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個人的な意見ですのであしからず。DH有【守備】投:先:ダルビッシュ有中:浅尾拓也抑:藤川球児捕:古田敦也一:王貞治二:山田哲人三:落合博満遊:松井稼頭央左:松井秀喜中:秋山幸二右:イチロー指:大谷翔平【打順】1(右)イチロー2(指)大谷翔平3(遊)松井稼頭央4(一)王貞治5(三)落合博満6(左)松井秀喜7(中)秋山幸二8(ニ)山田哲人9(捕)古田敦也先:ダルビッシュ有中:浅尾拓也抑:藤川球児かなり普遍的な打線になってしまいましたね。
R8年2月15日(日)晴れ昨日に続き、愛媛県松山市は気温19℃となり、昼間は汗ばむような陽気です。こんな日、自宅内で過ごすのはもったいない気もしますが、倉庫や部屋の片付けをするには最適な気温。そんな倉庫の中から、懐かしい雑誌が見つかりました。1980年(昭和55年)月刊コロコロコミック・冬の増刊号です。私も中学生になる頃ですので、流石にコロコロ離れをする頃に当たりますが、当時の人気漫画を読むならコロコロコミックを読むのが一番。特に藤子不二雄作品が多いのもプラスでした(笑)1
私が以前、このブログで書いた、「王貞治の通算756号ホームラン達成」の記事は、後で読み返してみると、一つの記事に、多くの事を詰め込め過ぎであると、私自身、思った。そこで、今回は、以前に私が書いた、「王貞治の通算756号ホームラン達成」の記事を、いくつかに分け、加筆修正(?)した上で、一挙投稿させて頂いている。勿論、何処から読んで頂いても構わない。…という事で、「王貞治(巨人)『通算756号ホームラン』への道」の、一挙投稿の「第3回」をご覧頂こう。『1977(昭和52)
東京ドーム22ゲート"OURGIANTSWILLLIVEFOREVER."ShigeoNAGASHIMA|1974(我が巨人軍は永久に不滅です。長嶋茂雄)22ゲート下にはBIGEGG1988TOKYODOME(最近では聞かれなくなった愛称BIGEGG)22ゲート1塁側階段OHGate(バットと月桂樹のゲート・モニュメント;2014)階段にグラフィックアート(バットを振る王貞治;2022)階段横の壁にゲート・レリーフ(「
読売ジャイアンツユニフォームギャラリーシリーズ#9皆さんのお陰で今月に入り人気記事ランキングにも顔を出すようになり、自分でも驚きを隠せません、『プロ野球ユニフォームギャラリー』。第9回目は世界のホームラン王である王貞治さんの誕生日ですので、それを祝して読売ジャイアンツ「第一次長嶋政権2連覇の立役者達」を取り上げます。1974年に9連覇で黄金時代が終わり、さらに長嶋茂雄監督が就任した1975年には球団史上唯一の最下位を経験することになりました。「四番・長嶋茂雄」が居ない打線を率いることの
私が以前、このブログで書いた、「王貞治の通算756号ホームラン達成」の記事は、後で読み返してみると、一つの記事に多くを詰め込み過ぎである…と、私自身、思ってしまった。そこで、私が以前書いた、「王貞治の通算756号ホームラン」の記事を、いくつかに分け、加筆修正をした上で、一挙投稿している。勿論、一挙投稿の内、どの記事から読んで頂いても構わない。…という事で、「1977(昭和52)年の王貞治(巨人)『通算756号ホームラン』への道」の、一挙投稿の「第4回」を、ご覧頂こう。
高校野球の辞退の件で、先日放送された『プロ野球レジェン堂』を思い出しました。部員の不祥事で甲子園に行けなかった江本孟紀さんや、出場辞退を避けたい学校の思惑で、無実の罪を押しつけられてメンバーから外された張本勲さんが語る、当時の心境が生々しいです。出られなかった大会の開会式を、甲子園の観客席で見ていたという江本さん。見ている間の気持ちの移り変わりを赤裸々に語っておられます。それから、張本さんが広陵高校への進学を希望していたのに実現しなかったという話。今聞くと何とも、皮肉というか何というか
結論から言うと、アメリカ全体での王貞治の知名度は「1%未満」、かなり甘く見積もっても1〜2%程度です。ただし、層を限定すると評価は大きく変わります。層別に見る「アメリカでの王貞治の知名度(体感的%)」①アメリカ一般層(野球に詳しくない人)知名度:ほぼ0%「SadaharuOh」という名前を聞いて分かる人はまずいませんベーブ・ルース、ジャッキー・ロビンソン、大谷翔平は知っていても王は出てこない👉0.1%未満②野球ファン全体(MLBを普段見る層)「聞いたことがあるかも
2025(令和7)年6月3日…。「ミスター・プロ野球」と称され、日本中から愛された男・長嶋茂雄が亡くなった。長嶋茂雄は享年89歳、「野球を愛し、野球に愛された男・長嶋茂雄」は、奇しくも「89(やきゅう)」という年齢で、そして、長嶋の現役時代の、「背番号3」と同じ、「(6月)3日」という日に、この世を去った…。長嶋茂雄は、勿論、野球界では唯一無二の特別な存在だったが、長嶋は野球界の枠を超え、「戦後の日本人を代表する人物」の一人…でもあった。長嶋の訃報は、マスコ
以前、私がこのブログで書いた、「王貞治の通算756号ホームラン達成」の記事は、後から読み返してみると、一つの記事に色々と詰め込みすぎであると、私は思った。そこで今回は、私が以前に書いた、「王貞治の通算756号ホームラン達成」の記事を、いくつかに分け、加筆修正(?)した上で、一挙投稿させて頂いている。勿論、何処から読んで頂いても構わない。…という事で、「1977(昭和52)年の王貞治(巨人)『通算756号ホームラン』への道」として、一挙投稿させて頂いているシリーズの、今回