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おはようございます!@Ricoです。登拝から帰ってきて、ネムネムやったwして。ちろっと空きましたが、鞍馬ねえさんぽ👣の続きね^^(以前の記事はこちら⬇️)テーマ:京都京都|Rのブログ・あなたの世界をいきることRicoさんのブログテーマ、「京都」の記事一覧ページです。ameblo.jp山門→九十九折参道→由岐神社→川上地蔵尊→義経公供養塔→双福苑→中門→福寿星神→分岐点。さらに、本殿方面へ👣巽の弁財天社→転法輪堂→本殿金堂へテクテク👣と向かうと、、、本殿金堂✨(よ
摂津西国巡礼も最終回とうとうやってきました板宿駅から山陽電鉄に乗り須磨寺駅まで上野山福祥寺【じょうやさんふくしょうじ】須磨寺【すまでら】淳和天皇のころ(823~833年)に漁師が和田岬の沖で聖観音像を引き揚げ、会下山の北峯寺に安置していたのを、886(仁和2)年に聞鏡上人(もんきょうしょうにん)が須磨の地に移したのが始まりとされています。仁王門へと続く龍華橋綺麗だよね仁王門・龍華橋(におうもん・りゅうげばし)仁王門は、源三位頼政の再建、仁王力士は運慶及び湛慶の作と伝えられ
幾度となく機会はあったが、他の男と違って不特定多数と経験したいとは思わない、好きな人とだけがいい。それと女遊びだけはしたらいけないと頑なに信じてる。22歳、秋田の聖母ソックリな元嫁と出会う23歳、元嫁と交際24歳、元嫁の策にはまって結婚する30歳、元嫁と同じ名前の静御前的な人と出会う、未遂に終わる33歳、離婚33歳、源義経みたいな名前の人と出会う、誕生日を聞けば義経の命日、未遂に終わる33歳、Facebookの人さんと婚約する35歳、未遂に終わる39歳、(偽りの)ツインレイ?と
イの国探検隊ファンの皆様、鰐積の皆様、アマでありカミでもある皆様、こんにちは。先の探検では、陸奥、福島県のクニを探検しました。その中で、奥の細道の冒頭に三里うんぬんとあり、粂(天津久米、久米氏)のこと、大和、月読命の勢力圏、素戔嗚尊の影響のことを言っているとの妄想でした。福島県には、飯盛山があり、讃岐の飯盛山である飯野山と共通の山だと思いました。よって、我が精鋭の探検隊員を送り込んで飯盛山を探検しています。いきなり、みちくさ話ですが、富田神社さぬき市大川町富田
街中お出かけうど〜ん🎵みつごし裏手〜(※ネイティブタカマツシチィーボーイは三越はミツゴシと濁りま〜す( ̄▽ ̄)〔諸説あります〕「義経」さん。高瀬・渡辺系のお店〜🎵ここで、いただくは・・・やっぱり「天ぷらうどん」👆席で注文する一般店ではあるけど、うどんは速攻で出て来ます(^。^)お客さんを待たせない手際の良さは立派👌「天ぷらうどん」薬味は別皿ってのも一般店ならでは。。。そして、渡辺系ならではの木の葉型天ぷら( ̄▽ ̄)ただ、本家と違うのは大きな海老1本乗せではなく、ナスや
前回からの続き(1月9日のこと)です次に目指したお寺は地図を見ると、松橋通り沿いに山門があるのかと思ってましたが、その辺りへ着いても山門が見当たらない🤔で、その先の新宮川町通りにも無いならばと、手前の大黒町通りで下がった(南下した)ら、はたして山門が見つかりました寿延寺(じゅえんじ)住所・京都市東山区大黒町通松原下る北御門町254通称あらいぢぞう御本尊一塔両尊(釈迦如来・多宝如来)駐車場なし歴史など身延久遠寺(山梨県)を祖山とする日蓮宗のお寺誕生寺(千葉県)の末寺創
源九郎稲荷神社には榊の木が二本あります。そのうちの本殿横の榊の木が枯れてしまったため、伐採することになりました。榊の木は直射日光にとても弱い木です。そしてこの酷暑。今年の春には青々としていたのですが残念です。玉串を作ったりするのにもとても重宝していました。以前いらした宮司が植えられたのだと思います。この日、掃除の会の方がいらっしゃいましたので、伐採するのにお手伝い願いました。樹木を伐採することを神様にご奉告し、今まで見守
