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人間関係ってナカナカ大変だねぇ、いけてる?ん、、それどころじゃない、コロナ?そかそか。日々の暮らしは…ときには書いてるよ、うん---------------------------------あ、これ野口五郎さんの歌だったんだΣ(・□・;)1983年というと…昭和58年だって。リンク~YouTubekurofune1044さんのチャンネル~いや~聴いた記憶はあれど、どなたの曲か、いつ頃の曲か、皆目見当もつかなかったから。いい曲だよ、なんか聴いちゃう(=´ω`=)TVド
行ってきました。「ブルーノート東京」でのライブ。あと2回行けますが、ハゲ度が増したため特定されると嫌なんで日時は誰にも教えません。今回はアメリカレコーディング版1978年「ロサンゼルス通信」と1979年「ラストジョーク」。五郎さんの音楽性の高さにファンが着いていけなくて離れて行ったといわれた当時の音楽を堪能できるのこのライブ。アメリカレコーディング前までのライブでは、ファンの「キャーキャー」も楽器の一部のような役割を果たすような素人参加型の曲調が多かった。曲調をガラッと
阿久悠・筒美京平コンビによる7枚目のシングル。「ロマンス」のNo.1ヒット以来、トップ5ヒットがこの曲で6曲続くことになる。実力派アイドルの名をほしいままにした、岩崎宏美第一次黄金期とも言えるであろう。持ち前の透明でかつ力強い声も、この時期とりわけよく伸びているように思う。この「ドリーム」と次の「想い出の樹の下で」は、高音域を活かした楽曲で、ファンの人気も高い。以前も書いたように、私は「遅れてきたファン」で、この時期をよく知らない。購入したベスト盤で、多くの曲は耳にしたことがあった、と
もういちどそうおずおずと言った時指を鳴らしてあなたは珈琲たのんだその先を言わせないのがやさしさね彼と彼女はあの頃には戻れない。太田裕美ファンの間で特に評価が高い曲。8thアルバム「ELEGANCE」(エレガンス)に収録。作詞松本隆作曲筒美京平編曲萩田光雄。「木綿のハンカチーフ」と同様、男女の対話形式の曲で4番まである。太田裕美には松本隆/筒美京平による男女の対話形式の曲が多い。「赤いハイヒール」「わかれの会話」(手作りの画集)「スカーレットの毛布」(
1975年4月25日。今からちょうど46年前、高校2年生になったばかりの16歳の少女が「二重唱(デュエット)」という曲で歌手デビューした。その少女の名は岩崎宏美、キャッチフレーズは「天まで響け」だった。作詞:阿久悠、作曲:筒美京平、編曲:萩田光雄。デビュー曲ということで、個人的には特別な思い入れもあり、好き過ぎて聴き過ぎて、客観的に語ることは不可能だ。デビュー曲ということで、宏美さんのデビューやこの曲については記述されたものも多いので、作家陣御三方の関連本からこの「二重唱(デュエッ
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先日、NHKのうたコンでGOROさんが歌われた「甘い生活」。このすごい反響にはこちらもうれしいのと驚いたのと!皆さんのつぶやき(ポスト)を読むうちに、当時のことをわたしなりに少し検証してみたくなりました。(検証って言っても、それほど大げさなことではないですが)まず、わたしのことですが・・・この楽曲がリリースされた1974年、わたしは15才でした。初めて聞いたときに「がぁ~~~~ん!!」と衝撃を受けたのをいまでも覚えています。「GOROさん、どうして
太田裕美さんとスピッツ接点がないようでちょっとある甘くほろ苦く儚いニュアンス太田裕美さんの名曲はたくさんある『木綿のハンカチーフ』だけじゃないセンチメンタルな曲なら『夕焼け』『あじさい』『袋小路』etc明るい歌なら『青空のサングラス』今夜はほろ苦い名曲太田裕美『しあわせ未満』しあわせ未満coloryoutu.be一部歌詞抜粋20才まえぼくに逢わなきゃ君だって違った人生白い夏裸足の君に声かけて名前きかなきゃ良かったよついている奴いない奴男はい
