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父に関する話は、節目の月を終えたのでまた来年の4月頃に書くことにします。何回かブログに今の率直な気持ちや考えを書いてみましたが、人が亡くなった話や自分が不幸に遭った話を説明するのが難しいと感じました。「不幸自慢」はしたくない。自分に遭った不幸を自慢したり、無理に共感をさせようとするのは周りから見ると見苦しいな、と。でも何も言わないと、「この人はもう大丈夫なんだ」と思われてしまいそうで。父のこと
父が亡くなったと聞いた時の、«他人»の反応は様々でした。“私の父親が死んだ時はこうでしたから、大丈夫ですよ。すぐ帰ってきますよ”所詮他人事と思っているが故に自分の父親が亡くなった時の話を延々とした人“え、事故だったの?どんな状況で?”私たちの家族の傷口にさらに塩を塗るようなことを聞いてきた人。“この度はご愁傷様でした”父が亡くなったことを知った3時間後にかけられた言葉。一瞬で«私たちは遺族なんだ»と気付かされました。こういった数々の言葉をかけられて気づ
今日は今までアレコレとやってきたことをなんとなく辞めました。思い切って辞めてみた祝いにビールとケーキを食べました。習慣になっていたことをやめるのって解放感とともに割とストレスで不安を覚えます。この焦燥感を消すために検索魔になりそうですがさらに不安に駆られそうなので必死に抑えています。明日から五月です。気分を変えて、自分も変えていけるようにチャレンジしたいと思います。今日も読んでいただき
1週間後に大事な海外渡航を控えていた私のために父との最期の別れは駆け足でした。日曜日に事実を知り、水曜日に前夜式、木曜日に葬式。憔悴する間もなく、ただただその日にやるべきことを家族4人がこなしているようでした。(父も一緒にいたら離れたりしてました)その最中でも、«ああやっぱり現実なんだ。夢じゃないんだ»と何度も確認しました。夢であってほしい。本の世界のような言葉の言い回しですが、本当に帰ってきて欲しかったです。でも色々ある中だったけれど、昨年の春は新大学1年生
2月3日の節分の日が旧暦の節目の日でもあったので、その日に書いたもののずっと下書き保存していたことをそろそろきちんと出そうかと思い、その時の思いとマグノリアのコンサートも終わり落ち着いた今の自分の思いを整理しました。「歌と向き合う時間をいつもより作った」と2月1日の記事に書いたのですが、その理由というのは…歌の先生ではないのですが、信頼している方に「あなたの歌は響きがないから何も心に響いてこない」とはっきり言われまして。これは「歌の才能が無い」ことよりも致命的かなと。「(歌劇団の)トップ
1年前のこの日。私の父が亡くなりました。海の事故でした。厳密には4月8日に亡くなりましたが、私の家族が事実を知ったのは4月9日でした。海が好きだった人。あまりにも突然すぎた。このタイミング。なんで、どうして、何があったの。何も言わないまま。今は1年前の事を思い出すのが嫌です。ああ1年前はこうしていたなこうだったのになパパがいたらもっとこうなってたのに思い出すって辛いけど、月命日や節目の日には考えてしまう。絶望ってこういうことなんだぁ…と自覚したのは最近でした。
ブログのプロフィールにも書いていますが、昔は水泳選手とヴァイオリンの2足の草鞋を履いている時期がありました。もともとは顔に水がかかることが大嫌いで、お風呂の時には仰向けになって髪を洗ってもらっていた私でしたが、近くのスイミングクラブの短期講習に参加したことがきっかけで始めました。幼稚園の年中の秋に«お姉ちゃんは習い事を3つやってるのに私は2つしかやってないからやりたい»と父に直談判して許可をもらいました。人と交渉することを生業としている父が首を縦に振るしかない理由で
今日は、義母の命日。この1年、あっという間だったような長かったような。義母の誕生日は、今日から1週間後で、パパと同じ日だし命日は、4月1日で節目の春の日そして、エイプリルフールだから今後も、きっと忘れることはないだろうな。パパは、昨日で大学卒業後、38年間勤めた会社を退社。今日から、別の会社で新入社員として、働きます。ほんと、節目の日ですね~。
今日は八十八夜だそうです。夏も近づく八十八夜~(`ー´)ノ、立春からかぞえて八十八日目にあたる日。八十八夜は春から夏に移る節目の日で、夏への準備をする決まりの日だそうです!また縁起のいい日とされてきたそうです!。他にも八十八夜の別れ霜といういます。この頃から霜もなく安定した気候となり・・・茶摘み、苗代のもみまき、一般に農作業の目安とされています昔からされてきたそうです。そこで!!出てくるのはお茶(`ー´)ノ八十八夜とお茶が結びついたのは、夏も近づく八十八夜・・・♪と茶摘みを歌った歌!(^