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『古語拾遣』で祈年祭の起源について、大地主神が御歳神の祟りを恐れて、穀物の豊饒を祈った話を伝えており、古来より稲作を中心とした農耕生活を基盤としていた日本民族ならではの非常に古い信仰の現れといえる。五穀の豊かな実りを神に願う神事は、律令国家の確立とともに儀礼として制度化し、重んじられ、天皇の祭祀として厳修された。しかし、室町時代の戦乱期には、他の祭祀と同様に宮中での祈年祭も廃絶してしまう。どれ程、足利政権が、国家国民を祈る祭祀を軽んじてきたのかが、この経緯からも伺われる。この傾向を察して
伊勢神宮=三重県伊勢市舟木一夫2025年80’ツアーコンサート④「雨の中に消えて」―後半に“2月20日は西郷輝彦さんの命日です”―本題に入る前に―。毎年2月17日には、これから始まる本格的な農作業シーズンを前に、五穀豊穣や国家平安を祈る「祈年祭(きねんさい)」が宮中や各地の神社で行われます。「としごいのまつり」とも呼ばれ、奈良時代からの伝統を持つ祭儀です。“とし”は稲の美称で、“こい”は乞うこと、祈ることを意味します。11月23日(勤労感謝の日)の「新嘗祭(にいなめさい
(都祁小山戸町の都祁山口神社)◆大和国の山口社大和国には3種の特徴的な神社があります。「御縣社」「水分社」そして「山口社」。全国的にもあるものの特に大和国には多く点在。朝廷により計画的に造られた式内大社であり、祈年祭により祈りが捧げられていました。「山口社」とは、皇居など舎殿造営のための用材を伐り出す山に坐す神霊を祀る社のこと。通常「山の口」に鎮座しています。山口社は大和国内に14社、いずれも式内大社で幣帛は祈年月次新嘗。延喜式祈年祭祝詞で称えられる6社と、別に8社がありました