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日本三大弁財天~竹生島へ①令和7年4月6日(日)今年は巳年、だからって訳ではありませんが、今年は弁財天をお祀りしている社寺へのお詣りが増えそうな予感('◇')ゞと、言いましても、巳年だって前から、弁財天さんにはご縁を頂いている私、玉置の森。ぽっと出と一緒にしないでおくれやしてごめんやして( ̄▽ ̄;)天河大辨財天女は言うに及ばず、日本最初の弁財天・箕面山瀧安寺、厳島大弁財天・大願寺に、昨年は八百富神社にもご縁を頂きました。ならば、近畿を代表する弁財天が鎮まります、
「琵琶湖周航の歌」はいい歌ですね。この歌の誕生の歴史を調べるとすごいことがいろいろわかります。特に歌を作った「小口太郎」(作詞)という人と「吉田千秋」(作曲)という人は、面識はなかったということです。ともに大正時代に早世しているそうです。これほどのいい歌を作った二人がともに20代で亡くなっているとは何の因果でしょうか。琵琶湖周航の歌加藤登紀子SongofBiwakoShuukouTokikoKato今朝、起きて最初に聴いた歌がこれでした。なんと、すがすがしいことでしょうか。気
玉井タエ(たまいたえ/出生名:玉井妙子[たまいたえこ]/1952年11月26日〜)は、日本の元歌手。1952年11月26日生まれの玉井妙子は、大阪府出身。玉井は、同じく大阪出身の田中由美子(たなかゆみこ/1953年1月21日-)とともに、高校時代からベッツィ&クリスのカヴァーなどを歌ってライヴ活動をしていた。毎日放送ラジオの『ヤングタウン』のオーディションに合格。高校卒業後に上京。女性フォークデュオ「シモンズ」として本格活動。いわゆる「関西フォーク系」に属す
「うたつたえコンサート」令和7年6月29日(日)14時開演高島市民会館藤樹の里文化芸術会館令和7年度琵琶湖周航の歌継承事業うたつたえコンサート|高島市多感な青春と琵琶湖の美しい情景を歌った「琵琶湖周航の歌」は、大正6年6月に今津の地で誕生し、その後100年以上歌い継がれています。本コンサートは「琵琶湖周航の歌」を気軽に触れていただくとともに、よりよく後世に引き継ぐことを目的に開催します。今年度は、混声合唱団コーロ・いまづ、日本よし笛の会、高島少年少女合唱団&グリーンハーモニー、びわ湖ホー
昨夜、ボケーとテレビのBSの歌番組を見ていたら懐メロ特集をやっていて、戦前の歌がけっこう流れてきた。その中のひとつに思わず身を乗り出した。東海林太郎と小笠原美都子のデュエットで「琵琶湖哀歌」。「琵琶湖哀歌」は1941年(昭和16年)6月に発表されている。作詞、奥野椰子夫。作曲、菊池博。その年の4月に琵琶湖で遭難し命を落とした第四高等学校(現、金沢大学)の漕艇部の11人に捧げる形でこの歌が作られたという。滋賀県に生まれ滋賀県に生きる私はもちろん「琵琶湖哀
琵琶湖周航の歌(びわこしゅうこうのうた)は、日本の学生歌の一つで、琵琶湖および周辺地域を題材とした、滋賀県の御当地ソングの一つ。1917年(大正6年)6月28日成立(作詞小口太郎、作曲:吉田千秋)。琵琶湖を中心とした滋賀県の風景が歌われる曲である。歌詞は全6番からなり、表紙は8分の6拍子である。第三高等学校(三高。現在の京都大学)ボート部の部員による恒例の琵琶湖周航の途中、部員の小口他党による詞を「ひつじぐさ」(作曲:吉田千秋)のメロディーに乗せて初めて歌われた。その後この歌は、三高の
歌手・加藤登紀子さんが歌い昭和46年(1971)にヒットしたカバー曲『琵琶湖周航の歌』が生まれて今年で100年を迎えた。これを記念して某旅行会社が企画した周航の歌にゆかりの歌碑をめぐるツアーに参加した。歌碑がある全6ヵ所(三保ヶ崎・雄松崎・今津港・竹生島・彦根港・長命寺)をバスと遊覧船でめぐる1日ツアー。その記事を前編(三保ヶ先・雄松崎・今津港)と後編(竹生島・彦根港・長命寺)の二回に分けて紹介します。□琵琶湖周航の始まりとコース琵琶湖は滋賀県の面積の約六分の一を占め、その湖岸の総延長は