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新・ドラゴン藤波大年表2025362001印象的な「ドラゴン・ストップ!」藤波社長大奮戦するも、猪木や橋本に振り回され、苦悩の年に。ネバー・ギブアップ!藤波社長、大奮闘するも、印象的な「ドラゴン・ストップ」オーナーの猪木の意向、橋本の動向にも振り回され苦悩の年に。ネバー・ギブアップで大奮闘の年。。●平成13年(2001年)47歳●平成13年(2001年)47歳1月1日新日本プロレスの公式ホームページに、
新・ドラゴン藤波大年表2025332000闘う社長として八面六臂の大活躍自身の引退問題より、橋本の処遇をめぐり東奔西走東京ドームでルールを越えた橋本・小川戦藤波は社長として自身の引退問題よりも橋本の去就に尽力する。藤波は「闘う社長」として試合にも登場した●平成12年(2000)46歳※新日本プロレスの社長として、藤波の任務は多岐にわたるため、この「大年表」では、項目を精選して、つまり絞って作成しています。1月4日
新・ドラゴン藤波大年表20252219871987年木村健吾との抗争にワンマッチ興行。海賊さわぎ。長州の乱入で負傷欠場。世代闘争から巌流島と「名勝負数え歌」最後は、両国の大暴動で終わる波乱の年木村健吾との抗争にワンマッチ興行。海賊さわぎ。長州の乱入で負傷欠場。突如はじまったニューリーダー路線。「世代闘争」・・・と、ある意味「身勝手な」長州に振り回された一年。猪木とマサ斎藤の「巌流島」に対抗して「最後の名勝負数え歌」(RSD)最後は、両国の
新・ドラゴン藤波大年表2025372002あいつぐ選手の離脱で社長も大変。猪木問答で蝶野に全権委譲そんな中、選手としても試合に出場。さらなる飛躍を目指す。東京ドームの「無我」新日本30周年へむかってあいつぐ選手の離脱で社長も大変。現場の指揮権が長州から蝶野に変わり、そんな中選手としても試合に出場。さらなる飛躍を目指す。●平成14年(2002年)48歳1月2日藤波社長が、新年の挨拶で、東京ドーム大会への参加を拒否
新・ドラゴン藤波大年表20251971年いよいよデビュー戦「はじめてリングシューズを作ったときは、うれしくて枕元に置いて寝ました」年末に猪木が日本プロレスを追放に。藤波も迷わずついてゆく★この年の日本プロレスと藤波★日本プロレスに入門して、猪木の付き人として務めながら、自身のデビューを目指す。ついに、デビュー戦の日がくるも、その喜びもつかの間、忙しい毎日をひたすら若手としてすごす。少しづつ試合も組んでもらえるようになった年末、猪木追放という大事件が起こる。藤
新・ドラゴン藤波大年表20251972年新日本プロレス旗揚げ「藤波は、猪木のもと、新団体の旗揚げに全力を尽くす」「旗揚げの日」藤波は記念すべき「旗揚げ第一試合」を藤波は、猪木のもと、新団体の旗揚げに全力を尽くす。道場を作り、チケットを売り、ついに迎えた「旗揚げの日」藤波は記念すべき「旗揚げ第一試合」をつとめる。●昭和47年(1972)18歳新日本プロレス旗揚げ●昭和42年(1972年)藤波18歳1月12日この日、「日本
新・ドラゴン藤波大年表2025311996ドームで天龍と一騎打ち、鼻に重傷をおう。精力的に「無我」の興行、他団体への進出、「新龍王伝説シリーズ」の主役、朝のテレビ小説や、各種「テレビ出演」と大奮闘の年。。ドームで天龍と一騎打ち、鼻に重傷をおう。だが、精力的に「無我」の興行、他団体への進出もすすめる。新日本本隊では「龍王伝説シリーズ」の主役をつとめ、朝のテレビ小説「ひまわり」や、各種「テレビ出演」と大奮闘の年。。
