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以下の一文は、ミュージシャン・大瀧詠一の、その生涯をたどったものです。いわば評伝の類いです。このようなものを書くぐらいですから、自分は大瀧のファンなのですが、よく聴く作品ははっぴいえんど期とソロ初期のみで、あとはロンバケの数曲ぐらいです。よって下の記述も、いささか偏ったものであることをお断りしておきます。構成としては、大瀧詠一と細野晴臣の関係性を骨子としました。大瀧が世に出るには細野との邂逅が必須でしたが、そこに至るには数人の方たちが介在していました。彼らが大瀧を音楽の世界に導いたといえま
~~~細野ベース特別編“夏に聴きたい細野ベース楽曲”ベスト20選プラス解説1~~~M1「夏なんです」(はっぴいえんど)作詞:松本隆作曲:細野晴臣1971年11月20日発売アルバム『風街ろまん』。(シングル「花いちもんめ」B面)「夏なんです」(はっぴいえんど)何回も取り上げてるから以前と同じような事を書いていたら、お許し下さい。夏の細野さん楽曲といえば、これを外せません。まずは松本隆さんの歌詞。“田舎の白い畦道”“鎮守の森はふかみどり”“埃っぽい風が立ち止る”
三年前NHKで放送された『細野晴臣ファミリーヒストリー』。この番組の再放送が先月あり、以下はその「文字起こし」となります。ファミリーヒストリーはいつも、最後のクライマックスで盛り上げます。この細野晴臣の場合も、父方の祖父の、タイタニックからの生還にまつわる、いわれなき中傷が払拭されたシーンがラストでした。歳のせいか涙腺がゆるくなっている自分は、ここで感極まり涙をこぼしてしまった。妻の前での、思わぬ不覚でした。しかしこの文字化は、効果的な音楽も抑揚のきいたナレーションもありません。拙い
本日はYellowMagicOrchestra(YMO)「ライディーン(RYDEEN)」(1979年リリース、アルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』収録、1980年シングルカット)です。前作『イエロー・マジック・オーケストラ』が日本国外でもリリースされることが決まり、次のアルバムでは海外でのリリースを意識した作品作りを行うことになります。その間にYMOメンバーはアルバム用に作曲を行ったりしますが、各個人がスタジオ・ミュージシャンとしても売れっ子であるが故に、越美晴さん、近田
~~~細野晴臣さん。7月9日で72歳になられまして、Twitterでは書いたのですが、アメブロに書いてなかったので、こちらにも。おめでとうございます。“細野さんの関わった音楽”底なし沼にハマったかのように抜け出せません。これほど長年に渡ってハマっているとは、最初は思わなかったです。というのは、細野さんの音楽を最初に聴いた時に感じた。“暗さと不気味さと不思議さ”簡単に言えば“変な曲”wわからなかったんです。つまり、いきなり細野さんの曲にハマったわけではなかったんです。例
この稿は、あの伝説のロックバンド、はっぴいえんどの全曲解説集です。いろんな本や雑誌に書かれていた、各曲の評論やコメントをあつめてみました。音楽評論家やライターの方たちの表現は、ときに難解な面があります。しかし一方で、ストンと腑に落ちる言葉も多々あります。自分の好きな音楽と、想いを共有する人たちがいることは、とてもうれしいことです。この歓びが、本稿作成の動機です。引用させていただいた、執筆者のみなさまに感謝します。さてまずは、ファースト・アルバム、通称『ゆでめん』です。ご存
追記します。大滝詠一我々の世代以降は、ビートルズを(近代)と受けとめている人が多いんです。(全てはビートルズから始まった)というような。55年、或いは56年の(ロックンロールの誕生)の時も同じような構造でしたが、あれは(アメリカの国内)で起きたことでした。64年は(英国からの改革)というのが、(アメリカンポピュラーミュージック史)としては全く新たな現象でした。私の役目は(63年と64年の間がどう繋がっているかを明らかにすること)ではないかと、そう思っておりま
