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天の命ずるを之を性と謂い、性に率(したが)うを之を道と謂い、道を修むるを之を教えと謂う。≪解釈≫天(万物生成の根本原理・宇宙の主宰者)の命令するものを『性(生まれつき備わっている性質)』といい、その性に従って行うことを『道』といい、その道を修得することを『教え』というのである。≪後述≫儒教では『天命』によって世を統治する天子が定められ、万物生成の原理原則が規定されると考えるが、その天命によって生得的な性(本性)が自ずから定められることになる。この性(
物に本末あり、事に終始あり。先後(せんご)する所を知れば、則ち道に近し。≪解釈≫物には本末(本質と枝葉)がある、事には終始(始まりと終わり)がある。物事の先と後にすべき所を知れば、大学の道は近いのである。≪後述≫大学では、学問の本質を“明徳”に置いており、明徳を明らかにすることで人民も徳に近づき、今までと異なる新たな存在である“新民”になるのである。“至善”に止まることは物事の始めであり、その結果として、様々な善きものを得ることが物事の終わりである
是故君子先慎乎徳。有徳此有人。有人此有土。有土此有財。有財此有用。徳者本也。財者末也。外本内末、争民施奪。是故財聚則民散、財散則民聚。是故言悖而出者、亦悖而入。貨悖而入者、亦悖而出。この故に君子先ず徳を慎む。徳あればこれ人あり。人あればこれ土(ど)あり。土あればこれ財(ざい)あり。財あればこれ用あり。徳は本なり。財は末なり。本を外(ほか)に末を内にすれば、民を争わせ奪うを施す。この故に財聚まれば(あつまれば)則ち民散じ、財散ずれば則ち民聚まる。この
誠者、天之道也。誠之者、人之道也。誠者、不勉而中、不思而得、従容中道。聖人也。誠之者、択善而固執之者也。博学之、審問之、慎思之、明弁之、篤行之。有弗学、学之弗能弗措也。有弗問、問之弗知弗措也。有弗思、思之弗得弗措也。有弗弁、弁之弗明弗措也。有弗行、行之弗篤弗措也。人一能之、己百之、人十能之、己千之。果能此道矣、雖愚必明、雖柔必強。誠は天の道なり。之を誠にするは人の道なり。誠は勉めずして中(あた)り、思わずして得て、従容(しょうよう)として道に中る。聖
右第十六章子曰、鬼神之為徳、其盛矣乎。視之而弗見、聴之而弗聞、体物而不可遺、使天下之人、齋明盛服、以承祭祀、洋洋乎、如在其上、如在其左右。詩曰、神之格思、不可度思、矧可射思。夫微之顕、誠之不可掩、如此夫。右第十六章子曰く、鬼神の徳たる、それ盛んなるかな。これを視れども(みれども)見えず、これを聴けども聞こえず、物を体(たい)して遺すべからず、天下の人をして齋明盛服(さいめいせいふく)してもって祭祀を承(う)けしめ、洋々乎(ようようこ)としてその上に在る
康誥曰、如保赤子。心誠求之、雖不中不遠矣。未有学養子而后嫁者也。一家仁、一国興仁、一家譲、一国興譲、一人貪戻、一国作乱。其機如此。此謂一言憤事、一人定国。康誥(こうこう)に曰く、赤子(せきし)を保つが如しと。心誠にこれを求むれば、中らず(あたらず)と雖も遠からず。未だ子を養うことを学びて而(しか)して后(のち)に嫁(か)する者あらざるなり。一家仁なれば一国仁(じん)に興り(おこり)、一家譲(じょう)なれば一国譲に興り、一人貪戻(たんれい)なれば一国乱を
