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『がんセンターで再検査』初診で検査の予約を入れてもらい数日のうちに再びがんセンターへ検査メニュー↑これ使ってみたかった♡①骨シンチ②乳腺超音波(エコー)③マ…ameblo.jp前回の検査の結果骨転移認められず遠隔転移認められず腫瘍の大きさは3センチ程度主治医から「リンパが腫れてるように見える、腋窩リンパ節転移も疑われるのでリンパ節生検をしましょう」と言われました。前医ではリンパ節転移は見られないって言われたんだけどな…その日だったか別日だったか
娘は、視神経膠腫疑いにて生検を受け、組織型が毛様細胞性星細胞腫と確定診断を受けました。2023年5月1日より、寛解導入療法として、カルボプラチンとオンコビンの化学療法全10週の治療を受けました。途中、生検後に硬膜下水腫を発症し、緊急手術を行い、VPシャントを造設しました。手術の準備のため、治療が延期となり、当初の予定より遅れましたが、2023年7月18日に、寛解導入療法を終えました。そして、2023年7月25日MRIにて、治療の効果が得られているかを調べる日がやってきました。娘の病気
てつそうです。いつも、いいねや、フォローをありがとうございます。こんなにたくさんの方々に見ていただけて、自分でも、びっくりと、嬉しい気持ちでいっぱいです。本当に感謝いたします。このブログでは、肺がんがわかって現在に至るまでの、経緯を書いています。未熟なところもあるかと思いますが、あたたかく見ていただけましたら、光栄です。2023/9/28検査入院、当日。病室で待っていると、看護師さんが呼びに来てくれた。肺の内視鏡生検検査の前に、飲む麻酔をしばらく喉に溜めておくの
9月28日の検査入院まで家族で一緒に過ごす時間が増えて、少しずつだけど、『どちらの病名であったとしても、受けいれていこう』そう、思えるようになってきていた。その間も妻は、自分に色々と教えてくれる。それだけ自分の事を思っていてくれている。言葉では言い表わせないくらい、それが、嬉しかった。家にいる時間は、0歳娘との時間にもなって、この子の存在が、心を癒やしてくれてた。痛みも咳も、変わらず襲ったけど、気持ちが乱れる事もなく、穏やかに過ごせた。9月28日の検査入院の日は、
検査翌日薬の効果が薄れる時間帯に腹痛あり麻薬系の頓服オキシコドンを服用するも効果なし食事は3食全て全粥食、一日で1443㎉体重をなるべく取り戻す為におかずや間食を差し入れ病院食に加え差し入れなども全て完食この日は入浴可能点滴は昨日より引き続き抗生剤とフェジン医師に入院中から抗がん剤治療を開始することをすすめられたが正式な生検の結果を待ってからにすることにした夫は翌日に退院が決まった後は少し気分が良さそうだった
検査日当日朝は流動食野菜スープとおもゆ、35㎉検査は全身麻酔下で行われる午後過ぎから始まり病室に戻った後も夕方まで眠る点滴は昨日より引き続き抗生剤と貧血対策のフェジン目覚めた時からみぞおちの辺りの強い痛みあり痛み止めの薬はボルタレン、タペンタを服用疲労感が強く苦しそうだが食事は完食夕食は全粥食、432㎉心身ともに参っている様子衰弱しきっていて受け答えはやや曖昧検査が無事に終わったことにはほっとした
事の始まりは2023年秋に夫が受けた健康診断50代後半にもかかわらず前年までは全く異常なしなので少し貧血の結果が出ていても気にしないで普通に暮らしていた会社の健康保険組合から再三受診を促され渋々受診貧血の原因を探る検査が始まったその過程で撮ったCT画像クリニックからすぐにがん治療が出来る病院を紹介され生検膵臓がんステージ4の告知を受けた化学療法での治療になるとの事だった
検査入院退院から約1週間後、外来にて結果説明を受ける退院後の数日間は痛み止めの薬の効果が切れる時間帯に苦痛があったがその他はこれまで通りの日常膵臓部腫瘍生検結果説明〇病理診断にて膵臓癌(腺癌、膵尾部)〇ステージⅣ〇大きさ約3.5cm〇転移は肝臓、骨〇治療を行わない場合の余命は3か月、抗がん剤治療をした場合は1年位ある程度覚悟はしていたがかなり厳しい内容すぐに抗がん剤治療を開始することを勧められたが夫はしばらく考えるとのこと仕事の都合があ
