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常識的には、、、「北へ帰る人々」は、南の良い風景を想い起しながら、「北」の荒くれた「道筋」に、この歌の如く、絶叫しているのだろうが、、、、今回の街道は、、、私を含めた「北”から”帰ってくる者」は、、、絶叫するに違いない。。。(*'▽')「奥州」への国境の神を越えて、、、「下野国」(栃木県)に入った所で、、中央線も無く、対面譲り合いを行わないといけないような乏しい「県道」に落下してしまいました。ふと、思うに、、、「福島県民」にとっての「南の最果て」と、、、、「栃木県民」にと
やはり、「みちのくに」と言うイメージが浮かんでしまう、、、旧・東海道や旧・中山道を歩いて来た私にとって、旧・奥州街道は、こんな言葉を思い出してしまった。白河の関から、下野国(栃木県)との国境である県境まで、進んで行ったのだが、、、ご覧の通り、目に入ってくるのは、「田んぼ」と「森」だけ。。。やっとのことで、県境の「追分明神」に到着するも、、、今までの「国境」に比べて、静かだし、また、峠として、「低い」(楽でもある)し、箱根峠や碓氷峠などの東海道・中山道の「関東地方」から「中部地方」に
旧・陸羽街道を「追分」まで、下った所で、「那須町営バス」の「黒磯駅行き」のバスに遭遇。で、、、黒磯まで乗ってしまうか~って、思ったのだが、、、どうも、寺子十字路と言う交差点で、「旧・陸羽街道」から、「左」に曲がって行ってしまう事を知ったので、、、下りることにした。そして、寺子の交差点には、、、旧・陸羽街道寺子一里塚がありました!那須町営バスhttps://www.town.nasu.lg.jp/0085/info-0000000031-1.html今まで撮ってきた写真を「Ph
ここから、北は、かつての「蝦夷地」であった。白河の関関所自体の建物などは、もう残っておらず、現在は、、、白河神社となっている。現在も関所跡の発掘調査は、行われているそうで、様々なモノが見つかっているそうです。この「白河の関」で、「奥州街道」=「陸羽街道」は、「幕府」管轄の「街道」から、「藩」管轄の街道になり、今で言えば、この関所から北側が、「日本国道」では無く、それぞれの県が管理する「県道」へ変わるような感じだったそうだ。ふと思うに、東北地方とは、「田舎」な印象が拭えないが、、、
◇春に三日の晴なし!という、今日の大阪市内です。時折薄日が差すものの、曇天が続き、明日からは雨模様ということです。花粉症の者にとっては恵みの雨です。◆2022年9月30日(金);奥州街道を歩く3日目は、小峰城登城と白河宿から矢吹宿までを紹介します。その1では、小峰城登城の様子を中心にアップします。白河ビジネスホテルを午前7時45分に発つ小峰城へ寄り道白河駅芭蕉が訪れた白河関跡へのバスが出ているとの情報を得て、駅前のバス停へ向かう白河の関は5世