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中学生の頃、確か中間試験でお昼頃に帰宅して、ぼんやりテレビを観ていた。フジテレビの「スーパーバラエティ」(「タワーバラエティ」の後番組)が東京タワーのサテライトスタジオから中継していて、いきなり目の前に新人歌手が登場した。そして、その眩しさに目が釘付けになったのを今でもはっきり覚えている。それは、南沙織だった。当時、ビートルズやローリングストーンズを聞いていた僕にも違和感のないメロディで、一人の女の子が語り掛けてくるような歌詞で、びっくりした。今思えば、筒美京平の作曲と有馬三恵
このブログでも度々書いている「異邦人」のこと。GOROさんのアルバム「アメリカ録音4部作」と言われるものの中で、一番好きなのが「GOROINNEWYORK異邦人」(1977年9月)。わたしにとって、すべてのアルバムの中でもベストオブベストなのウォーキングタイムのお供も当然「異邦人」の確率が高く、この夏はほぼ異邦人三昧だった。洗練されたメロディ、サウンドに何度となく耳を持っていかれる。『【7曲筒美京平作品】野口五郎『GOROINNEWYORK-
はい~~、午前0時の歌謡祭、1時間、堪能しましたね楽しい時間はあっという間です。GOROさん、濱口さん、ありがとうございました。きょうは長文になるかな駆け足で17日の復習を。1)女になって出直せよ「ビックスター降臨!」という濱口さんの言葉で番組が始まりました。「GOROさん、2020年7月以来4回目のゲスト出演。もう常連ゲストと言っていいのでは?」とのうれしいお言葉。2)愛すれどさびしく(BGM)ゆらさんからのメッセージ。「愛
ライムの1985年リリースのシングル。「おもいがけない恋」ライムについては80年代に曲と存在を知るも↑のPVも今回初めて見ました。チープな電子音で奏でられる哀愁メロディがイイ感じ。ちょっと踊りにくそうな感じですがリミックスVerだと違うのかもライムはカナダのダンスユニットで、デニスとデニースの夫婦デュオ。この曲はヨーロッパ圏だけでなく、アメリカのダンス・チャートでヒット。日本ではディスコでヒットとの記載が多いのですが、↓のCMの効果も大きかった模様。三菱ミラージ
冥途の土産~俺の昭和歌謡~第2回(このシリーズを始めたきっかけはこちら)『木綿のハンカチーフ』太田裕美では、どうぞ。まるで1本の青春映画のようですお若い方は想像できないでしょうが、ヒット当時(1976年)恋人たちの連絡手段は手紙か、電話(もちろんダイヤル式黒電話)好きな人と電話で話していると、親から長電話を注意されたものですならば公衆電話電話ボックスに入り10円玉、100円玉を電話機の上に積み上げて話してました遠距離ともなれば、ビーッという音に
こんばんは♪今週もお疲れ様でした明日お休みの方もまだお仕事ある方も笠くんパワーで癒しましょう〜私は笠くんの笑顔と笑顔からチラリとみえる八重歯が好き…過去記事でも何度も言ってますが………ふふっ笠くんの八重歯チラリは笑顔メガネ全部完璧完璧過ぎます小さい頃は自分にも八重歯が生えないなかなぁ…なんて思ってました私も旦那さんも八重歯なし娘もなしで息子2人は何故が八重歯あるんですよね~♪ガタガタだけどww八重歯は歯を磨きにくいらし
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昨日の当ブログで、沢田研二さんが年をとって、かつての「ジュリー」のイメージから自然体の「沢田研二」として、「言いたいことは言わなきゃ」と歌っておられることがカッコいいのだという話を書きました。実際、この10年ぐらい、沢田研二さんがリリースされている曲はほとんど沢田さん自身の作詞なのです。そんな沢田さんと対照的?に、かつてのアイドルスターのイメージを保っているのが、郷ひろみさんです。昨年大晦日の「紅白歌合戦」に、郷さんは出場、「筒美京平トリビュート・メドレー」を披露しました。当ブログ2020年1
