ブログ記事2,187件
基本的に車雑誌の自称プロな方々のインプレッションがどうも信用できないんですよね~。皆様は素直に聞けます?車の購入にあたり色々な媒体の情報に目を通しましたが、なんか出自のはっきりしない自動車評論家が偉そうに講釈垂れ流しててイラっときましたね。自動車評論家の基準って何かあるんでしょうか?バイクですとレースとかで実績のある方なんかがインプレッションを行っているパターンが多く、その方々は感覚を鈍らせない為にサーキット走行に励んでおられたりするんですが、車って元レーサーもおられますけど、車業界に長いこ
ロンドンの新しいスポット、バタシー発電所に行ってみました。テムズ川の南、バッキンガム宮殿から徒歩30分くらいな位置。バタシー駅すぐです。発電所行きバスも結構あるので便利。ここは約100年前に着工した発電所だそうで、発電所としての役目を終えてからは、廃墟みたいな不気味な存在だったとか。復活させるにも結構複雑で、ようやく形になったらしい。めちゃくちゃクールです。近隣はおそらく高級住宅街。バタシー発電所は、ピンクフロイドのアルバムジャケットにもなったと。煉瓦の発電所としては世界最大級
7つの龍の智恵の継承者の一族はサカ、シャカ族と呼ばれました。昴(スバル)人とも呼ばれていました。日本に住んでいました。インド、中国にも住んでいました。スサノオ(スサ国の王)祇園精舎の護り神(スサ、スガ、サカ、)全て同じ意味です。ちなみに菅原道眞もサカ族です。日本には、昴に関係する地名が沢山付けられています。しかし、サカ族を乗っ取ろうとしたイカスリ(日本ハザール)軍団が、面白い程に地名を変えてしまいました。が、オイオイ紹介します。そうそう、7つの龍の智恵についてでした。
3日(金)の夜に数名の方から電話やメッセージをいただいて知ったのだが、テレビの人気番組(ザワつく!金曜日)で、石原良純さんが黒部ダムの新ルート(キャニオンルート)を紹介していたという。1月の「ブラタモリ」での紹介に続いてである。私はそのタイミングで視聴できる環境になかったため、翌日TVerで見せていただいた。黒部と石原家といえば、良純さんの叔父である故・石原裕次郎さんが壮絶な苦労を経て「黒部の太陽」を映画化し、観客動員数730万人という大ヒットさせたというつながりがある。東日本大震
探索日2010/03/20中国電力三隅発電所建設にともなう経路変更切り替えは1992年岡見駅寄り部分は、三隅発電所への専用線として現役三保三隅駅方新旧線分岐点左は現在線耳峠トンネル三保三隅駅方口旧線は右へカーブし、海岸沿いを進んでいた埋め立てられ、海岸は消えているむこうの煙突のある場所が三隅発電所奥へ続く廃線跡右の更地は新線切り替え前は海やった防波堤沿いを走る旧線跡波除板が、そこに海があった証未舗装の生活道路となっている旧線跡路盤が残る距離標
鹿児島県のメガソーラー発電所が火災「電気設備なので水をかけるのは危ない」と鎮火するのを待ち、12時間以上燃えつづける「各地でこれやるために某国とグルになって建設しているんじゃないの」|RAPT理論+αhttps://t.co/e49L319mAW—田舎暮しの唱悦(@shoetsusato)May8,2024
探索日2010/03/20山陰本線岡見駅を所管駅とする専用線駅寄り部分は、山陰本線の旧線を利用している発電所内レールが見える写真中央の建屋は貨車への積み込み施設やろあそこから石炭灰(フライアッシュ)を落としてたんやと思う写真左右にのびるレール第2須津トンネル岡見駅方口このトンネルを抜けた先が発電所ここは元山陰本線山陰本線旧線を利用した区間枕木は木のままやから、軌道は山陰線時代のままなんやろ貨車の通過時刻たまにしか列車が通過しないためか、錆びついている
