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『『風土記の内緒話』~鴨と忌部の交差点に神武天皇がいた~』『『高忍日賣神社』出張の合間の神社巡り愛媛編~ウガヤフキアエズ誕生日秘話~』『『惠依彌二名神社』出張の合間の神社巡り愛媛編~常世の国とスクナビコナ~』『…ameblo.jpさて、出張の合間の神社巡りは徳島編に突入。その前に一度、阿波国の延喜式内社を復習してみましょう。○延喜式内社延長5年(927年)に編纂された律令の施行細則をまとめた法典『延喜式』。その九~十巻は、朝廷から官社として認識されていた神社一覧表『延
【神様から聞いた竹取物語】妻をなんだと思っているのですか?/大切なものはきっと目には見えない/心を証明していくことに価値のある世界【神様から聞いた竹取物語/後編】かぐや姫は何の神?/富と志を持った国へ木花咲耶姫(繁栄)と岩永姫(永遠の命)が瓊瓊杵尊に果たせなかったものを渡すという物語。現代ではすっかり不細工な岩永姫ということにされてしまっていますが、その原因は醜きという言葉の理解が、不十分だったからなんですね。みにくき=見ずらい、逢うことが難しい、という解釈が抜け落ちてしまって
西暦248年以前の古代史豊玉姫が亡くなったのが西暦248年西暦200年頃の日本列島の人口は59万人くらいだそうです宇佐神宮宮司宇佐氏の伝承によると他の伝承や遺跡などとの互換性が薄いので個人的にはあまり当てにしていませんが一部抜粋します9000年前の早期縄文時代には山城国の稲荷山を根拠地としていた8500年前サルタ族がシベリアから来たえ~とサルタ族というのは出雲族のことですが出雲の伝承ではサルタ族は3500~4000年前に渡来したとしています
赤岩神社(あかいわ)所在地:鳥取県西伯郡伯耆町上細見[御祭神]天津彦火瓊瓊杵尊大山祇命、木花開耶比売尊速須佐之男神、稲田比売神????らしいです。?ネット情報なので正式にはわかりません?この地域の方々の神社だと思います。大国主が兄にダマされて、真っ赤に焼いた大岩に潰され命を落とし、母と女神の力によって生き返ったお話の赤猪岩神社(あかいわじんじゃ)とは違いますよ。この神社は岩がオーバーハングし、さらにヒビが入っているので何時崩落してもおかしくない感じです。
こんにちは、スタルペスです。宮崎県延岡市の可愛岳のふもとにある「可愛山陵(えのさんりよう)(えのみささぎ)」にやってきました。延岡市北川町の西郷隆盛宿陣跡資料館の裏手にあります。「可愛山陵」の正式名称は「北川陵墓参考地」といいます。※北川陵墓参考地(可愛山陵)天孫「ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)」の墓とされています。ニニギノミコトの墓は、九州に3箇所もあっていずれも宮内庁の陵墓参考地となっています。まずは、宮崎県の西都原古墳群にある「男狭穂塚(お
日向神社(多賀大社境内摂社)(ひむかじんじゃ)近江国犬上郡滋賀県犬上郡多賀町多賀604(多賀大社境内)(P有)■延喜式神名帳日向神社の比定社■祭神瓊々杵尊多賀大社境内の西端、西参道入口すぐに鎮座する境内摂社。式内社日向神社に宛てられています。摂社になったのは昭和九年のこと。◎「多賀神社誌」によると、天平鎮護二年(766年)に神封二戸を寄せられたとあり、その頃には既に鎮座していたものとみられます。◎ただしその時にどこに鎮座していたのかは不明。その後の記録も無く遷座があ