ブログ記事217件
2021年にガンを患い、健康で居たいと思う気持ちが強くなった。健康でいられるならとこの二年努力してます。努力してもどうにもならないこともたくさんあるけどね。信じる、信じないは人それぞれだけどもタラの木を研究されてる方にご縁があり、お話を伺い、タラの木を分けていただいたのです。タラの木知ってます?タラの木の効能↓何だかよくあるガン患者相手の話しだよなーと思ってはじめは聞いてたけど、ガンを患った人達を大勢生還させた方。去年、研究でやっと抗腫瘍作用があると認められたという。某大学薬学
生まれた時から何十年も片時も自分から離れず、一緒に過ごした体の一部が無くなり、手術後は腫れたり痛みが出たり後遺症で動きがうまくいかなかったりと新しい自分の体との付き合い方に慣れる作業がいりますが退院まで時間はたっぷりありますのでああ、こういう動きがやりにくいんだなぁとかこういうものを食べるとほっぺにくっつくんだなぁ(パン・クッキーが該当)とか確認しながら過ごしました。4ヶ月程経った今は治ってきている部分もあり慣れてきた部分もあり病人モードからは脱出しつつあります。
退院後も痛み止めのロキソニンは飲んでいるので術創部の痛みで困ったことはありませんでした。でも退院後の実生活に戻って手術前と同じようにはもちろん動けないだろうなと思っていました。私が特に支障があったのは頸部郭清の影響による腕、肩、首、です。自分で調べたのと理学療法士の友達に聞いた話で私が理解したところを書いていきます(間違ってるところもあるかも)。神経・筋肉等温存した場合です。首のリンパ節を切除するとき首の副神経をグイッとよけて固定する為副神経に一時的に障害がでます。
いつもは過去のことを書いてますが今日は昨日(2018/11/1)聞いてきたCT検査の結果を。手術から約5か月後の10/25に手術後初の造影CTを胸部〜頭頸部で撮りました。どこかにしこりがあったわけでもないのに再発してたらどうしようきっと再発したら2年くらいで死んでしまうというか、局所再発だったら再手術でQOLも大きく損なわれてしまう…やっと普通の生活になってきたところでそれはへこむ…と、かなりブルーでしたがネットでO医大病院のデータを見ていて「疾患特異的5年生存率(耳下
大きい病院へ、と言われてすぐに思いついたのは歩いて行ける距離にあるT部医療センター。ちょうど友人も乳がんの治療で通っている病院でしたし近所だし、という事で。症例数とか名医とか何にも考えずに病院を選び紹介状を書いてもらい翌日に行きました。翌日、病院で案内されたのは耳鼻咽喉科。先生は紹介状を読んで患部を触って病理結果の紙を黙って見つめ難しい顔で考え込む事1分。これは耳下腺腫瘍というもので追加で手術をして取り除かなければならないという事を説明してくれました。先生の後ろで研
【放射線治療】1日に人体に当てる放射線量は大体決まっているようで頭頸部癌でも乳がんでも1日2グレイだそうです。(サイバーナイフとかは一回にもっとたくさんあてるみたいですね)だので私は総量50グレイあてる計画なので25回(25日)あてることになります。毎日です。間を空けると逆にがん細胞が活発になってしまったりするそうです。怖い。しかし病院は土日祝日お休みなので7月だけでいうとこういう感じのスケジュールになります。これだと21回しかないですから6月末から8月頭まで
手術から22日目。退院から2週間後。退院してからはじめての外来日。手術で切除した部分の病理検査の結果が出る日でした。すでに癌腫は粘表皮癌の高悪性ということは分かっています。切除した断端が陽性か陰性か。ネットで様々な文献を見ましたが悪性度が高いと予後が悪い。5年生存率50%以下。なぜならリンパに転移しやすいから。確かに最初、私が一生懸命探した同じ高悪性の方の話。皆さん一次治療の時点でリンパに転移されてる方ばかりでした。しかし、低悪性でも高悪性でも取り切れていれ
手術の翌日。アゴがあまり開きませんが口から栄養が取れるので点滴はサクッととれました。点滴がとれてからは痛み止めなどの薬を口から飲みます。朝昼晩食後・ロキソプロフェン錠60(ロキソニンのジェネリック痛み止め)・レバミピト錠100mg(ロキソに対しての胃腸薬)・アデホス錠20(顔の麻痺を早く治すため)・メチコバール錠500μg(顔の麻痺を早く治すため)メチコバールは赤い包装でカッコよくて気に入ってます。痛みが強い時に・カロナール錠500mgを飲んでよしとの事でした。
放射線治療がスタートする前に1つ準備があります。毎日1センチとずれずに同じ場所に放射線をあてる為顔を固定するマスクを放射線技師さんに作ってもらいます。「マスクシェル放射線」で画像をググるといっぱい出てきます。作り方は簡単。そうに見えてコツがありそうでした。最初に、顔と名前が一致するためにデジカメでパチリ。次に材料。ネット状の白いプラ板を用意。大きさは放射線をあてる範囲で変わるようで最初、肩まで固定するL(?)寸を用意していただいてたようですが私は首のリンパに
吐き気が突然くるので酸素マスクが邪魔そうに見えた家族がマスクを頭の上に一旦ずらしてくれて少し部屋を出てた間に主治医先生が来ました。「頭に乗っちゃってますよ。もうとっちゃいましょうか。」と、笑いながら酸素マスクをとってくれました。ふと、ほぼ全く同じ事を以前の自然気胸の手術後にもやって(違う病院)その時の先生が頭の上の酸素マスクをとってくれた事を思い出しました。手術後に酸素マスクで烏天狗風になる患者…家族には頭の上に載せないよう指導しておきます。余談でした。さて、私は