2023年12月半ばの午後、S病院でMRI、エコー、針生検を受けました。MRI撮影に関しての同意書を書かされ、ガウンのような検査着に着替えたら装身具や化粧や湿布などしていないか口頭確認され、検査室に入ります。検査室は防音のため厚い扉で閉ざされますが思ったより広くて明るく恐怖心は湧きませんでした。ここに寝てください、頭に器具を被せますね、そのままでいてください、目を閉じましょう、しばらく動かないでくださいね、そんな指示に従っている間に検査は終了しました。大きな音も気に
手術についてです。8月お盆に手術を受けました。コロナで面会ができず、手術前の執刀医と麻酔科の先生からの説明に行った時に見た夫は、入院前からさらに痩せていました説明の際、入院ギリギリまでタバコを吸っていたことや夫のまるで他人事のような感じに、思わず先生も誰の言うのとも聞かないタイプだよね〜と少し笑いながら話せたことで心配が和らぎました手術当日、朝8時半までに来るよう言われました。コロナで待機は1人だけど言われ、夫と一緒に手術室に向かいました。後に聞いたのですが、な
造影剤を使用してのCT検査では膵臓を原発巣とする転移のある腫瘍が見つかった確定診断の為の超音波内視鏡下穿刺吸引生検(EUS-FNA)が決まり入院4人部屋の一般的な室内は思ったよりも広く快適な空間で清潔感があった貧血の数値が少し低いので検査の為の抗生剤と共に点滴が開始された担当医は病室に顔を出し翌日の事などを簡単に説明してくれたこの日の夕食は特に制限の無いご飯とおかずが提供されたエネルギーは697㎉で作られていた入浴も可能だった痛み止めの薬は一旦全て
【初発乳がん多発性骨転移発症しステージ4を宣告されました。異変に気づいてからの葛藤や苦悩や治療についてを綴っていきます】ーこちらは振り返り投稿になりますーようやく5月後半転移先の大病院へ初診なので受付で11時半に入る時間がとにかくかかり診察時間ギリギリ乳腺外科の診察13時も大幅に越えるその後に腫瘍内科も診察予約を入れてくれたマンモグラフィまた?しかも癌の部分はすでにパンパンに張っていてそれを押しつぶすのですか?発狂しそう外科医の診察皮膚の上にかなり押し出されているね皮膚
おととしの話になります。お腹のエコーで、膀胱に腫瘤(腫瘍?)があるからと近くの泌尿器科を紹介されて行ってきました。膀胱炎とかなったことないし泌尿器科って初めてだったのですが待合室はほとんど男性でした。。すぐに、エコー検査→膀胱鏡検査になって、おしっこの穴にカメラ入れられました繰り返しになるけど、先生はこんなイメージwゼリーみたいな麻酔?を塗られてなんか入っている違和感はあったのですがそんなに痛くはなかったです。女性は膀胱までの距離が短いからあんまり痛くないみたいです。
急遽、退院し、次の治療まで自宅で過ごしました。嘔吐もなければ、その他症状もなく過ごせました。今思い出しても、あの1回の嘔吐は本当に何だったのだろう、というくらい、その後は無症状でした。7/2(日)8回目の化学療法のため、前日に入院となりました。無症状で過ごさなければいけない期間が今日までなので、前回同様、感染症の子が入院する病棟へ入院となりました。個室希望を出していましたが、空きがないため大部屋でした。が、前回のように他の子がみんなRSウイルスということのない、心配のないお部屋に入
定位生検(英語では、StereotacticBiopsy)を受けてきた。定位生検は、簡単に言うと、マンモグラフィーで癌のある乳房を撮影した状態のまま、異常組織の正確な位置を見ながらピンポイントで異常細胞を採取するという検査。つまりマンモグラフィーで乳房をきつく挟まれたままの状態で生検が行われる。私の場合、癌の周りに約7.5センチにわたって、前癌性(癌になる手前)の微小石灰化が沢山散らばっていて、今回の定位生検の目的は、癌から一番離れたところにある微小石灰化を採