ベーシストのトオイダイスケくんにベースを習っています。今日は3回目のレッスンだった。かつてたくさん共演した素晴らしいベーシスト、そしてピアニスト(!)。彼と出会って12、3年になると思うけど、一貫して僕は彼の演奏と、音楽に対する深い造詣、そして思想に対して憧れと尊敬を抱いてきた。彼から色々教わりたいと思ってきたのだが、ようやくその時がきて嬉しい。(と同時に、なぜ、このレッスンを10年前にはじめなかったのか…と、悔やまれる、とはいえ、いつでも、「今日が一番若い日」)。ベースのレッスンで
A面全編曲:イエロー・マジック・オーケストラ。1.「コンピューター・ゲーム“サーカスのテーマ”」(COMPUTERGAME"ThemeFromTheCircus")イエロー・マジック・オーケストラ1:482.「ファイアークラッカー」(FIRECRACKER)マーティン・デニー
NHK『細野晴臣ファミリーヒストリー』再現(1/3)より続く晴臣の曾祖父にあたる卓二は、幕末の安政四年、現在の静岡県浜松市の河島家に、二男として生まれた。河島家は江戸初期まで遡れる神職の家系で、幕末の騒乱では勤皇を掲げる新政府軍に加わった。戊辰戦争には勝利したものの、田畑を売り払ってまで加勢していた河島家は困窮することになる。ちょうどその頃生まれた卓二は、近くの中谷家に養子に出されることになった。中谷家は、現在の浜松市大平の農家だった。しかし卓二は農作業が好きになれなかった。
Moonlight天女のように舞う風に身体を浮かべてデビュー5年目。二十歳。曲は大人っぽくなったけど、中身は変わらない伊代ちゃん。月下美人松本伊代1985/10/25カックラキン大放送!!月下美人松本伊代(レコード音源)伊代ちゃんの声がフルに生かされたいい曲。だが、この曲は伊代ちゃんのために書き下ろされたものではなかった。元はNHKのFM番組の企画で作られた曲。1981年1月のNHK-FM「細野晴臣の作曲講座」。司会でシンガーソングライターの
NHK『細野晴臣ファミリーヒストリー』再現(2/3)から続く1956年(昭和31年)、アメリカでタイタニック号を書いた本が出版され、ベストセラーとなる。するとある一節が注目されることになった。こっそり救命ボートに乗っていたのは、中国人か日本人だった。日本人は正文ただ一人。あの正文の手記の存在は無視され、卑怯な日本人という誤解が海外でも広がることとなった。晴臣は、細野家が背負った宿命を感じていた。本の出版から41年後の1997年(平成9年)、映画『タイタニ
読者の皆さまこんばんは、アッキーです春の夜のひと時を、いかがお過ごしでしょうか?今晩は、昨日の夜中にテレビで放送していました番組『ファミリーヒストリー"坂本龍一父との葛藤福岡藩黒田家に仕えた先祖"』についてお送りしたいと思います♪見逃した方のために、全内容を詳細に解説していきます!坂本教授は昭和27年1月17日、東京都の中野区にて、父"坂本一亀(かずき)"さんと、母"下村敬子"さんの間に長男として誕生しましたそして、その御両親の家系図がこのようになって
拙稿は、下記リストの本や雑誌から、はっぴいえんどのアルバムへの、音楽評論家たちの言葉を引用させていただいたものです。今回は『風街ろまん』編となります。2nd風街は、不世出の傑作とされます。発表からほぼ半世紀、多くの評論が活字になってきました。しかし各曲ごとの評論を、ひとつにまとめたものはないはずです。以下をお読みいただければ、風街の世界を、また新たな視点でとらえていただけるはずです。引用元リスト『定本はっぴいえんど』『音楽社会学でJ‐POP!!!』福屋利
小坂忠「ありがとう」。【「ありがとう」シングル・レコード・ジャケット】1969年、小坂忠は細野晴臣、松本隆とともに日本ロック黎明期のロックバンド「エイプリル・フール」のボーカリストとして活躍。【APRYLFOOL中央が小坂忠】1971年に発表されたアルバム「ありがとう」は、ソロ・アーティスト”小坂忠”のデビューでした。【アルバム「ありがとう」】このアルバムは、ミッキー・カーティスプロデュース作品となっていますが、実質は、細野晴臣が全面的に協力し、特にシングルにもなった「
