬ごろに日本に渡って来るので、古くからホトトギスの鳴き声は夏を知らせるものとして親しまれました。江戸時代には非常に身近に感じられていた存在だったようですが、現在ではどうなのでしょうか実際見た事のある人は、どれくらいいるでしょうか。しかし鳴き声を聞いた事のある人は結構いるのではないでしょうか。「特許許可局」や「テッペンカケタカ」と聞こえるとも言いますが、けたたましいような声で、「キョ
オランダで葛飾北斎が描いた西洋(風)画が発見されました。正確には、誰が描いたものともわからなかった絵画の作者が、葛飾北斎であるという証拠が確認されたというものです。オランダのライデン国立民族学博物館に所蔵され、作者不明とされてきた6枚の絵画。これらの作品は、日本橋や品川など江戸の町並みが描かれたもので、遠近法など浮世絵とは異なる西洋の技法が駆使されており、用いられた画材は和紙と水彩絵具のようです。実はこの作品の元々の持ち主はあのシーボルトとのこと。シーボルトは、江戸時代
歌川国芳木曽街道六十九次之内「京都鵺大尾」国芳の木曽街道六十九次之内は、嘉永5(1852)年から翌年にかけて版行された木曽街道(中山道)をテーマにした国芳による72枚の揃物です。画中のコマ絵には宿場風景をいれ、宿場の名前に掛けた物語や伝説に登場する人物が描かれています。右上の「木曽街道六十九次之内」の文字の周りの絵柄も物語を連想させるものなどで描かれていて、左上に描かれた「コマ絵」の枠の形も、絵の内容に合わせて変えられていま
今日の作品は軸装された紙本に描かれた物になりますが、作者については落款は入っていないのですが、山岸翠山の作であるとされています。箱に山岸翠山の天保頃(1830~1844)の作と書かれた紙が貼ってありました。しかし山岸翠山について検索しても何も見つからない為に、実在した人物なのかも確認できていません。作品についても今回は何も分かりませでした。和歌のようなものが書いてあり、和歌の作者らしき名
歌川広重「名所江戸百景市中繁栄七夕祭」(国立国会図書館蔵)江戸時代の七夕の風景です。家々がそれぞれに背の高い笹を立て、それぞれの七夕飾りを付けて競うように乱立する姿は、高いビルがない時代ならではで、遮るものも無く広く江戸の町を見渡すことが出来ます。どれだけ七夕祭りが江戸時代の庶民の間に浸透していたのが分かります。飾り付けには意味があり、ヒョウタンと杯は「お酒が沢山飲めますように」、大福帳は「商売繁盛」、鯛は「おいしい魚が食べられます
紙本に描かれた江戸時代の肉筆の浮世絵になります。作品の上部には画賛が書かれていて、その作者の落款が書いてあります。(右画像)絵を描いた絵師の落款は見当たりません。画賛とは画に合わせて書かれた詩のことです。画中の美人が手に持っている団扇を見てみると、ここに落款が見えます。枝山でしょうか。落款とは落成款識(らくせいかんし)を略した言い方で、作品が完成した記念に書き入れた署名
今日は人魚を題材にした江戸時代の本を見つけたので、その内容の下らなさが、ばかばかしくて面白かったので紹介することにしました。1791年に発行された「箱入娘面屋人魚」(はこいりむすめめんやにんぎょう)山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙です。山東京伝は画号を北尾政演(きたおまさのぶ)という浮世絵師でもあります。黄表紙とは成人向けの絵本で、当時の流行などをパロディーにしていて分かりにくいのですが、挿絵だけ見ていても十分に「何だコレ~」と吹き出してしまいます。絵を
禿(かむろ)は江戸時代の遊郭に住む遊女見習いの童女をさします。なかなかユニークな髪型をしています。本来はおかっぱの髪型からつけられた名ですが、時代と共に髪を結うようになってからも、遊郭に住み込む幼女のことをかむろと呼びました。7-8歳頃に遊郭に売られてきた女子や、遊女の産んだ娘が該当しました。最上級の太夫や、または花魁と呼ばれた高級女郎の下について、身のまわりの世話をしながら、遊女としてのあり方などを学びました。引
今日は春画について話そうかと思います。普段はヤフオクで手に入れた肉筆浮世絵(無名な作品が多く、大したものでは無いのですが)を中心に、浮世絵全般を書いているのですが、今まで一度も春画についてはふれてきませんでした。なぜなら、やはり露骨過ぎて、あまり堂々と人目にさらす物ではないと感じているからです。しかし昭和の浮世絵雑誌などを見てみると、春画が良く特集されていて目玉記事になっていることからも、浮世絵愛好家=春画好きの人が多いのは事実なのでしょう。浮世絵と春画は切
今回は浮世絵版画についての失敗談です。肉筆と違って木版画には偽物というものは少ないと言えるでしょう。浮世絵には肉筆と木版画がありますが、コレクションするならば木版画の方が遥かに簡単だといえるでしょう。ただヤフオクなどで手に入れる場合は、少し注意が必要になります。これは私がヤフオクで初めて落札したものですが、商品説明は額に入った豊国(初代)の浮世絵版画というものでした。初めてオークションで浮世絵を買ったわけですが、実際に実物を見
続きになります。1791年発行の山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙「箱入娘面屋人魚」(はこいりむすめめんやにんぎょう)です。浦島太郎が不倫のすえに生まれた人魚。漁師の平次と暮らすことになるが、貧しい平次に恩返しと遊女になることに。いよいよ人魚の吉原デビュー。山東京伝箱入娘面屋人魚:3巻(画像提供:国立国会図書館ウェブサイト)薄暗くなって人魚の花魁道中がはじまる。尾ひれが出ているし、鱗も出てる。(もっと白粉を厚く塗れ