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藤波さん大年表※藤波さんのデビュー50年を記念して、この「藤波さん大年表」(お試し版)を作りました。藤波さんの「誕生」から、令和4年の今までを、年毎に「トピックス」を豊富に入れて、「楽しく」年表風にまとめようと思っています。(きっと、すごい量になるなあ)出典はいちいち記していません。独自研究(笑)を含みます。ほぼ文字だけですが、たまに素敵な写真を専門誌紙、パンフレット等からお借りして載せています。もし、問題がありましたら、すぐに削除いたします、よろしくお願いいたします。RSD
物足りないんですか?奥さん(爆)そんな訳で、仕事が忙しく食べ歩きどころじゃないブログ的に致命的ですよ!でも、安心してください!奥さん(笑)今日は思わぬ発見ができたんだよね!一般道で、かすみがうら市を走ってると馬場ピンチになっちゃったんですよ!って、古い関西人には解るよね(笑)馬場がピンチだと猪木が出てくるんですよ(笑)とにかく、それを運転手に注げると大丈夫だよ!千代田PAがあるからって!え?何言ってんだ?ここ一般道だぞ?って焦り気味に言ったら(笑)余裕の笑いを浮かべて大
★藤波デビュー50年藤波辰巳全試合新日本プロレス1972年※新日本プロレス所属での試合は、0015~3471試合めまで。1972年(昭和47年)◆旗揚げオープニング・シリーズ3月6日東京・大田区体育館0015▼20分1本勝負○エル・フリオッソ(4分20秒・エビ固め)藤波×◆3月10日群馬・高崎市体育館▼20分1本勝負○木戸(13分17秒・体固め)藤波×◆3月14日群馬・桐生市民体育館▼20分1本勝負○魁勝司(1
今回は前回の続きとして、猪木問答の真面目な考察です。書き起こしが読みたい方は前回を参照ください。『【プロ格名場面シリーズ】どこよりも正確な「猪木問答」』久々にプロ格名場面シリーズの新作です。過去にあったプロレスの名場面を文字起こししつつどんな出来事だったのか私の勝手な解釈を沿えるという内容になります。先日、私…ameblo.jp「神への公開直談判」のはずが、突如始まってしまった猪木問答。果たしてあの時の正解は何だったのか。一人一人の回答を振り返りつつ考察してみましょう。(「正解
過ぎちゃいましたが「10月8日」といえば、ドラゴンファンなら、忘れられない日ですよね。え?何?という方も、いらっしゃるかもしれません。ヒントは、後楽園ホール。開幕戦。メインエベント。実況中継。猪木・藤波・長州組相手には、ブッチャーがいました。そうなんです、昭和56年10月8日、「長州反逆の記念日」ですね。あの、テレビ漫画「ガッチャマン」にも登場した(笑)「長州が藤波と仲間割れ、藤波に牙をむいた、「革命記念日」なんですよおおおお(炎上)!で、ここのところ、更新が
燃える闘魂・アントニオ猪木展福岡に行きました。開催初日は仕事だった為に逃しましたが、1日遅れで参加できました。場所は、大丸福岡1階。久々の天神。いきなりのNWFのベルト!アントニオ猪木と言えば、私はこのベルトかなと思います。アリ戦のポスター。このサイズの横長のポスターが存在していることに、当時のプロレスブームとアリ戦の熱狂を伺うことができます。闘魂棒。私だけかもしれませんが、Tシャツとかアクリルスタンドとかより、こういうのを販売して欲しいです。闘魂棒を初めて生で見ましたが、
今回も前回の続きで猪木問答の読み解きです。全文書き起こしは前々回で、真面目な考察は前回でやったので今回は気楽に読んでください。この事件について、まだいくつかの細かい謎があります。具体的には以下の3つです。・なぜ猪木さんは途中で急にポエム(道)を読んだのか?・なぜ蝶野選手は「これからお前が仕切れ」と猪木さんに直接指名されたにも関わらず「誰か他にやるヤツいねえのか!」と叫んだのか?・なぜ猪木さんは「お前が仕切れ」と言っておきながらその後マイクを離さず最後まで仕切り続けたの