ブログ記事1,702件
夫婦で綴るスピリチュアル実体験ブログですいつもいいね!やフォローをありがとうございます今日は、久しぶりに実体験記を綴ります4月に再び訪れた神の島藪地島でのエピソードの続きですブログを途中まで書いていてそのままでした藪地島②奇跡的に行けることができた海の上にある龍宮父神では、神女(神と話す為の)誕生の儀式をして頂きました↓神域龍宮父神の島『沖縄、やぶちじま神女とイザイホーの儀』夫婦で綴るスピリチュアル実体験ブログです4/15-19まで、久しぶりの沖縄私の夫の実家に帰郷コロナ
神行事の日程です。久高島へ来訪の際の参考になれば幸いです・6/28(日)〜7/1(水)五月マティ「粟の収穫祭」・8/5(水)ミルクグワティ「太陽の祭」・8/31(火)〜9/3(木)旧盆・9/6(日)ウプマーミキ「大漁祈願」・日付未定七月綱「漁の訓練・大漁祈願」・9/16(水)ヤーシーク「害虫祓い」・9/24(木)トーカチ「米寿祝い」・9/25(金)〜26(土)八月マティ「お祓い・健康祈願」※見学可能、26(土)は一部交通規制あり・9/27(日)ヨーカビー「御
6年前の新聞投稿です。52年前アメリカ施政化におかれていた沖縄が日本に返還されました。沖縄は琉球王国の時代このように謳われていた「琉球国は南海の勝地にして三韓の秀を鍾(あつ)め、大明を以て輔車(ほしゃ)となし、日域を以て唇歯(しんし)となして、此の二つの中間にありて湧出せる蓬莱(ほうらい)島なり舟楫(しゅうしゅう)を以て万国の津梁(しんりょう)となし、・・・」意味は、「琉球王国は、南海のすばらしい地であり、中国・朝鮮国、日本の各国と親密な関係を持ち、これ
沖の注連縄「琉球」の謎その2昔、沖縄県は、「琉球」(りゅうきゅう)と呼ばれる王国であった。1429年、「尚巴志」(しょうはし)という人物が、「按司」(あじ)とよばれる各地の豪族たちを一つにまとめたところから「琉球王国」は出発している。「尚巴志」「琉球王国」は、今から約570年前(1429年)に成立、約120年前(1879年)までの約450年間にわたり、日本の南西諸島に存在した王制の国である。1429年に尚巴志が初めて統一権力を確立。これが「尚家」(しょうけ)を頂点とする琉
今でも続くJALの沖縄キャンペーン。1980年代にはキャンペーンガールを設けて彼女たちが水着姿で出演するCMが展開されましたが、90年代に入ると米米CLUBの『浪漫飛行』を皮切りに、イメージソング主体のCMが制作されるようになりました。その流れのなか、90年の浪漫飛行に続き91年に抜擢されたのが上々颱風(シャンシャンタイフーン)の『愛より青い海』です。メンバーも出演するCMは、彼女たちが身に付ける奇抜な衣装とアジアの空気を漂わせる楽曲により、当
今回の沖縄旅の目的は【今帰仁城跡】(この漢字は何て読むのだろうって思っていました)NakijinGusukuです。琉球王国のグスク及び関連遺跡群として世界遺産に登録されています。帰ってから、こちらは沖縄でトップクラスのパワースポットだということを教えてもらいました。(行く前に教えてほしかったけど)予め、地図や写真を見てみたら、私の足で行けるのだろうか?とかなり心配してました。(普段、インドア派なので)とにかく広い。そして、高低差もありそう。でも、
LUNCHMAPネタ。熱くて暑いので、よし、かき氷で涼をとろうせっせと歩いて、更に汗ダックダク~本末転倒な気が…w上地屋CAFÉ琉球王国市場住所:那覇市牧志2-2-30営業時間11:00~22:00定休日:不定休※駐車場なし※現金のみです。(一部店舗はクレカOK💳)※Wi-Fiスポット施設の詳細はHPから琉球王国市場ここ、琉球王国市場は、三越→ハピナハを経て、食が集結する場所へと変貌しましたー今後…どーなるんだろ、
スピリチュアルマスターの西川隆光です。あの穴口恵子さんも住んでいる、沖縄の地。この2月、西川は沖縄へ行きます!そして、ニライカナイの巡礼の旅へと赴きます。少し、その辺りを詳しく書いてみました。↓何かと温かいものが恋しくなる寒い冬。この時期に増えるのが温暖な地域への旅行です。ハワイやグアムもいいですが、円安の今、人気の旅行先はやはり国内の沖縄です。日本人はもちろん海外のセレブからも愛される沖縄ですが、独特な文化があるのはご存じでしょうか。「うちなーぐち」という特徴的な方言があること
仙人の洞窟案内のあとは2回目の君南殿内(ちんぺーどんち)君南風は、琉球王国の神女組織の中でも三十三君の1人であり、久米島における最高神女として祭祀を統括しました。君南風殿内(ちんべーどぅんち)久米島の最高神女(君南風(ちんべー))が祭祀を行った場所です。www.okinawan-pearls.go.jp久米島で素敵な宿のオーナーに出会ったこと、久米仙人に出会えて1泊だったけれど、中身の濃い素敵な久米島ライフを送れたことを感謝しにいきました。ありがとうございます🙏🏻仙人に荷物を取りに宿ま