子曰、賜也、女以予爲多學而識之者與、對曰然、非與、曰、非也、予一以貫之。子曰わく、賜(し)や、女(なんじ)予(わ)れを以(もっ)て多く学びてこれを識(し)る者と為すか。対(こた)えて曰わく、然(しか)り、非(ひ)なるか。曰わく、非なり。予(わ)れは一以てこれを貫く。≪解釈≫孔子がおっしゃいました、「子貢(しこう)よ、お前は私が多くを学んでそれらすべてを理解しているとでも思っているのか?」子貢が、「はい、思っております。違うのですか?」
子曰く、天、徳を予(われ)に生せり(なせり)、桓魅(かんたい)それ予を如何(いかん)せん。≪解説≫孔子先生はおっしゃった。『天が徳を私に与えられた、(私を迫害しようとする)桓魅(かんたい)ごときが私をどうできるというのだろうか?』≪文末≫桓魅(かんたい)とは、宋の大夫で司馬(軍務大臣)出会った人物です。孔子の教えが宋の国の施政方針に危険を及ぼすものだ。と考えたのか、はたまた、他国の支援をすることを恐れてのことかは、定かではありませんが、この場面では孔子一門
子曰く、蓋(けだ)し知らずしてこれを作る者あらん。我は是(これ)なきなり。多く聞き、その善きものを択(えら)びてこれに従い、多く見、これを識(しる)すは、知れるの次なり。≪解釈≫孔子がおっしゃいました。「(古の道理や)十分な知識も無く、自説を創作する者も中にはいるようだ。だが、私は決してその様な事はしない。様々な古の道理や知識を多く聞いて、良いものも(悪いものも)多く見て記憶して参考にする。このようやり方であれば、生まれつき道理をわきまえている者(知者)には及ば
康誥(こうこう)に曰く、克(よ)く徳を明らかにすと。太甲(たいこう)に曰く、諟(こ)の天の明命(めいめい)を顧みると。帝典(ていてん)に曰く、克(よ)く峻徳(しゅんとく)を明らかにすと。皆自ら明らかにするなり。右伝の首章。明徳を明らかにすることを釈(しゃく)す。≪解釈≫書経では、周公が康叔に告げた言葉は、努めて徳を明らかにする。というものであった。”商書”では、伊尹(いいん)が太甲を戒める為に語った言葉は、この天命を十分に顧みなさい。というものであった
子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人也。子貢(しこう)問うて曰わく、一言にして以て終身(しゅうしん)これを行うべき者ありや。子曰わく、其れ恕(じょ)か。己の欲せざる所、人に施すことな勿(な)かれ。≪解釈≫子貢(しこう)が尋ねました。「一生守り続けるべき、そのような一言はありますか?」孔子は、「思いやりだな。自分がされて嫌な事は他人にしてはならない。」とお答えになりました。≪後述≫別の章では、子貢(しこう
子曰く、知者は惑わず、仁者は憂(うれ)えず、勇者は懼(おそ)れず。≪解釈≫孔子はおっしゃいました。「知者はあれこれ迷うことがない。仁者はくよくよ思い悩むことがない。勇者はおろおろ怖気づくことがない。」≪後述≫知者は、正しい知識を備えているので判断に迷うことが無く、仁者は、正しい行いを心掛けているので悩むことが無く、勇者は、正しい時にこそ力を発揮するので、怖気づくことは無い。そもそも、何をもって「正しい」とするか?正邪善悪の判断基準が何よりも重
右第十章子路問強。子曰、南方之強与。北方之強与。抑而強与。寛柔以教、不報無道、南方之強也。君子居之。褥金革、死而不厭、北方之強也。而強者居之。故君子和而不流、強哉矯。中立而不倚、強哉矯。国有道、不変塞焉、強哉矯。国無道、至死不変、強哉矯。右第十章子路、強(きょう)を問う。子曰く、南方の強か。北方の強か。抑(そもそ)も而(なんじ)の強か。寛柔(かんじゅう)もって教え、無道に報ぜざるは、南方の強なり。君子これに居る。金革を褥(しとね)とし、死し