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【内宮を参拝しました】「宇治橋」「五十鈴川」「参道」「手水舎」鳥居をくぐり、右手の「五十鈴川御手洗場」へ「瀧祭神へ続く参道」「瀧祭神」「別宮・風日祈宮への参道」「別宮・風日祈宮」「神楽殿」「正宮への参道」「正宮」「荒祭宮への参道」「御稲御倉」「外幣殿」「別宮・
令和2年10月4日(日)毎年恒例となっております、⛩伊勢神宮⛩。おかげ詣りにまいりました。本来ですと、12月一週目に参宮しているのですが、ご存知の通り、今年はコロナ感染予防の観点から、伊勢神宮においても、感染対策として、参拝時間の短縮、御祈祷、御垣内参拝の中止、御朱印の書置対応、授与所間取り変更等、対応策を講じていらっしゃいました。現在は、御祈祷も人数制限を掛けながら再開、御垣内参拝も10月1日より再開されましたが、これから冬になるにつれ、コロナウィルスの感染状況とそれに対する、自治体
(牛庭神社)天照大神と大和大國魂神の皇居内「同殿共床」を畏れた崇神天皇は、豊鋤入姫命に天照大神の神霊を託して理想的な鎮座地を求めさせます。また渟名城入姫命により、大和大國魂神は大和神社に鎮まっています。天照大神の神霊は倭国笠縫邑磯城の厳橿の本に「磯堅城の神籬」を立てたことに始まり、全27宮、途中に倭姫命が引き継ぎ約90年をかけて皇大神宮に鎮まりました。「倭姫命世記」にはその概要が記されています。以下、それぞれの宮に対しての伝承地を【渟名城入姫命編】と【倭姫命編】とに分けて列挙します。【弥
3月の伊勢行で参拝した川原神社(かわらじんじゃ)。昨年(2023)5月に修繕を終えた皇大神宮・摂社。御祭神は月読尊御魂(つきよみのみことのみたま)。式年遷宮では全ての神社が「新御敷地」に遷御されるわけではありません。摂社・末社・所管社は全て20年毎に造替されるわけではありません。いろいろなパターンがあるようです。『伊勢神宮・式年遷宮いろいろ』---「神宮式年遷宮」---伊勢神宮では20年毎に社殿などを新しくする。そんなことは
元伊勢二か所目は元伊勢内宮こと皇大神宮です。雪が降ったり止んだりでしたが快適にお詣りすることができました。元伊勢外宮豊受大神社と同じく高台に鎮座します。ここへのお詣りを検討されている方がおられましたら注意していただきたいことがあるので先にお話しますと、最初の鳥居くぐってすぐ右手に社務所があるんですが、そこは皇大神宮の社務所ではなく、天皇神道という新興宗教の社務所ですからお間違えのないように。境内にも非常に紛らわしい場所に社殿や行場のようなものがあり、それらも天皇神道のもの
お盆休み中に行った、8月13日の日帰り旅になります。快速「みえ」とバスを乗り継ぎ、内宮にやってきました。伊勢神宮の内宮は、皇大神宮といわれ、皇室のご祖神の天照大神をお祀りする、わが国で最も尊いお宮です。そろそろ。日差しも強くなってきましたね。なるべく、日陰を歩きたいものですね。手水舎で体を清めてから、先に進みます。こちらは、五十鈴川の御手洗場です。清流で身を清めたかったのですが、暑いので皆さん敬遠してますね。木漏れ日のこぼれ
初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)御祭神天棚機姫神御由緒古くから伊勢神明初生衣社、または浜名斎宮と称えられ、機織の祖神である天棚機姫神(アメノタナバタヒメノミコト)を奉っています。皇大神宮の神衣(かんみそ)を納める神事を担うという、他に類の無い特別な由緒を持ち、御衣様(おんぞさま)と呼ばれ親しまれています。また、遠州織物発祥の地としてアパレル関係や織物業者からの信仰も篤いのだそうです。※神衣=天照大神が天岩戸から出て来た時に着たといわれる衣のこと。本殿伊勢神宮第60回神宮記念
こんにちは。今日はあの「伊勢神宮」についてもう少しふれてみたいと思います。伊勢神宮は正式には「神宮」です。伊勢神宮と呼ばれてはいますが本来は「神宮」が正式名称です。本来、神宮とはこの伊勢の神宮だけです。ちなみに神宮とは、天皇や皇室の祖先神を祭神とする神社を神宮と呼ばれています。日本の総氏神を祀る神社です。この神宮が日本で一番尊い地であることは間違いないです。他の神社とは少し訳が違うほどの別格の存在でもあります。その神宮の中心は内宮・皇大神宮(こうた
こんにちは、神社伝書びと守本です。神宮シリーズは、いよいよ皇大神宮(こうたいじんぐう)、内宮です。これまでの記事はこちら伊勢神宮~二見輿玉神社からのご参拝伊勢神宮~外宮正宮にて伊勢神宮~外宮境内の別宮巡り伊勢神宮~外宮の摂末社ともろもろ運良く教えてもらった早朝バスに乗り内宮前に着きました。憧れの宇治橋です!!(①)ちょうど日の出の頃ですが、やはり、神明鳥居から宇治橋の向こうに日の出を拝むのは無理ですね。てか、まだ5時40分ですが、ご参拝者