ご訪問ありがとうございます😊✨運命を好転させる開運占星術✨西洋占星術/古典占星術ほしよみサロンMINOAKA澄川めぐです🌸◆プロフィールは⇨こちら◆鑑定メニューは⇨こちら◆YouTube⇨Naturalgirls⇨ngセカンドチャンネル昨日のブログ、具体例がなくて分かりづらかったかもしれません😅幸せな現実を生み出していくには自分と相手を切り離さないことということをとにかく伝えたかったです。笑『安心の世界で生きるには自分と人を分離しないこと』ご訪問あり
石畳道を歩いた後は、琉球王国の歴代国王が葬られている玉陵(たまうどぅん)へ立ち寄りました。ここも世界遺産に指定されている史跡になります。玉陵は、1501年、尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、その後、第二尚氏王統の陵墓となりました。先ずは、資料館で玉陵についての予習をします。資料館の撮影はOKでしたが、写真の掲載には事前の許可が必要なので割愛しています。ここは、世界遺産のひとつで沖縄県最大の破風墓なのだとか。東の御番所(あ
2020年1月18日GK383便のジェットスターに乗り、沖縄に到着したのは14時半でした。那覇空港からレンタカー屋さんのバスに乗り込み、レンタカーの手続きをします。ナビの設定に苦労しながら辿り着いたのは「がんじゅう駅・南城」です。石で作られたシーサーがお出迎えしてくれます。沖縄県内の市で一番人口が少なく、警察署も高校も無い市なのですが・・・・・。ここにしか無いものを見るためにやってきました。それは、斎場御嶽(せーふぁーうたき)です。空からポツリポツリと
◆続日本の100名城中城城より勝連城へ向かいます。続日本の100名城シリーズへ突入します。★世界遺産琉球王国の城(ぐすく)群勝連城です。★山城小高いと言うより高い山城です。斜面を利用して縄張りを構成しています。★城壁に囲まれた城城内も起伏が有る作りになっています。城壁は緩やかなカーブを描いて築城されています。★防御田地騎馬兵を阻むぬかるみです。現在は草原で乾燥した土地になっています。★連なる城壁高台の城壁アスファルト道路が整備されていて
これは戦前に撮影された首里城の姿です。ちーーーっとも燃えちゃった首里城みたいな中華っぽさないでしょ?この建物も↑江戸時代に薩摩藩(島津氏)が入ってきて、本土の寺社っぽく変えられたとは思いますが。きっと、それ↑以前がこっち↓だと思う。これを見ると龍宮城っぽいイメージよね弁天様の社寺が、こんなかんじよね数年前に首里城へ一度行きましたがほんとに腹立たしかったのです。琉球は、中国の配下だったと洗脳する展示ばかりちなみに中国で
沖縄の城の中で最も古く、築城の歴史が12世紀頃まで遡る、沖縄の世界遺産最古の城・勝連城へ。ここ勝連城は、この地を治めた武将・阿麻和利(あまわり)が居城した城だ。沖縄の歴史は非常に複雑であるが、これを無視して日本の歴史は語る事はできない。沖縄本島は、14世紀頃、本島北部の北山、中部の中山、南部の南山の3つの小国に分かれ、按司(豪族)らが群雄割拠していたが、1429年、これらの小国のうち佐敷の按司の出自で、中山王であった初代・尚巴志(しょうはし)が各地へ侵攻し、統一を成し遂げ「琉球
るろうに剣心で琉球(沖縄)出身の猛者と言えば、言わずと知れた魚沼宇水こと”盲剣”の宇水だ。宇水は志々雄から光を奪われるまでは日本刀を使っていた。恐らくその後心眼に目覚めてから、それに見合った戦い方を模索しているうちに故郷琉球に伝わるティンベーとローチンを用いた戦法に辿り着いたのだろう。ところで宇水の名字である「魚沼」は沖縄では非常に珍しいのではないだろうか?沖縄県名字ランキング明治初期の琉球に魚沼という姓がどれほどいたかは不明だが、現在は殆どいないようだ。名字
2023年1月28日沖縄旅の三日目は「おきなわワールド」を観光しています。「玉泉洞」で、素晴らしい地底の世界を堪能した後は「琉球王国城下町」を散策します。赤い瓦にシーサーが見守る沖縄の家の風景が素敵です。爽やかな風が吹き抜ける居心地のよさそうな家屋ですね。生垣のハイビスカスの花が沖縄らしく感じます。所々の家が体験工房になっていて楽しそうな雰囲気になってます。ガジュマルの木の木陰もいい感じです。あ、ショーの時間になりました
はいさいぐすーよーちゅうがなびらっ(皆さんこんにちは、いかがおすごしでしょうか)今日はタイトルにある「楊姓門中」について楊姓門中=ヨウセイムンチュウと読みます元々、県外で長い間生活していたワタクシは将来、沖縄にUターンするタイミングを決めていたのですがその最後の一押しをしてくれたのが「琉球歴史」でしたどういうことかというと県外生活している頃、沖縄出身者なので当然ながら沖縄のことは好きだったのですが「沖縄の歴史」については無関心でした戦前・戦後のことは義務教育で触