退院後、初の診察がありました、、、、、今回の入院も、同室の方に恵まれ皆さん術後のお身体が回復されてからたくさんのお話をして楽しく過ごさせて頂きましたそして毎回看護師さんたちとのお話お薬の話や、主治医の先生の話院内のこと、、色々と教えてもらえてためになるただ、、今回は緩和チームにお世話になったり、終活について家族と話す機会を持った方がよいよ面談があったり、、そして先生からは治験の話も出たりしましたなんとなく落ち込む要素満載で疲れたしでブログも書こう書
仲良し先生から励まされ、少しだけ期待を持ってS病院に向かった。S病院に私のカルテはあっても、今まで診て貰っていない症状の場合、新患と同様に手続きをしないとならない。すでに10年以上診て貰っているのに、私はS病院のK先生と反りが合わないのだ。K医師「今日は、どうしたの?」「地元の病院で検査に引っ掛かってしまって。そちらの病院では、手術が出来ないので紹介状を渡されました。」検査結果の映像を拡大したり、戻して見ながらブツブツ言っている。この言い方が威圧的で私は苦手なのだ。「そちらの病院で
発覚から手術までの経緯です8月に卒乳した後、左胸の搾乳をしている時に違和感があり、たまに血がでたことや、塊感を感じてたので、レディースドックでマンモとエコーを受けました。本来、卒乳後半年でないと正確に判定できないし、結果は悪くでますよ、と言われながら、11月10日に出てきた結果は左カテゴリー3、右カテゴリー2。【11月12日クリニック受診】近くのクリニックの乳腺外来を予約しようとしたら、2月まで予約が取れず、とりあえず予約を入れつつ、結果をもって向かうと、すぐ調べましょう。とマ
頭頸部外科で急遽診察1月末頃から口を開けると右顎が痛くて、口を開けなくなり、日に日に悪化し、指1本分(約1センチ強)しか、口を開けなくなりました。食べ物は口の隙間から入れて食べることはできましたが、なにせ1センチを超えて口が開かないので、飴玉みたいなものはを口に入れるのはできなくなりました。痛みとともに右頬が膨らみ、触ると中にしこりのようなものもできてきました。なんだろう、といぶかしながらも、そのうち治るだろうと、放置してましたが、さすがに1か月を超えて症状が一向に改善せず、最近
4月初旬に入院して生検細胞を採取した検査の結果を聞きに、家内とがんセンターの頭頚部外科を訪れました。3月末でこれまで甲状腺腫瘍(検査治療保留中)でお世話になったU医師に替わり、K先生という医師が担当になります。どんな先生だろ?検査結果よりもそんなことが気になっていました。(あとから思うと、嫌な結果を直視したくなくて気を紛らわせるよう潜在的に思っていたのかもしれません。)診察室に入ると、2名の看護師さん、そして、若い気力溢れる感じの医師がおられました。まず、これまでの経緯の流れ(食道がん
デリケートゾーンが痒くなったり痛くなったりした事がある方は結構いらっしゃると思うんですが、外科的な治療が必要になった時、いつも困るのが麻酔の問題です。もちろん、麻酔が効いてくれば痛みはなくなるので、だいぶ楽なんですが、麻酔をするためには麻酔薬を注射しなければならず、その注射のための針を刺すのは、やはり繊細な部分という事もあって、痛みが強い訳です。私自身、痛いのが嫌いなので、患者さんに痛みを伴う処置をするのが非常に苦手で、、、たくさん手術をしてきましたが、それは麻酔科の先生がしっかり麻酔をか
頭頚部外科(耳下腺腫瘍)1月下旬に右頬(右耳の手前)にできた「しこり」の検査結果聞きに、がんセンター、頭頚部外科を訪れました。いつも待ち時間が長いのですが、しっかり丁寧に診てくれる先生だから、時間が後ろに押しても個人的に不満はありません。今日12時から診察の予定が、診察室に呼ばれたのは13時5分でした。外来の一番最後の患者でした。聞き洩らさないよう、そして不明なことは何でも聞こうと思い、家内と二人で訪れました。診察室に入るのは、やはりドキドキ。現状、口が1センチ以上開かず、歯の隙間か