首級とは初っ端から穏やかならぬ言葉ですね・・・。「麒麟が来る」の休止中に放送されている大河ドラマスペシャルも非常に興味深く見させていただいてはおりますが多くの方の大河評に対して一つ言いたいことがあるのですが「戦国が面白い」というフレーズをよく聞きます。しかしながら私は「戦国だけがおもいろいわけではない」と声を大にして言いたいです。「そうだ!幕末だって面白い」という方もおられるでしょう。しかし私は「他の時代だって面白いんだ」と言いたいですね。誤解のないように・・・、戦国も面
関越道で雪の為車が立ち往生している。今日で3日目かな?まだ解消は困難との事で、ドライバーなどはバスでホテルまで移動するんだそうだ。とりあえずは安心と言う事で言いたいんですが、車が動けなくなったくらいで『立ち往生』とはちょっと大袈裟じゃないだろうか。立ち往生と言うのは立ったまま死ぬ事だ。「弁慶の立ち往生」が由来ですよね。立ち往生ってこれ↑ですよ。義経を守る為に全身に矢を受けても立ったまま死んでいたと言う奴だ。車の立ち往生だって大変だけどこの弁慶の壮絶な死に様と比べるとそんな
昔、大河ドラマで「義経」をやりました。まだマリアさんと出会う前、結婚して間もない頃だったと思います。実家に帰省をしていて、ふとテレビを観るとそれが放映されていて、語り手が「こうして義経は、しずかや、しずかやと声を掛けたのでした。」というナレーションが入っていました。私は、風呂上がりの濡れた髪を拭きながら、「違うよ、"しず"だよ。」思ったのです。「しずか」ではなく「しず」と呼ばれていた。どうしてそんな風に浮かんだのか分からず、「ん?…ま、いっか」で終わらせました。配役を見てみると、静御前を演
義経と静の物語を辿っていた私は、ある時神社に御参りに行った途端、「吉野に行かなくては」と、いても立ってもいられない気持ちになりました。それまでに何度もマリアさんから、「吉野に行かなきゃね〜」と言われていたのですが、スイッチが入らなかったのです。その場でマリアさんに電話をして、吉野に行きたいことを伝えると、「今なのね!分かった!」と全ての予定を整えてくださって、急遽翌日、一緒に吉野山に向かう事になったのです。その時私はどうにもならない辛い恋をしていて、悲しみと苦しみに打ちひしがれていました。
東北の歴史文化を体感できるテーマパーク『歴史公園えさし藤原の郷』内にあるレストラン清衡にて、平安時代食をいただいてきました。文献や資料を紐解き研究された平安時代食。秀衡公や義経が食したであろう食事が再現されています。今回いただいたのはこちら、『義経の宴』(税別¥3,500)です。当時は1日2食の生活だった為、この3倍量が1食分として用意されていたそうです。平安貴族の食生活は本物志向であり、旬の食材を取り入れ、素材の味を存分に活かした内容だった為、調味料は別に添えてあったそうです。今回
哀しくも美しき英雄源義経あのタッキーが表舞台から去る…!!という物悲しさとともに再視聴した作品です。日本の歴史に美を添えた悲劇の武将・義経の大河ドラマです。●あらすじ●平治の乱で父・義朝が敗れ、母・常盤が清盛の元に投降したため、幼少期を清盛の元で過ごす義経。後に鞍馬寺に預けられ僧になるべく暮らしていたが、源行家から自らの出生の秘密を知らされ武士としての道を志し、藤原秀衡を頼って奥州に向かう。機が満ちると兄・頼朝の下に参陣し武勲をあげるも、時代に翻弄され悲劇を迎える。
毎年ゴールデンウィークに行われる藤原まつり『義経公東下り行列』のポスターを掲載中です(^^)今年の義経公役は『寺田心(てらだこころ)』さん愛知県出身。2011年に芸能活動を始め、13年に「とんび」でテレビドラマデビュー17年にNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」23年には連続テレビ小説「らんまん」に出演歴代最年少15歳初々しい義経公姿が見れるのではないでしょうか(^^)昨年の義経公役は『犬飼貴丈(いぬかいあつひろ)』さんでした