手術が終わって家族や看護師さんや主治医先生が様子を見に来てくれます。皆一様に、まず、苦笑いの様に笑うのをこらえた感じで自分の口を指差し「これ…」「これね」と言います。何かと思っていたら手術中の呼吸の為の気管チューブが唇に引っかかってしまっていたようで腫れて勝手にアヒル口になっていたそうです。悲壮感がなくて良かったです。ワセリンくれました。手術の結果は最善の予定通りに終われました。神経との癒着はなく耳下腺全摘。頸部リンパ節予防的切除副神経や筋肉は
最後のMRI検査までは診察から19日後と期間が結構長くて簡単な手術で病巣を取ってしまってから1ヶ月もたっていました。さすがに播種の恐怖で寝れない夜もありました。正直この頃が精神的に1番きつかったです。それからは「夜は思考が暗くなるから病気のことを調べるのはやめる。調べるなら昼間、出来れば他に人がいる時。」をマイルールにしました。MRI検査去年の秋に閃輝暗点がでて半年前に脳のMRIを経験したばかりで(造影剤無し)大きな音がするのは知ってましたがその時私は寝れちゃうタイプだった
「手術前に3つ検査をしてもらいます。」その内のひとつ、CTはその日のうちに撮れました。造影剤を腕から注射して撮影します。針が太くてちょっと痛いですよと言われます。検査前にリスクとかアレルギーとかヨード造影剤に対しての同意書にサインします。友人はヨード造影剤にアレルギーがあったらしく最初吐いたり冷や汗だらけになったり大変だったそうですが他の種類の造影剤もあるから今は平気やで、と言ってました。私は造影剤は初めてでしたがびっくりするくらい体が熱くなるとネットで読んでいたので覚悟
「そっちは嫌だ。痛いし、吐き気で気持ち悪くて、身体が重くて、嫌な事をいっぱい考えなきゃいけなくちゃいけない。嫌だ。そっちは嫌だ。」パチ。という目覚めでビックリしました。「終わりましたよ。顔面神経は残せましたからね!」との主治医先生の言葉にもピンとこない程憔悴しきっていました。私はとにかく全身麻酔との相性が悪いようで腕で血圧を測るだけで吐き気。話すと吐き気。なので、会話の返事はすべて「ゔぅ…」でした。その様子を絵にしてもらったのがプロフィール写真です。ただ、がっちり痛
MRI検査の翌日。主治医の先生から電話がありました。「明日(木)診察で来てもらうんですけど、明後日(金)入院、月曜手術で良ければ手配しちゃいます」との事。わざわざ電話してくれてこんなに急ぐなんてどんだけ検査の結果が悪かったのかとドキドキしました。が、後に入院で同室になった方(癌偽陽性)も同じような流れだったそうなのでこういうものなのかもです。播種が怖いので早いほうがいいとも先生は言ってました。この時の患部の状態ですが最初に病巣を取ってしまったところが耳の真下から2セン
(10/22の投稿の続き)頭頸部外科の診察で放射線の追加治療が決まったのでその日のうちに放射線科の先生から説明を受けます。外科手術もそうですが放射線治療も永年にわたり後遺症が残ります。大事な治療です。治療計画を立てて下さる放射線科の先生も主治医と同じくらい重要な関係となります。診察に呼ばれドアを開けるとわかーいひょろりと背の高い先生。(若い。大丈夫か…)と、一瞬たじろぎましたがふと足元を見ると家族が勤めているシューズメーカーの靴を履いてくれている。(先生
発覚まで右耳の耳たぶの前あたりに触ると分かるくらいのプックリがある事は結構前から知ってました。1センチくらい。気づいてから半年は経ってたと思います。見た目には全然分かりません。触っても痛くない。顔面神経の麻痺もなし。でも何となく耳の奥に当たってるような感じがしたので、近所の整形外科に行きました。ほっといても全然平気な感じでしたが元々ガングリオンができやすい体質だったので多分これもそうだろうと軽い気持ちで行きました。注射でサクッと抜き取ってもらえると。しかし先生は耳にガ
ブログはこちらをご覧ください。Niyonの日々耳下腺がんと私39年間健康体だった私が耳下腺癌と向き合うことに!がん発見の過程、治療、心と体の変化を綴ります。全がんの約0.2%しかない希少癌。情報が少ない!5年生存率45%のステージⅣだけど長寿の記録を作ってやる!24chan.blog44.fc2.comInstagramも始めました!Login•InstagramWelcomebacktoInstagram.Signintocheckoutwhat
金曜日に全部済ませてしまったので土日は外泊でうちに帰りました。日曜の昼過ぎに病院に戻りましたが特に何もなく。ちなみにこの病院は眠れないと積極的に眠剤をくれます。あまり強い眠剤ではないようで日曜、手術前夜に一度貰いましたがあまりきかなかったです。でも、眠れない時は我慢せずにもらうといいと思います。手術当日の朝下剤を飲みますが出ませんでした。看護師さん曰く「別に大丈夫」だそうです。以前、自然気胸の手術をやった時全身麻酔から覚めた時に強い吐き気が出て「せ、洗面器…」と
以前、がんのステージは1か4という記事を書いたのですが最終的な診断書によるとステージは「3」だそうです。ややこしいので最初から説明し直したいのですが、わたし個人はやっぱり気にしてないのでまあそうか。という感じです。まず、最初の最初。整形外科でとってしまったのを病理検査に出す時の書類に「直径1センチ」と整形外科先生は書いてました。悪性が分かって、今の担当医先生に診察してもらった時実際の患部はもう無い状況で「1か4。。かなぁ」との事。大きさ的、転移的には、1の様だけど切