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秋山兄弟生家跡松山城のすべての城郭を見て、再びロープウェイで下山した。駅からロープウェイ通を歩いて、少し横道にある秋山兄弟の生家跡を訪ねた。ロープウェイ通この生家は松山空襲で焼失したが2005年(平成17)に復元された。司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んで初めて秋山兄弟のことを知りいつかは訪ねたいと思っていた。復元された生家
今回は、数日前にいただいたご相談にお答えをする形で記事を書いてみたいと思います。数日前、下記のようなご質問(ご相談)をいただきました。こういったお悩みは、決して特定の一個人のものではなく、多くのロースクール生にとって切実な問題だと思ったので、独立したエントリーとして残しておくべきだと考えました。質問:ローの勉強と試験対策とのバランスをどう取ればいいですか?私は国立ロー既修1年目です。講義は学者が最先端・応用分野を扱うものが中心で、学術的です。もちろん、試験対策になる講義もありますが
むしろ「史実に反するエンタメ狙いのフィクション」ではない、ってところに、ポイントっていうか、問題があるんです。坂の上の雲は、もちろん小説です。松山出身の同世代の二人、正岡子規と秋山真之、それと兄の好古の三人を主人公にして、日露戦争に向かう上り坂の日本の姿を、社会と文化のいろんな側面から多面的に描いていこう、っていう意欲的な小説だったんですが。ところが、司馬遼太郎先生というのは御存知のとおり、徹底的に調べて書く人なんで、だんだん取材成果の発表のほうの比重が増えてきて、特に正岡子規が死んだあとは
極端な物言いをすれば、もしこの方なかりせば日本の領土・領海は今より狭くなっていたかもしれません。今日はかつて〝海軍の父〟といわれた大日本帝国海軍軍人にして、日清・日露戦争勝利の立役者といえるごんのひょうえ山本権兵衛大将の命日・没後90周年にあたります。山本大将は1852(嘉永5)年、薩摩藩(現・鹿児島県鹿児島市)に生まれました。薩摩藩士で右筆(ゆうひつ=秘書官・書道師範)にして槍術師範でもあった父に厳しい教育を受け、雑役ながら12