静を意識してからというもの、沢山の情報が入ってくるようになりました。それまでは、引き寄せの法則とよく言っても、自分自身が向き合う「それ」をしっかりと意識することで、気づいていなかった情報に気づけるということなんだと思っていました。でも、それを超えた、「お知らせ」のような情報があって、それは誰かの口をついて出たり、ふと目にしたものであったりと、思いもよらない形でもらたらされるのです。静に向き合う決心をしたある日、子供たちとドライブしていました。早朝の出発で、子どもたちは後部座席でぐっすり眠
おはようございます。源九郎稲荷神社宮司です。ブログをご覧いただきありがとうございます。随分涼しく、いや寒いと感じる奈良です。源九郎稲荷神社では新しい御朱印をご用意しました。絵馬の狐さんです。結構、ご好評をいただいております。御朱印帳のページに加えていただけましたら幸いでございます。皆様のお越しをお待ちしております。授与品等の郵送は現金書留のみ受付しております。詳しくはこちらをご覧く
吉野山の文字を見ただけで涙が止まらなくなった私は、ただ黙々と義経と静が別れた吉水院に向って歩いて行きました。義経と静の物語を追うようになってから、何度も夢の中に一本の桜の木と、その下で俯いて立っている和装の女性の夢を見るようになりました。そして、突然「千本桜」という曲がタブレットから流れてきたり、子供から聞くように言われたり、まるでその曲に囲まれているかのような日々がありました。千本桜とは吉野山に咲く、桜たちです。吉水院には、義経が着けていたといわれる甲冑や、弁慶が深く思慮したと言われる場所
2021年7月21日能登半島を一周するドライブです。「千里浜なぎさドライブウェイ」「能登金剛」「増穂浦海岸」と時計回りに車を走らせています。能登金剛といわれる海岸沿いには、いろんな形の岩があって面白いです。ところどころにあるパーキングに車を止めて写真を撮っています。ライダーの皆さんとも、たくさんすれ違いましたよ。ところで、下の写真の岩、何かに似ていると思いませんか。ちゃんと目玉まで付けてありますね。はいっ、皆さんはもうお判りでしょう
斎さんがまだ霊力士(霊能者)として駆け出しの頃、名も無き神に命を狙われて刺客を差し向けられたそうです。主君に裏切られ、さ迷っていた某僧兵です。怨恨に囚われ、その恨みをすり替えられて斎さんを憎い仇だと思い込まされたのです。正気に戻ると号泣して謝罪したとのこと。武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)の死の真相は世間で知られている話とは違う模様。敵兵に完全に包囲され、いよいよ年貢の納め時という窮地に陥った際、判官びいきで美化されている源九郎判官義経(みなもとのくろうほうがんよしつね)は弁慶に表から討
おはようございます(^_^)✨『ととら』です(^_^)✨今朝のカメさんです(^_^)✨✨甲羅干し✨をする『義経』です(^_^)✨皆様、今日も、1日、楽しく過ごしましょう(^_^)✨※『義経』✨ニホンイシガメ✨♂甲長14.5cm
2024.3.6(日)中尊寺金色堂展inサイコス・ファミリアウダウダうるさい主人に運転させて、家族で美術館へ!(メルカルは寝た)私は学生時代、先生に美術館へは何度か連れてこられていました。くっそつまんない、まじ早く帰りたい、ちょー時間の無駄、暇暇暇!!!!って感じで、まー興味がない絵とかを勉強だと言って見るのが嫌いでしたただ、母親と行く美術館は割と好きでした今でも竹久夢二やミシャ展は覚えてて、竹久夢二は当時の小学校の先生に「下の中」みたいにバカにされて悲しかったな…(この先生は私