2024年、新年早々の出来事。しこりがあり皮膚はできもののように腫れていたので年明けに病院で検査を受けるつもりでした。3が日が過ぎた頃夜中に胸の激痛で起きました。朝、病院の予約がとれて行ったら、すぐに検査。マンモグラフィーはじめてやりました。超音波検査やたら長いし、きっとヤバいってことなんだろうと思っていました。説明うけたらかなり大きい腫瘍があるのでさらに組織をとる検査。この時点で「悪い方を考えておいてください」って言われました。転移があるかもということで
2023年アメトピ掲載記事のまとめはこちら『♡2023年アメトピ掲載記事のまとめ♡』いつもお読みいただき温かいコメントやいいねをありがとうございます今年以前もいくつかアメトピ掲載していただいたんですが今年に入り結構たくさん掲載いただい…ameblo.jp簡単な自己紹介私→在宅勤務&主婦(44歳)夫→会社員(46歳)長女→姫さま(3歳)次女→お嬢(1歳)夫の仕事柄、転勤が多いので数年に1回転勤があり東京→札幌→千葉(今ココ)で暮らしています日々の育
PSA(前立腺がん腫瘍マーカー)高値、次にどうする?今日は、PSAの次のお話です。PSAは「前立腺特異抗原」で、前立腺がんの腫瘍マーカーです。がん特異抗原ではないので、前立腺がん以外でも、血中濃度が上昇することがあります。PSAは、もともと前立腺細胞内にある糖たんぱく質ですので、細胞が破壊すると血液中に出てきます。がんだけでなく、炎症などでも上昇することがあります。炎症は否定的で、PSA高値が続く場合、次にどうすでしょうか?最近では、MRI検査を行うこ
43歳で脳出血をした主人と家族の日々を綴っています1度目の出血2023年1月2度目の出血2023年11月現在、急性期病院入院中後遺症は高次脳機能障害です現状リハビリ病院から退院し、通院でリハビリしています。脳生検の結果も大まかなところは話がありました。まだ、細かな報告はありませんが、話が大きくなっていて、主人の病気は論文になり、世界にも発信されるようです。また、医療や国との根深い問題もあるため現状としての結果を多くを語れませんすみません。私が個人的なブログで変なこ
2024年1月下旬に乳がん検査の結果で乳がん診断された更年期真っ最中のアラフィフです。乳がんの治療やその日の気持ち、出来事を記録として残すことにしました。『わたしのこと』まずは自己紹介、この記事の日時現在の状況です。《年齢》50代前半《性別》女性《住まい》都内《家族》夫子なし《仕事》自営《生理》4ヶ月前にきた(絶賛…ameblo.jp【21時25分追記】左胸が熱くなり炎症がおきているようなので念のため持ってきたアイスバッグに氷いれて冷やしてます
夫婦2人暮らしの52歳です。初発で湿潤性乳管がん(炎症性乳がん)ステージ4ルミナールB手術不適応告知左胸腫瘍、両脇リンパ転移。炎症右胸拡大。ER(+)PgR(+)HER2(1+)ki67(50)私のこと、告知から治療について日々のことを書いています。『【目次随時更新】乳がん告知から治療について』52歳夫婦2人暮らし初発で炎症性乳がんステージ4告知投薬で延命治療をしています。記事が多くなってきたので目次を作りました。ブログをはじめたきっか…
がんになる前は、がんの疑い出てきた時点で、ネットで調べたり、セカンドオピニオンをしたり。自分でも、家族でも色々調べると思ってた。実際の私は、脂肪肉腫だったからか、症状もなかったため、疑いでも、あり得ないからと、脂肪腫ばかり調べてた。取れば終わり。こんなんで大学病院とは申し訳ない。と。生検しててもそう。気持ち落ちてても、肉腫とは思ってなかった。肉腫となった時点で、動くことすらできず、すぐ手術。調べまくったけど、欲しい情報はない。足の脂肪肉腫の、術前、術後、転移後などの
いやー。今日は長い1日でした。朝8時から17時まで結局かかりました。とりあえず転移はなさそうでした病変は浅そうですが範囲が広いと言うことで。。またまた生検してどこまでが病変なのか。結果は10日です。。そして内視鏡で治療できるけど範囲が広いから術後に狭窄が起こるかもしれないから難しいと😭結果次第では大学病院へ一度行ってください。そこで治療方針を決めましょう。ってことでまだ治療は決まらずでした😭まだまだ不安な日々は続くのでしたー。つづく