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探索日2008/03/22氷川駅(現奥多摩駅)と水根駅を結んでいた6.7kmの貨物線1952年11月開通、1952年12月16日運転開始1957年5月10運行終了正式には廃止されておらず、休止線として現在に至るセメント工場から飛び出す高架橋第一氷川トンネル水根方口トンネル内をのぞいてみるむこうに日原川橋りょうが見える民家の庭になっている廃線跡この先が日原川橋りょうどうせ不法占拠なんやろから、庭を通って橋の上を歩きゃよかったなこの画像やとわかりづら
大分市の大分駅の隣駅でもあります日豊線西大分駅は、これまでも当ブログでもご紹介しておりますように、大分地区の貨物の拠点でもあります駅でもあるのが特徴であります。この西大分駅では、旅客列車に関しましては、画像2にもありますように島式ホーム1面2線となっているのが特徴でありまして、画像の南福岡車両区の813系電車や大分車両センターの815系電車などと言った普通列車が停車する駅でもあるのが特徴の駅でもあります。尚、上の画像1の駅舎はJR貨物の駅舎として存在しておりますが、現在は運
県外への移動を自粛中なので近所をドライブ今日は名鉄三河線(海線)の廃線跡の公園に行ってみました碧南から先、2004年に廃線になった吉良吉田までの路線のうち、旧三河旭駅までの間が整備されてレールパークになっています近くのスーパーのPにクルマを停めて、少しウォーキングスタート地点近くの名鉄三河線碧南駅現在はここが終点です駅舎は工事中吉良吉田方面は廃線になっているので線路はここで終わり反対側を見た所昔はここから先にレールが続いていましたちょっと先で再び碧南駅方面を見た所
探索日2014/05/03岳南鉄道(現岳南電車)本吉原駅を所管駅としていた専用線踏切跡レールが残る踏切の先が工場(訪問時は大昭和加工紙業今泉工場)への進入口工場内を激写構内線は車のとこで左へカーブする踏切跡から本吉原駅方面を見る大昭和製紙線は黒いミニバンのとこへむかっていく途切れているレールが大昭和製紙に続いていたとなりは謎側線右端は岳南電車線これも専用線の一部かこの側線は本線と接続していた?右が大昭和製紙線
探索日2012/05/04中央本線千種駅から分岐していた軍用線柵の左を中央本線が走っている造兵廠線は右へ分岐していく丸兼木材の場所が線路用地道路やなく、道路の右沿いが線路跡区画をななめに横切る点に注目していただきたい道路の左沿いが廃線跡道路の左、豊年公園の場所が軍用線跡道路の左が廃線跡右折車線の左沿いが元鉄道用地この先の線路跡は一時消滅するここからの線路跡は道路になる道路が廃線跡鉄道時代のカーブが残るここが造兵廠への進入口奥へ続く道路が構
探索日2014/08/12小牧駅地下化にともなう線路移設切り替えは1989年北側の地下進入口廃止直前の旧線は右側を走っていた高架橋は2006年に廃止された桃花台新交通工事中は仮設線に移動していたようなので、オリジナル旧線は現在線と同位置と思われる道路、草むらの位置を仮設線が走っていた側溝右が旧線用地土地境界線が道路に対してななめになっている点に注目していただきたいホンダオデッセイ(グレーの車や)の停まっているとこが旧線跡区画に対する側溝の角度に注
探索日2014/08/12名古屋鉄道犬山線木津用水駅を所管駅としていた専用線廃止は1968年らしい踏切跡白線の右に専用線があった看板の立ってるとこが線路跡空き地が専用線用地むこうが木津用水駅工場方面を見る東洋紡績線は民家の間へ続く左端の道は線路の跡ちゃうぞ道路になった廃線跡鉄道時代のカーブを忠実に再現道が廃線跡犬山線を6000系電車が走る線路跡の道路はここで終わりこの先は住宅が建つ民家のならびが廃線跡右は木津用
当ブログでもこれまでもご紹介しておりましたように、福岡県北九州市にあります日田彦山線石原町駅より南側田川寄りには、上の画像にありますように石灰石が採掘されている姿を見る事ができております。この地は、観光名所でもあります「平尾台」と呼ばれます石灰岩からなりますカルスト台地が存在しておりまして、そう言った事から石灰石が豊富な場所でもあります。そんな平尾台の一角に石灰石が採掘されております三菱マテリアル東谷鉱山が存在しております。そんな東谷鉱山からは、かつて貨物列車が運行され