いやあ久し振りに電車を満喫したわ~。君津に行ったのも久し振りで楽しかったなあ。同じ県内とはいえ、千葉県も広くて、上から下へ縦に走る路線が限られているから、乗り換えが大変なので、なかなか千葉から先には行かないんだよね。館山とか風光明媚なところもいっぱいあるんだけど、車がないと足が向かないのが残念。コロナの状況が好転して、お出かけができるようになったら、まずは身近なプチ旅行に行きたいなあ。その前に実家に帰って、父の墓参りだけどさて本日のGORO活は昨日の続きで、君津市民文
古くからの宏美ファンにとっては、もはや「神曲(かみきょく)」と言ってよい。「♪肩抱きしめながら今〜」の部分を思い浮かべてみていただきたい。神々しいまでに初々しい、一点の曇りもない声。まさに「天まで響け」のキャッチフレーズがピッタリの歌声である。デビュー曲「二重唱」のB面の曲で、宏美さんが「この曲を歌うたび『歌手になるんだ』と期待に胸を膨らませていた当時のことを思い出す」とよく言われていることや、あるコンサートでマイクトラブルがあり、そのままノーマイクで歌ったことが定着したことなど、今さら
ビクター時代最後のシングル。この曲に関しては、宏美さん陣営は気合の入り方が違った。作詞に「叫ぶ詩人の会」のドリアン助川氏を起用、作曲にはデビュー以来宏美さんを音楽的に支えてきた筒美京平氏が久々にカムバック。2種類のキーでレコーディングをし、どちらが良いか慎重に論議をしたと言う。宏美さんはふたことめには「今の岩崎宏美のイチオシ曲です」と力強く仰っていた。強烈なタイトルと、「殴ってもいいですかあなたの胸を」などのキャッチーなフレーズ。そして、岩崎宏美という逸材の声を知り尽くしている筒
会社に行くのにまる半日かかるとは。通勤中のゲリラ豪雨は怖いなあ😱通勤に利用している、TXは滅多に止まらない電車なのだが、高架を走っているせいか、落雷の影響で、たまにひどい目にあう。今回は停まった駅も悪かったひとつ手前の駅なら、JRにすぐに乗り換えられたのだが、単一路線区間でほぼ陸の孤島。それでも複数のJRの駅までバスで連絡していたのが、不幸中の幸いだった。ところが広範囲の複数箇所で落雷が発生したようで、平行して走る常磐線も信号機故障のため全線で運転見合わせ。ひどい遠回りだが
童話のような街に訪ねてきたのにすれ違い三日も前に雪の汽車で消えたのさ1985年11月1日、大滝詠一さんのシングル盤「フィヨルドの少女」が発売されました。昔のシングル盤のように、ポリエチレン製の内カバーがつけられています。この曲はもともと、アルバム「EACHTIME」収録を目指して作られました。Wikipediaによれば、1983年9月にはできていたそうです。しかし大滝さんに思うところがあったのか、1984年3月21日に発売された「EACHTIME」には収録
少年隊の『STRIPEBLUE』。ヒガシ、初のセンター曲。ニッキの「照れてる間接kiss」のところが個人的に好きです。ジャニーズって伝統的に、マッチとかシブがき隊にあるような所謂憎めない「ダサさ」がDNAとして受け継がれていると思うけれど、少年隊だけは例外で、とにかくどれも粋でカッコいい。これだけのパフォーマンスをしてなお生歌で歌えるって、本当にすごいこと。まさに男性版セイントフォー。作曲:筒美京平作詞:松本隆
そろそろ大掃除に飽きてきた昨日、楽しみにしていた箱根駅伝の区間エントリーが発表された。果たして、息子の小学校以来の友だちが、大活躍した昨年と同じ区間にエントリーされた。3年ぶりに沿道での応援も許可されると言う。これはもう、応援に行くっきゃない!今から正月2日が楽しみでしかたない。😍2強と目される駒大・青学大のエース。左が田澤選手、右が近藤選手。さて、今日のお題である。口の悪い音楽ファンはそれを「パクリ」と言うが、1970〜80年代の日本の音楽シーンでは、流行りの洋楽のエッセンスを
MANNA(マナ)『CHABAKOTRICK』1.YELLOWMAGICCARNIVAL(作詞:細野晴臣作曲:細野晴臣編曲:今井裕&MANX)2.黒船(作詞:ちあき哲也作曲:筒美京平編曲:今井裕&MANX)3.椰子の木陰で(作詞:浜口庫之助作曲:浜口庫之助編曲:今井裕&MANX)4.ほろほろ草子(作詞:ちあき哲也作曲:今井裕編曲:今井裕&MANX)5.
