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狩野派(かのうは)は、日本絵画史上最大の画派であり、室町時代中期(15世紀)から江戸時代末期(19世紀)まで、約400年にわたって活動し、常に画壇の中心にあった専門画家集団である。狩野派Wikipediaよりと言うことで、狩野英孝もファビュラスな姉妹(こっちは叶ですね。)も無関係です。その狩野派ですが、昨今は奇想の系譜の絵師や、明治の超絶技巧の工芸家たちのブームにより、これまであまり注目されてこなかった絵師や工芸家に注目が集まってきています。しかし、元々日本画壇のメ
「楼閣山水図」を所蔵し、比叡山の借景でも知られる北区西賀茂の寺院は何処か?狩野山楽の「楼閣山水図」を所蔵するのは、洛北西賀茂にある正伝寺である。当寺は臨済僧・東巌慧安(トウガンエアン)が鎌倉期に一条今出川に創建し、弘安5年に現在地に移った。「楼閣山水図」を含む障壁画と方丈建築は、元々、家康が慶長年間に再建した伏見城本丸御殿に在ったもので、変転を経て建物・障壁画共に正伝寺に移築された。寺伝通りに障壁画は山楽の筆である事が明らかになり、建築・
26-1桃山文化の特徴織豊政権(しょくほうせいけん)から江戸時代初頭にかけての文化を、豊臣秀吉(とよとみひでよし)晩年の居城(きょじょう)である伏見城(ふしみじょう)の地名にちなんで桃山文化(ももやまぶんか)という。この桃山文化の特徴として、(a)新興の大名と大きな経済力をもつ豪商(ごうしょう)たちの生活を反映して豪華で自由な傾向が強いこと、(b)仏教色が後退する一方で現実的な生活文化の色彩が強まったこと、(c)南蛮文化(なんばんぶんか)の影響が浸透したこと、