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安永8年12月18日、平賀源内が小伝馬町の牢屋敷で亡くなりました。享年52歳。少し前の11月20日深夜に弟子である久五郎を殺害して入牢になったための獄死だったのです。エレキテルの偽物が作られ世間からの目も冷たくなっていた源内は、追われるように引越しを行います。その屋敷は、神山検校旧宅でした。少し前に幕府が検校らを一斉に検挙する事件が起こっていてこれで財を失った神山検校はこの屋敷で子どもが井戸に落ちて亡くなっているとも言われていて、神山検校の前には金貸し浪人が住んでいたが切腹して果てたとの
蔦屋重三郎の妻になる人物として『べらぼう』で描かれる人物は、耕書堂が日本橋通油町に移転する前に同地で版元をしていた丸屋小兵衛の娘・ていとされています。では、史実においての蔦屋重三郎の妻はどのような人物であったのか?と言えば何もわかっていません。ただ、蔦屋重三郎の墓碑に蔦重が亡くなるときに妻女を呼んだことが書かれているため、この時に妻が居たことは間違いないのです。この妻女と思われる人物は、本屋の娘であったとも、吉原の遊女(もしくは芸者)であったとも、普通の町娘であったとも言われていて、蔦屋