新・ドラゴン藤波大年表20251819841984年長州力との闘いが新たな方向へそして、「ストロングスタイルはどこへ行ったの?」維新軍離脱・支えるファン年末に猪木藤波タッグ優勝1984年ファンを無視する展開維新軍の乱入や暴行・無効試合忘れられるストロングスタイル維新軍が離脱そして、大量離脱藤波は猪木を支えファンの応援もマシンの出現藤波夫妻のテレビ番組出演各種雑誌・写真集年末に、最初で最後の「猪木と藤波、タッグリーグ戦
新・ドラゴン藤波大年表2025402005「ノア」から三沢が参戦、藤波と組み、蝶野組と対戦。選手として、ハツラツと。「闘う社長」として大活躍。選手としてもハツラツと、●平成17年(2005年)51歳1月4日東京ドームで「闘魂祭り」大会が開催された。猪木の提唱する「アルティメットロワイヤル」も行われ、ウオーターマンが優勝。これまでの試合方法とは大きく違って、観客も戸惑った。また、長州や小島も参戦した。藤波は目立った動きはなし。
新・ドラゴン藤波大年表2025161983年長州力との「名勝負数え歌」はじめて長州に敗れるも奪回。各種メディアに登場。藤波は前田とのタッグも。長州との名勝負数え唄。藤波は、一度も負けたことのない長州に、ついに敗れ、「失踪」。帰国して、ついにタイトルを奪回するも、納得できず返上も。年末には前田との「新選組」タッグで出場。藤波個人では、テレビ番組への出演も活発化し、多方面に渡って活躍。とにかく、忙しい一年。その後半戦、1983年の「その2」です。
本日でした新日本プロレスエース/社長の棚橋弘至さんが1.4東京ドームで引退です棚橋は私の一個上でほぼ同世代プロレス界では早めの引退に思えますが、社長業をやれ、と言われスパッと引退決断強く、カッコいいまま終わるには最高のタイミングだと思います相手もオカダ・カズチカ、レインメーカー誰もが納得のライバルカズチカもAEW移籍したけど、また上がってくれて嬉しい引退試合はカズチカの勝利に終わりましたが、どこまでも「棚橋」の試合に観客は大満足した模様ですあ、プロレス系の記事書いてると必ず「ど
新・ドラゴン藤波大年表2025231988木村とIWGPタッグを獲得。飛龍革命から、最後の師匠・猪木との60分フルタイム。海外へ。そして3冠王に。昭和最後の年にふさわしい活躍。昭和63年(1988年)沖縄で飛龍革命から、最後の師匠・猪木との60分フルタイム。海外へ。そして3冠王に。昭和最後の年にふさわしい活躍。●昭和63年(1988)34歳1月4日東京スポーツ新聞社の「プロレス大賞・殊勲賞」を木村健吾
新・ドラゴン藤波大年表20252619911991年リックフレアーに勝ち「NWAヘビー級」奪取!藤波20周年第1回「夏のG1クライマックス」開催べイダーと組み「SGタッグリーグ」優勝平成3年(1991年)藤波はベイダーとの選手権試合ではじまり、フレアーから世界のベルトを。20周年記念試合のあと、夏のG1初開催に参戦、ベーダーと組んでのSGタッグリーグ優勝!バラエティ番組にも出演と、バラエティに富んだ忙しい1年に。●平成3年
U新・ドラゴン藤波大年表20252519901990年腰痛による長期欠場から、奇跡のカムバックドラゴンボンバーズ「藤波辰爾」に改名年末に長州に勝ちIWGPヘビー級タイトル奪取9月25日●平成2年(1990年)36歳平成2年(1990年)腰痛による長期欠場から、奇跡のカムバック●平成2年(1990年)36歳年が明けて、1990年藤波は、腰痛による長期欠場が続く。治療に専念。常に、肉体的精
新・ドラゴン藤波大年表20252119861986年UWF戦士の参戦で活気づく前田との大阪城決戦武藤の凱旋とタッグ結成★この年の新日本プロレス★UWFの参戦によって、あらたな展開が期待された。「ロープに降っても戻ってこない」とか「関節技でギブアップを狙い、カウントスリーはない」などと、大いに話題になった。ファンは猪木と前田の対戦を期待していたが、なかなか交わることはなく、対戦をいやがる選手もいるという中、藤波と前田のカードがファンの渇