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たいぶ時間が経ちましたが、9月中旬に横浜みなとみらいの赤レンガ倉庫前から出航する「京浜運河の工場夜景クルーズ」に参加し、工場夜景の撮影をしていました。暗い運河をある程度のスピードで進んで行く揺れるクルーズ船の上からの撮影は非常に難しかったです。露出、シャッタースピード、ISO感度などをどう決めるかポイントでしたが、結果は大部分が失敗作ばかりでショックでした。何とか見れる写真を選らんで紹介します。にほんブログ村世界遺産部門のランキングに参加しています。このブログが気に入ったら1日1回、こ
↑↑↑たくさんのクリックをいただきありがとうございます!(^^)!2023年5月1日(月)の記録です。【戸地川第二発電所】佐渡鉱山で足りない発電量を補う目的で作られたのが、大正6年に完成した戸地川第二発電所でした。戸地川下流は、戸地と戸中の両集落の農地が段丘上にあるため、その用水を上流から引く関係上水量が乏しく、出力は第一発電所の半分とした。水路の延長は、本流で2000メートル、支流が600メートルあり北側山腹を開鑿
基本的に車雑誌の自称プロな方々のインプレッションがどうも信用できないんですよね~。皆様は素直に聞けます?車の購入にあたり色々な媒体の情報に目を通しましたが、なんか出自のはっきりしない自動車評論家が偉そうに講釈垂れ流しててイラっときましたね。自動車評論家の基準って何かあるんでしょうか?バイクですとレースとかで実績のある方なんかがインプレッションを行っているパターンが多く、その方々は感覚を鈍らせない為にサーキット走行に励んでおられたりするんですが、車って元レーサーもおられますけど、車業界に長いこ
↑↑↑どれかクリックしていただけると元気が出ますw!(^^)!滋賀県北部の姉川。何かと話題の多い川ですが、そんな姉川沿いに発電所跡があると知ったのは少し前のこと。ひるがの基地からの帰り、軽~~く立ち寄ってみようと3月上旬の日曜日、行って参りました。最近ではグーグルマップにもその位置が記載されるようになり、容易に行けるようになりました。車はこのように入口のすぐ近くに5台程度止めることができますね~入り口はこんなと
千葉県から定期的にいらしゃるダムカード集めが趣味のお客様が『今市ダム』に行こうと思ったら道に迷ってしまったこと、その後もう一度チャレンジしてみたけれどあまりに山奥の酷い道でびっくりして嫌になってしまった事を以前、お話してくださいました。そう。ここまでの道のりは走っていると心細くなってくるようなひと気もなく、木々から落ちた葉や流れ出した泥などが道の端の方を覆っている、寂し気な雰囲気の山道この先は行き止りの為訪れる人もほとんどおらず携帯の電波
平岩です、148号沿いに姫川が流れます橋の名前に!白い建物は、電気化学大網発電所一緒に眺める人がいました↓大所発電所も見えます不安ながら渡っていた吊り橋平岩駅前、建物がなくなって寂しい確か、この辺りに食堂もあった気がします岩風呂のここで一風呂あの橋で眺めていた彼女、フロントで何かを訪ねていましたさっぱりして、大仏を見に行こう勝手の観光地も今は草がいっぱいでした白馬大仏誰かに似ている横川第
2023.9.16旧宇津野発電所①盛岡市内から少し山のほうに向かうと、川沿いにポツンと古い建物が立っています。=旧宇津野発電所=竣工1905年(明治38年)停止1973年(昭和48年)旧宇津野発電所は、盛岡電気株式会社(現:東北電力)により、1904年(明治37年)に着工され、1905年(明治38年)9月から営業を開始しました。盛岡市内77戸に初めて電灯をともした記念すべき発電施設であり、岩手県内現存最古の発電施設として今日まで保存されています。発電機、励磁機は、ウェスチングハ
1泊2日のお泊まりディズニーから帰ってきました寝不足と疲れで昨晩はいつもより早く寝ちゃったディズニー旅の前に先週末の振り返り。土曜日、昼間ぶらぶらした後に向かったのは…ダムの夜間放流これ、抽選だったんだけど当たりましてうちが当たるなんてよっぽど申し込みが少なかったのかと思ったら、応募者は7000人。当たったのは1200人だったそう。駐車場からダムまでは貸切バスで連れてってくれるし、特別なダムカードとかボールペン、発電所見学でミニタオルやミニバッグくれたりとお土産付き。放流は2回
探索日2010/03/20中国電力三隅発電所建設にともなう経路変更切り替えは1992年岡見駅寄り部分は、三隅発電所への専用線として現役三保三隅駅方新旧線分岐点左は現在線耳峠トンネル三保三隅駅方口旧線は右へカーブし、海岸沿いを進んでいた埋め立てられ、海岸は消えているむこうの煙突のある場所が三隅発電所奥へ続く廃線跡右の更地は新線切り替え前は海やった防波堤沿いを走る旧線跡波除板が、そこに海があった証未舗装の生活道路となっている旧線跡路盤が残る距離標