探索日2014/12/28紀勢本線高茶屋駅から分岐していた軍用線終戦直後に廃止されたと思われる海軍工廠線は紀勢本線の右に隣接して走っていた撮影地点がそれっぽいけど、ここは跡やないわ工廠線が走ってたんは、右端の畑部分工廠線は写真右端を通過わずかに残る路盤跡奥へ直進する海軍工廠線専用線はこのへんを奥にむかって通過特に跡は残っていない住宅のならびが廃線跡軍用線は津興産業の右へ続く右の土盛りは築堤跡か?左の築堤部分が線路跡土
中央本線旧線(高蔵寺~定光寺)2007/03/17ユニチカ豊橋工場専用線2008/03/24新所原駅渡り線跡2009/03/20小野田セメント田原工場専用鉄道2009/03/21トヨタ自動車上郷センター専用線2009/03/21ユニチカ岡崎工場専用線【2009】2009/03/21東レ岡崎工場専用線2009/03/21日本油脂武豊工場専用鉄道2009/03/22日油衣浦工場構内軌道2009/03/22日本肥糧半田工場専用線(半田駅分岐)2009/03/22日
北陸本線旧線(市振~親不知)【2003】2003/03/22信越本線旧関山駅2007/03/19北陸本線旧線(直江津~谷浜)2007/03/19信越本線旧線(米山~笠島)2007/03/19北陸本線旧線(谷浜~有間川)2007/03/20北陸本線旧線(名立~筒石)2007/03/20北陸本線旧線(能生~浦本)2007/03/20北陸本線旧線(市振~親不知)【2007】2007/06/02信越本線旧線(笠島~青海川)【2007】2007/06/03信越本線旧線(青
探索日2013/04/14切り替えは1976年4月11日畦野駅方新旧線分岐点旧線は奥の民家の位置へのびていた旧線はここを通過左の築堤上が現在線旧線は地平を走っていた柵の手前沿い、植林の位置と道路が元線路用地奥へ続く旧線跡手前は踏切跡車庫と、その右の小道が旧線用地道路沿い、トヨタヴェルファイアの停まっているとこが廃線跡柵の内側が線路跡ここから直角に近い急曲線を通過山下駅前立体駐車場敷地の湾曲が鉄道時代のカーブにほぼ一致する柵の手前沿いが旧線跡ここ
探索日2014/10/11廃止は2010年3月25日上沼垂駅は現在の上沼垂信号場沼垂駅跡を北側から見る柵のむこう側に線路が並んでいた沼垂駅から西へのびていた枝線の跡沼垂東緑地となっている元は1904年(明治37年)に開業した初代新潟駅にむかっていた線の一部この先が沼垂駅奥は新潟市立万代高等学校同校は駅跡に立地する沼垂駅跡廃止は2010年と、つい最近晩年は規模を縮小させて生き延びていた照明塔かレールも健在
前回の続きであるが、まずは訂正。前回の冒頭で、昭和62年7月と書いたが、1枚目の電車の写真だけが昭和62年7月で、それ以降は平成元年2月の撮影でした。前回の競輪場前から北上して、西千葉駅前から延びるゆりの木通りの先へ。白黒写真は作佐部郵便局の前から千葉駅方向を撮影。カラー(現在)は少し引いた位置で撮影。白黒写真に大きく写っている建物とカラーのオレンジ色の建物が同じである。千葉経済大付属高校の南側。ここから学校の西側へ回り込んで行き、レールセンターへ到着する。当時、
今日の十和田は、曇りのち晴れで、気温は30℃に達し、今年初めての真夏日になりました。暑かったです。先日から、以前、十和田観光電鉄の線路のあった空き地に、黄色い花がたくさん咲いているのを見かけます。yahoo知恵袋でも分りません。Googleレンズで調べると、「セイヨウニガナ(西洋苦菜)」のようです。これが花です。ハナニガナによく似ています。知恵袋では、「キバナコウリンタンポポ」では、とありましたが、違います。ニガナの仲間であるのは間違いないと思います。
貨車や荷物車のお話が続いたのですが、今回は少し趣向を変えて、専用線のお話をさせていただこうと思います。最近は、専用線自体が少なくなってしまいましたが、今から30年以上前の昭和59(1984)年2月、国鉄がヤード系輸送を廃止するまでは、多くの私鉄でも貨物輸送は行われていました。関西地域だけを取っても、狭軌の南大阪線や南海電鉄、小さなところでは有田鉄道や紀州鉄道、野上鉄道でも貨物輸送を行っており、国鉄の貨車が直接乗り入れていました。野上電鉄南海電鉄、こちらでは住友金属向けの輸送がありましたので