坂本龍一、YMO、イエロー・マジック・オーケストラ、こいのぼり、端午の節句、細野晴臣、高橋幸宏、テクノポップ、歌謡曲、洋楽、ロック、クラシック音楽。トップページ・プロフィールこれまでの曲目リスト歴音35.鯉は龍をめざす・前編~坂本龍一の音楽~今回は、昨年書きましたコラムを加筆修正して掲載させていただきます。気がついたら、今年も、5月5日の「端午の節句(たんごのせっく)」がやってきますね。「菖蒲(しょうぶ)の節句」という古い呼称もあります。近所で「こいのぼり」を見ること
朝っぱらから「はっぴいえんど」を聴く、気だるい入院生活(ToT)「ゆでめん」を看板にしてる店って、あるんかしら?うどんもラーメンもゆでめんですちょいと調べたら、なんと、ジャケットの「風間商店」は、ちゃんと実在してたんですね(ΘдΘ)いまでは「風間商店跡」というモニュメンしか残ってませんが、いったいどんなメニューやったんやろ?めっちゃ気になる(ToT)
ここまで多くのミュージシャンと忌野清志郎との交流を書かせてもらいました。主に清志郎より年上のミュージシャンとの話題が多かったのですが、さすがに大滝詠一さんは、普通に考えても清志郎とは絶対接点なさそうです。というか、清志郎に限らず、お会いしたことのあるミュージシャンって限られた方しかいないんじゃないかな。大滝さんも群れることが好きそうではないし、全く社交的なイメージは沸いてきません😅。しかしです。清志郎と大滝さんの間に、細野晴臣さんを置いて考えてみましょう。あれあれ!とてもとても清志郎と
はあい!庶民派セレブ代表のカイルです。最近すっかり昭和歌謡にハマってるんだけど、その流れで、昭和歌謡の職業作家さんたち(作詞家や作曲家)が高学歴の人が多いということに気づいてしまった…!作詞家さんはもちろんその傾向が強いんだけど、なんと編曲家も!作曲家はケースバイケースかな。ということで、ちょっとシリーズで綴っていきたい第一弾は、やっぱり永遠のアイドル、聖子ちゃんです!(タイトル、作詞家、作曲家、編曲家の順)1裸足の季節三浦徳子小田裕一郎信田か
はあい!庶民派セレブになりたいカイルです。昭和歌謡ブームがきているということで、とてもSparklingな日々。さて、第一弾が聖子ちゃんだったので、次はやっぱり明菜でしょう!年末のディナーショーもいけるといいな。聖子のシングルは固定された作家が目立っていた(松本隆、三浦徳子、ユーミン、細野晴臣、財津和夫、小田裕一郎)のに対して、バラエティに富んだ作家を起用していると思います。特に後半期はマイナーな作家さんが多く、「Fin」以前は大御所の起用が多かったけど、それ以降は挑戦的
「ボ・ガンボス」クレイジーな天才が火花を散らし、一瞬の明るさを醸し出してパッと消えた。ボーカルのどんとは不思議な人である。京都大学工学部石油化学科を卒業している。ただ石油を掘らずに彼は音楽家という破廉恥な人生を選んだ。どんとの人生は1人テロリストに近い。テロリストなんていったら怒られるかな。一人革命家とでも言っておこう。「京大卒で1人ぐらいこんなんがいても罰当らんやろ?」と生きていたら笑って言っただろうが(もしくは散々言っていたかもしれない)どんとはまさにアバンギャルドな短い一生
みなさんは「細野晴臣」という愉快で愛らしい妖怪を知っていますか?いきなり失礼なことを言ったかもしれない。けれど、細野晴臣には科学的には説明し難い「念」のようなものを感じる。まるで「天国」がどんなところかを知っているかのように。彼の曲にはそんなパワーがある。あの日から、細野晴臣のソロ作品ばかりを聴いている。それも「はらいそ」以前の作品に集中して。ちなみに、坂本龍一のソロ作品は真逆で、装飾品の一切ない、「/04」「/05」が今の調子には合っている。『ぼくはあと何回、坂本龍一の音楽を聴く
