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仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(__)m戦場で討ち取った敵の首を切り落とし、自分の手柄(戦功)の証拠とする「首級(くびじゅ・しゅきゅう)」の風習が、日本の戦場で組織的・一般的になったのは「平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて(12世紀後半)」なのだそうです。そもそもどうして相手の首を取って手柄とする風習が定着したのでしょう?古代中国(秦の時代など)では敵の首の数で階級が決まる「首功制」という制度があり、これが日本の武士のルーツで
仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(__)mさあ、さあ記念すべき第1回目:伊達政宗VS藤堂高虎を終え、↓『天下分け目の戦国武将対決⚔️伊達政宗VS藤堂高虎』仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(__)m戦国の群雄割拠のあの時代、兵どもが覇権を掛け、愛する人を守るため、…ameblo.jpお待たせしました(^^)(いや、別に待ってないってかぁ)第2回目のブログ上武将対決!今回は変則的な
仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(__)m戦国時代の武将たちが何を求めて戦いのしのぎを削ったのか?天下を取る!といった男のロマンは伊達政宗様が頭角をあらわし始めた頃には、もはや秀吉、家康へと趨勢は固まりつつありました。そうなると、一番の関心事はなんといっても「領地拡大」がメインテーマ。秀吉の惣無事令が発せられてからは、おいそれと戦は出来ない状況ではあったのですが、政宗様は頑張りました。(あとで取り上げられたけど、、、。)
仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(__)m群雄割拠の戦国時代、当時の武家は家柄で評価される時代でした。なので、中世・戦国社会を生き抜くための政治的な戦略として、家系図を意図的に書き換えるということは家格が上がれば上がるほど、家柄に箔をつけるためにしらッと行われてきました。天下人だった、豊臣秀吉や徳川家康も経歴詐称をしていたのは有名な話。これまで、我らが伊達政宗様は「藤原氏の末裔」であるということが伝えられてきました。その根拠と
仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(__)m私たちは学生時代、日本史の教科書でこのように教えられてきましたね。源頼朝が開いた初の武家政権の鎌倉幕府。成立した1192年を「いい国作ろう鎌倉幕府」なんて、語呂合わせで覚えさせられましたが、昨今では、頼朝が全国に守護と地頭を設置した1185年=「いい箱作ろう」説が有力なんだとか。そして、建武の申請を経て誕生したのが足利尊氏の室町幕府。これは、三代将軍の足利義満が京都の室町の花の御所で政務を行