今月の7日に偉大な作曲家の筒美京平さんがお亡くなりになられましたので…急遽予定を変更して筒美京平さんの曲を何回かに分けてブログ作成しますね僕の一番大好きな作曲家でしたのでショックです(=_=)僕のブログでも筒美京平さんの曲が一番多いのですほんとうにたくさんの曲を作ってきましたヒット曲なんといっても一番有名な曲は…アニメサザエさんの主題歌ですよね(^w^)1966年【黄色レモン】で作曲家デビュー1968年いしだあゆみの【ブルーライトヨコハマ】で初オリコン1位の大ヒット1971年【
作曲家・筒美京平氏が亡くなった。いつから氏の音楽を追いかけるようになったのかはよく覚えていないが、親の話では幼少期にいしだゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌詞の意味も良く分からず口ずさんでいたという。中学生になると、「やっぱり野口五郎は筒美京平の作曲じゃないと」と生意気にも呟いてみたり、南沙織や太田裕美、岩崎宏美の曲を聴いてストリングスに胸を熱くしてみたり、「また逢う日まで」を歌う尾崎紀世彦を観て日本人離れした風貌(クォーターであることが後に判明)と曲の格好良さに衝撃を受けたりしたことは今
今日の出品レコード。三田寛子/色づく街A面「色づく街」作詩/有馬三恵子、作曲/筒美京平、編曲/川口真B面「ピンク・シャドウ」作詩/岩沢幸矢・二弓、補作詩/三田寛子、作曲/岩沢幸矢・二弓、編曲/松原正樹A面は筒美京平作の哀愁のあるメロディーのポップ・ナンバー、B面は山下達郎もIT'SAPOPPIN'TIMEでカヴァーしている、ブレッド&バターの名曲のカヴァー吉沢dynamite.jp氏+Chintam氏・監修の「和モノAtoZ」という和モノ・グルーヴのディ
今回はひさびさに懐かしいドラマです(^^)中村雅俊主演のこんなドラマ覚えてますか❓ゆうひが丘の総理大臣日本テレビ系列毎週水曜日20時〜放送1978年10月〜1979年10月までの全40話アメリカ帰りの英語教師・大岩(中村雅俊)が夕日丘学園高校の教師として赴任する。ニックネームは「ソーリ」。型破りながらも生徒たちに対しては体当たりでぶつかる。ドラマは教師と生徒のふれあいが軸だが、豪華な出演者により、長期間にわたり作られたドラマだけあって、教育問題だけでなく幅広い要素が盛り込まれている。
2017年2月14日のブログです宮本典子〈2〉エピローグがあまりにアクセス稼ぎましたので次の新ブログまでの繋ぎに…この曲を新ブログは明日(28日)を予定して作成中ですm(__)m僕のカラオケレパートリーラストトレインでも宮本典子ちゃんみたいにとてもうまく歌えませんが(^ー^)では以下は当時のブログのままです(^w^)1970年代にこんな本格的なシンガーがいました彼女は宮本典子銀座生まれ生粋の江戸っ子です百恵ちゃん淳子ちゃんから聖子ちゃんの時代に当時は上手いなと位に思ってました