前回に続いてYMOから。本日はYellowMagicOrchestra「中国女(ちゅうごくおんな・LaFemmeChinoise)」(1978年リリース、アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』収録)です。YMOメンバーの一人、高橋幸宏さんは高校在学時にはスタジオ・ミュージシャンとしてプロの世界に入りました。「東風」でも述べましたが、その正確なリズムとタイトなドラムで多くのミュージシャンのドラムを叩いてきました。そんな中で1972年に、加藤和彦さんの誘いを受けて、脱退したつのだ
私の家の近くに、「静岡市民文化会館」がありますが、ここはRCサクセションファンの間では有名な「静岡ビニ本事件」😅の舞台となった場所です。静岡ビニ本事件とは、静岡市民文化会館でのRCライブ時、ステージに投げ込まれたビニ本を清志郎がステージで客席に向かって広げたのですが、これをきっかけに、静岡市の教育委員会から、RCのコンサートへの生徒の出入り禁止を各学校に通達したという内容だったかと記憶しています。ホールも貸さないことになったようです。最近、急にこの事件の事を思い出し検索したら、1981年横
1983年11月21日CBSソニーからポスト松田聖子として松本隆作詞の「ひとりぼっちは嫌い」でデビューしたのが高橋美枝です。カップリングの「ピンクの鞄(トランク)」なんて、作詞:松本隆作曲:細野晴臣編曲:大村雅朗という松田聖子の楽曲制作でおなじみのメンバーで作られた名曲なのです。2曲目の「エンジェル•フィッシュ」とカップリング「ダブル•デート」も同じく聖子スタッフでの強力シングルとなったのですが…2枚のシングル共にオリコンチャート100位にも入らず…惨敗。当時、『レッツゴー•ヤ
夢の中へ/ハバロフスク&マフィアハバロフスク&マフィア:井上陽水vo.g、忌野清志郎vo,g、高中正義g,ukulele、細野晴臣b、チト河内UNIT1991年8月25日開催のロック・フェスティバル「ACOSTICREVOLUTIONSTARSTOCK91」(福岡市郊外「海の中道海浜公園」野外劇場)のトリを飾ったバンド「ハバロフスク&マフィア」。あり得ないぐらいの超豪華メンバーで構成。*~*~*~*~*~*~*~*~
https://youtu.be/8VglEdCY--Y「ろっか・ばい・まい・べいびい@HYDEPARKMUSICFESTIVAL2005」1973年のソロ1枚目『HOSONOHOUSE』A面の1曲目の曲だ。この時のライブも映画で使われていました(ネタバレの範囲外かな)狭山は米軍払下げのハウスに住み。自宅に簡易スタジオを作って録音をしたのです。「とにかく安くて広かった」って言ってました♬「イエローマジックショー、松尾芭蕉、おねしょ」細野
幼稚園の頃から2009年までの個人史。昔に読んでいなかったか?ドビュッシー、細野晴臣と高橋幸宏氏のユニットSKETCHESSHOWを購入していなかったから読んでない?音楽は自由にする(新潮文庫)Amazon(アマゾン)WONDERFULTOMEProvidedtoYouTubebycommmonsWONDERFULTOME·YellowMagicOrchestraLONDONYMO-YELLOWMAGICORCHESTRALIV
皆さん、ばこんち!晩プロ―!こにゃにゃちハロー!最近は、プログレ特集の続きとハードロックの回に移った時の準備などで、録音とその後の選曲やYouTube曲探しで忙しい。汗NWOBHMの録音作業では、取りあえず録音した曲数は軽く600曲を超えて、選考に残った曲は約80曲。そこからまた違うCDで同じ曲やテイクがダブった曲があるので、削除してたら残ったのが50曲位。さらにその後にまたウィッチ・ファインドなどのBoxCD3枚組などを録音して選定したらまた80曲位に…←この人バカ
市川実和子『PINUPGIRL』1.ポップスター(作詞:小野小福作曲:大瀧詠一編曲:多羅尾判内)2.DoYouWannaPlayGame(作詞:小野小福作曲:鈴木慶一編曲:井上鑑)3.ガラスの林檎(作詞:小野小福作曲:平松愛理編曲:井上鑑)4.四回目の卒業式(作詞:小野小福作曲:杉真理編曲:井上鑑)5.遠い夜空の打ち上げ花火(作詞:小野小福作曲:井上