今日から新たなお客様新電力開発株式会社の経営企画本部長坂口大樹さん発電所技術責任者の佐藤光悦さん代表取締役の坂口愼一郎さん地域における地産地消型バイオマス発電所に、ついて話していますYBCラジオ火曜ラジぱん人to木は15時40分から放送です是非お聴き下さいね♪
曽木発電所遺構明治40年(1907年)曽木第一発電所の完成は、大口にはじめて電灯をもたらした。出力は800Kw、大口にあった3ヶ所の金山の動力源や近郊町村の電灯用に供給しても半分の電力でまかなう事が出来たため余剰電力を使い水俣にカーバイト(漁船等の点灯用燃料)工場を建設戦前における日本最大の化学会社へと発展この発電所は日本化⒢く工場の発祥の地と言われています伊佐薬草の杜は伊佐市「曾木発電所遺構展望所」に
明治期に長野県岡谷町と並んで製糸の町として繁栄した須坂町(現・長野県須坂市)では、明治8年には早くも糸師仲間たちが官営・富岡製糸場を視察し共同会社を組織。海外から器械式製糸を導入する。こうした中から、製糸王・越寿三郎が誕生した。越は、明治元年生まれで、明治20年に製糸会社「山丸組」を創業。昭和2年には県内最多納税者となった。△絵葉書山丸組製糸場総務部(須坂町)※絵葉書には、蚕の餌となる桑の葉をデザイン△信濃電気社長越寿三郎越寿三郎は、製糸場を電化するため明治36年に
名古屋から下呂温泉に向かう途中、国道41号線は、飛騨川の下原ダム湖の近くを通ります。この日は晴天で風もなく、湖面が鏡のようになっていました。紅葉には少し早いけど・・・湖面に映る景色が美しい。あちらに見える鉄橋は、JR高山線ですね~。名古屋から富山までディーゼル特急「ワイドビューひだ」が走っています。ワイドビューひだが通るといいのですけどね・・・・お願い!!ええっ!!、本当にやってきましたよ、特急「ワイドビューひだ」が・・・・・嬉
枚方市議会議員ばんしょう映仁です。5月12日は、PGU(パナソニックグループ労働組合連合会)組織内議員団北河内ブロックにて、日本海へ。関西電力の大飯発電所と舞鶴引揚記念館を視察しました。大飯発電所まずは、関西電力のPR施設である「エルガイアおおい」で大まかな説明を受け、大飯発電所に向かうことになりした。「エルガイアおおい」関西電力PR施設エネルギーや地球の未来について、さまざまなアトラクションを通じて、楽しみながら学び、考え、発見できるミュージアム。「原子力研修セ
一年に2回しか見ることに出来ない幻の滝~樽滝が出現しました~5月8日「玉瀧不動明例祭」に併せて~樽滝は、木島平村を東西に流れる千曲川の支流「樽川」の上流部、国道403号線沿いにある「玉瀧不動明」のすぐ下流にある柱状節理の岩壁に一年に春の5月8日と秋の2回しか現れない滝のことを言います。この滝は、中部電力が1922年(大正12年)に樽川発電所を建設した時、上段にある導水路の余水を流したことにより出現した人工の滝です。樽川発電所の取水は樽川上部。導水路により発電所上部の大きな水槽に水をた
先日の続き。噴水沿いを歩き、石段を昇りました。高台に、田邊朔郎さくろう像とその功績を讃える碑があります。田邊朔郎(1861-1944)は、琵琶湖疎水や蹴上発電所の工事に携わった土木工学者。角倉了以とともに「水運の父」と称されています。高台から公園を見下ろしました。インクライン沿いに、蹴上発電所に水を送る鉄管があります。蹴上発電所は、琵琶湖疏水を利用した日本初の一般供給用水力発電所。「(第1期)蹴上発電所」は、明治24(1891)年に運転を開
