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耄碌じじいがまた来たぞ今日は少しだけいい話をするつもりだいつもは耄碌じじいの戯言よさて、よく今ここ今この瞬間という言葉が飛び合うがよく聞け今この瞬間というのは確かにそうだが全てがこの瞬間ならどうする?わかるか?昨日の夜、ご飯を食べた過去もこれからお昼を食べる未来もこの瞬間にここにあるとしたらどうだ?ということはだ今ここを力説するならば過去と向き合う必要があるだろうて。そうだろ?過去に折り合いつけておらんのに格好付けおって今ここと言うてる場合ではないぞ過去を
私は今アメリカのシアトル在住ですが、我が家にはなんと京都の龍安寺にある有名な蹲踞(つくばい)の複製があるのです。つくばいとはお寺や神社、茶室に入る前に手や口を清めるために庭に置いてある、背の低い手水鉢のことなんだそうですが、そんなことはどうでもいいのです。今日書きたかったことはそのつくばいにある文字「吾唯足知(われただたるをしる」です。私は「光明レイキ道」の師範で、レイキ療法を教えています。光明レイキ道では講座が1から4まで、初伝、中伝、奥伝、神秘伝、とあります。そのうちの一番最初の「初伝
日経225先物取引はかれこれ10年の付き合いでミニからスタートして現在もミニのままです。欲に散々負けてきて自分がコントロール出来なくなるのでミニが丁度いいですお金もだいぶ溶かしたと思います欲が欲を呼び、ルール違反を繰り返しずっと気になって机に張り付いていましたせいぜい1〜3回のチャンスがいいところ20回はトレードしていました全てがチャンスに見えてきてルールなんてぐっちゃぐちゃ負けて負けて負けまくるストレスが凄かったですインデックスと個別株に意識が傾き勉強も集中していた
幸せとは何でしょうか?誰でも幸せになりたいと思っています。苦しみたいと思っている人はいません。これはなぜなのか、考えたことがあるでしょうか?その答えは、幸せが正常な状態で、苦しみが異常な状態だからです。簡単に言うと、幸せは人の故郷だということです。ところが、人は幸せと幸福感を間違えます。幸せとは、内側の静寂のことです。そして、意識の性質こそが静寂です。人の本性は意識であり静寂です。つまり、人のベースは本当は至福なのです。しかし、自我に飲まれた私達は、幸せにな