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昨日(6月29日)放送された「ファミリーヒストリー鶴田真由」を見ました。先祖が新選組ということで非常に楽しみにしていました。・・・が、鶴田さんの第一声がこれ(笑)で、まずは父方鶴田家のルーツから始まりましたが、明治3年に豊後佐伯藩士だったご先祖(※)が「何か見てはいけないものを見つけてしまったために毒殺される」という、いきなり衝撃的な話。※.厳密に言うとご先祖の兄と目される人物。その後、ご先祖は同じ大分県の別府市に移り住んで網元となりますが、雇っていた網子の中に元西鉄ライオンズの鉄腕稲
5月15日(日)は、歳三の佩刀・和泉守兼定刀身展示期間の最終日でした。ご来館下さいました皆様、メッセージ・コメントや励ましのお手紙など下さった皆様、本当にありがとうございました最後の開館日に、運命的な出来事がありました。不思議なご縁で、実に150年近くたっていながら、箱館戦争当時の様子がまた一つ判るような出会いがありました。うまく書き表せるか判りませんが、絶対に忘れてはいけない事だと思うので、心を込めて記しておきたいと思います。☆☆☆☆☆15日午後、女性3人の方がご来館されて
箱館旅に戻ります函館空港で関西組のお友達と合流でやっぱり携帯って有難いっあの小さい函館空港ならすぐわかるでしょ、って思われますよね?けどあるんですよ、すれ違いラインのグループ電話、便利ということで合流して、まずは五稜郭へ五稜郭タワーを右手に見て進みます。足元のマンホール箱館戦争供養塔五稜郭に来た時は、いつも最初にここで手を合わせます。以前は駐車場近くにあったそうですが、新五稜郭タワーの完成の時、ここへ移されたそうです。8年ぶりの
ツアー最終日の午後は、歳三さんの最後の日々を追って、丁サ跡(歳三の滞在した宿)〜新選組屯所跡(旧称名寺跡・現在は弥生小学校)〜弁天台場跡〜一本木跡を巡りました歳三は、5月11日、敵に囲まれ、孤立してしまった弁天台場にいる新選組隊士ら同胞を救わんがため、五稜郭を出発、千代ヶ岡陣屋にて隊を整え旧松川街道を一本木へと進めます。「吾、この柵にありて退くものを斬る」各地で同様に味方を鼓舞してきたように、歳三は一番後方に立ち、味方を進軍させます。そして異国橋あたりまで先頭が押し入った頃
この度、唐津市に行ってまいりました。唐津市明治維新150年事業の特別企画展示「唐津藩と明治維新」展示に土方歳三資料館も協力させていただいておりますが、会期中の9月8日に「唐津藩と箱館新選組」バスツアー&トークショーイベントがあり、その中で講演をさせていただきました。唐津藩からは唐津藩士24名が、蝦夷渡航に際して新選組に加入しています。午前のバスツアーでは、この唐津藩出身新選組隊士たちの墓参と企画展「唐津藩と明治維新」を見学し、午後は講演とトークショーでした。