2021年7月5日(月)に「花山温泉温湯山荘」に出かけた時の道中で見かけたのが「東北電力(株)花山発電所」。この時は、チラッと見ただけでスルーしたが、2022年10月31日(月)に「温湯温泉佐藤旅館」からの帰り道に「山内発電所」に続いて見学。「ミズバショウ公園」側から発電所全景。メイントランスが2台?・・・左側のこちらが花山発電所のメイントランスかな?右側は山内発電所からの送電線に接続されているような・・・振り向くと花山湖。国道398号に戻り、上部
R5.9.11現在市町村は、一の納税義務者が所有する償却資産で新たに建設された「一の工場」※1※2の用に供するもののうち、その価額の合計額が、当該償却資産に対して新たに固定資産税が課されることとなつた年度から五年度間のうちいずれか一の年度において、前条(大規模の償却資産対する固定資産税の課税標準の特例等)第一項の表の上欄に掲げる市町村において同表の下欄に掲げる金額を超えることとなるもの※3がある場合には、「第一適用年度」※4から六年度分の固定資産税に限り、その間において当該新設大規模償却資
本日、曽於市にある発電所で400kwhオーバーが出ました。昼間の抑制は、少しづつ少なくなりましたね。昨年に400kwhを超えたのは、2023年は、5月26日今年は、それよりも早く2024年は、5月8日となります。約三週間ほど早いですね~昨年は、5月のタイミングで原子力がフル稼働していたような記憶もありますので一概に違うとは、言えませんが。よきよき。一日も早い、抑制の無い日が来ることを祈るばかり。。。にほんブログ村太陽光発電ランキング
二週間前にトロッコに乗車したばかりなのに、またまた宇奈月駅に来ています。今回の目的は、黒部峡谷パノラマ展望ツアーへの参加です。一般では立ち入ることができない欅平駅のさらに奥へ行くトロッコの旅にワクワクです。予定では、欅平まで一般のお客さんと一緒にトロッコに乗り込みます。その後、関西電力のトロッコに乗り換えてさらに奥に進むのです。欅平で22度ですか、下界と違って居心地の良い気温ですね。一日駅長に見送られて、いよいよ出発の時間です。それで
パノラマ展望台のトレッキングから帰ってきてトンネルの中へ戻ってきましたトンネルの中は涼しくて気持ちがいいです。階段で上がらなければならないほどの急勾配にもトロッコ軌道が敷かれています。こんな急坂をトロッコが・・・・登る姿を見てみたいものです。線路わきに敷かれた鉄板の上を歩いて戻ります。ポイントの信号機もありますね。所々は素掘り状態でコンクリートが吹き付けてありました。線路内にいるのは工事関係者です、私たちは鉄板の上を歩きま
今回のLadybowerダム、Derwentダムへの旅行は、天気にも恵まれ、また途中、思いがけず奇妙な形の尖塔を有する教会も見ることができて、大いなる充実感に浸りつつ、ロンドン方面に向かってM1を飛ばしていたところ、ノッティンガムを過ぎた辺りでまたまた興味ある物体が視界に入ってきた。平原の向こうに巨大な冷却搭群が6つほどそびえ立っている。発電所に違いない。ナビで見ると、この先にジャンクションがあって近くまで行けそうである。早速、#24ジャンクションにてA453をノッティンガム方面に
明治30年5月17日、善光寺近くの城山館において、長野電燈の創業総会が開かれた。社長には市内村山の素封家で、信濃毎日新聞の創業者でもあった小坂善之助が就任する。△絵葉書長野電燈第一発電所(茂菅発電所)水路取入口および第二発電所(芋井発電所)外部△茂菅発電所導水管跡(「ここ信州電気発祥の地」のレリーフがはめ込まれている)△裾花川茂菅地点長野電燈株式会社は、現在の中部電力株式会社の前身の一つとなるが、その中部電力が昭和62年に発刊した「中部電力史略」には、長野電燈について次の