白河の関は奈良時代に京都から陸奥国に通じる要衝に設けられた関門で「みちのくの玄関口」と言われています。場所は白河市旗宿と推定され、白河神社が祀られています。やがて関は廃止され、その遺構も失われた状態になり、場所すらも分からなくなってしまいました。江戸時代に、白河藩主である松平定信が文献から考察し、白河神社が建つこの地が関の跡と認定した。昭和の発掘により土塁や空堀跡も認定できた。白河の関跡として国の史跡に指定されいます。白河神社を中心とした関跡は巨木が多数見受けられ、この地が特別な場所であったこと