1月31日の3時すぎ、ドンという衝撃が一瞬ありました。地震かなと思った。しばらくして町の防災Lineに「石油コンビナート火災が発生しました」というメッセージが送られてきました。住所からすると発電所だな、と思いました。その後、ヘリが止みません。窓から外を見ると、2機がホバリング中。さらに発電所の方を見ると黒煙が上がってる。ちなみにうちから2kmほどの距離です。テレビをつけると、ローカルニュースで火事を伝えていました。6時半ころになって、町のLineで「…火災
曽木発電所遺構明治40年(1907年)曽木第一発電所の完成は、大口にはじめて電灯をもたらした。出力は800Kw、大口にあった3ヶ所の金山の動力源や近郊町村の電灯用に供給しても半分の電力でまかなう事が出来たため余剰電力を使い水俣にカーバイト(漁船等の点灯用燃料)工場を建設戦前における日本最大の化学会社へと発展この発電所は日本化⒢く工場の発祥の地と言われています伊佐薬草の杜は伊佐市「曾木発電所遺構展望所」に
7月27日(土)今日は、午後雨が降りそうな予報。降る前に!と出かけてきました。行った先は、昨年10月23日、町田市に熊が出没した直ぐ近くの城山湖。城山湖周辺は「南高尾山稜」人気のコースがあり、良く歩きに行っていた所だが、熊出没以来控えていた。熊出没のニュースも減って来た。少し不安も残るが、山道も歩きたい。そこで今回、久々に行ってきました。城山発電所城山湖の発電所隣の駐車場に車を停め、久し振りに登山靴を履いて出発。駐車場の隣は、城山発電所。道脇
原子力発電は何がよいか?石油など燃料価格や天候によらず季節によらず安定してエネルギーとして使えるデメリットは建設、運用、事故対応、廃棄物、廃炉の処理などで膨大な費用が掛かるもちろん安全性の問題は重要ですが福島原発の人災でも見られるように安全上の費用はこれまであまりかけてきませんでした(地震対策津波対策、特に福島の場合は原子炉が止まったときのための火力発電施設がなかったことが原因の人災)海の近くに建設されているのは地価が安いとか住民の反対が少ないとかもちろんあります
連日のオリンピック観戦で寝不足が続いてきましたが、パリオリンピックも今日で終わりですね昨晩も卓球女子団体決勝戦を見てしまいました男子団体も同じでしたが、リードしてゲームポイント、そしてマッチポイントをにぎりましたが、最後に逆転され敗退という試合が目立ちました前回のブログでも書きましたが、世界の頂上で競っている試合ですから、ちょっとした変化で流れが大きく変わってしまうのでしょうね応援していてとっても残念でしたでも一番悔しいのは戦っている選手たち自身ですよ
二週間前にトロッコに乗車したばかりなのに、またまた宇奈月駅に来ています。今回の目的は、黒部峡谷パノラマ展望ツアーへの参加です。一般では立ち入ることができない欅平駅のさらに奥へ行くトロッコの旅にワクワクです。予定では、欅平まで一般のお客さんと一緒にトロッコに乗り込みます。その後、関西電力のトロッコに乗り換えてさらに奥に進むのです。欅平で22度ですか、下界と違って居心地の良い気温ですね。一日駅長に見送られて、いよいよ出発の時間です。それで
パノラマ展望台のトレッキングから帰ってきてトンネルの中へ戻ってきましたトンネルの中は涼しくて気持ちがいいです。階段で上がらなければならないほどの急勾配にもトロッコ軌道が敷かれています。こんな急坂をトロッコが・・・・登る姿を見てみたいものです。線路わきに敷かれた鉄板の上を歩いて戻ります。ポイントの信号機もありますね。所々は素掘り状態でコンクリートが吹き付けてありました。線路内にいるのは工事関係者です、私たちは鉄板の上を歩きま
2024年9月下旬、岐阜県中津川市の馬籠宿と長野県の道の駅日義木曽駒高原と巡ったドライブ旅行の総集編です。☆東京から中央自動車道を中津川ICまで走り、一般道を約35分走って馬籠宿のA1駐車場に到着。石畳の中山道を妻籠宿方向に歩き、文豪島崎藤村の記念館を見学(前編)。見晴台まで往復する間、五平餅、栗きんとん、おやきとこまめに買い食い(後編)。馬籠宿には2時間半くらい滞在。その後、ホテルに移動してゆっくり温泉に浸かります。翌日は道の駅日義木曽駒高原に立ち寄り。
名古屋から下呂温泉に向かう途中、国道41号線は、飛騨川の下原ダム湖の近くを通ります。この日は晴天で風もなく、湖面が鏡のようになっていました。紅葉には少し早いけど・・・湖面に映る景色が美しい。あちらに見える鉄橋は、JR高山線ですね~。名古屋から富山までディーゼル特急「ワイドビューひだ」が走っています。ワイドビューひだが通るといいのですけどね・・・・お願い!!ええっ!!、本当にやってきましたよ、特急「ワイドビューひだ」が・・・・・嬉
先日の続き。噴水沿いを歩き、石段を昇りました。高台に、田邊朔郎さくろう像とその功績を讃える碑があります。田邊朔郎(1861-1944)は、琵琶湖疎水や蹴上発電所の工事に携わった土木工学者。角倉了以とともに「水運の父」と称されています。高台から公園を見下ろしました。インクライン沿いに、蹴上発電所に水を送る鉄管があります。蹴上発電所は、琵琶湖疏水を利用した日本初の一般供給用水力発電所。「(第1期)蹴上発電所」は、明治24(1891)年に運転を開