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「楼閣山水図」を所蔵し、比叡山の借景でも知られる北区西賀茂の寺院は何処か?狩野山楽の「楼閣山水図」を所蔵するのは、洛北西賀茂にある正伝寺である。当寺は臨済僧・東巌慧安(トウガンエアン)が鎌倉期に一条今出川に創建し、弘安5年に現在地に移った。「楼閣山水図」を含む障壁画と方丈建築は、元々、家康が慶長年間に再建した伏見城本丸御殿に在ったもので、変転を経て建物・障壁画共に正伝寺に移築された。寺伝通りに障壁画は山楽の筆である事が明らかになり、建築・
◯2022年12月21日、嵯峨野の大覚寺へ参詣した。前回、大覚寺については書いた。今回は、その内部の案内になる。入場してすぐが式台玄関になる。大覚寺のホームページでは、次のように案内する。式台玄関寺伝では江戸時代に京都御所より移築したものとされ、現在は特別な賓客がお越しになられた時などに使われる。玄関内部の障壁画には、狩野永徳筆の重要文化財「松二山鳥図まつにやまどりず」が描かれている。障壁画手前には、第91代天皇の後宇多法皇が使用した御輿あり、御輿には後宇多法皇の御紋である「九曜
下賜されたもので、その宸殿の襖絵「牡丹図」「紅白梅図」(共に重文)の金碧障壁画は、誰の代表作か?大覚寺宸殿の襖絵「牡丹図」「紅白梅図」は、狩野山楽の手になる。山楽は近江出身の江戸初期の画家で、秀吉に画才を認められ狩野永徳の弟子になる。永徳の死後、探幽が徳川幕府の御用絵師となって江戸に移ると、山楽は「京狩野」の祖となった。「牡丹図」は東福門院・入内(ジュダイ)当初の御殿を飾っていた障壁画とも云われ、60過ぎた円熟期の作で、牡丹を華やかに描いた
【食育クイズ:Vol.1577】「京都府」の「狩野山楽」おさらいクイズ!伏見城から移築された方丈と山楽の障壁画がある寺院とは?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞コッチラボ国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイズ1kgAmazon(アマゾン)たねすはら無添加味噌500gAmazon(アマゾン)大豆
や妙心寺などに優品を残した京狩野の祖と呼ばれるのは誰か?桃山・江戸初期の画家狩野山楽は、近江・浅井長政の家臣の家柄に生まれ、秀吉に画才を認められ、狩野永徳の弟子となり「狩野」姓を許された。永徳没後、大坂城などの障壁画に腕を振るった。豊臣家滅亡後は徳川家に許され、「江戸狩野」の狩野探幽ら宗家に対して、「京狩野」の祖となった。作風は永徳譲りの豪快さを受け継ぎながら、優麗で端正な装飾性を加え、大覚寺・宸殿の「紅白梅図(重文)」「牡丹図(重文)」、
明日、明後日と、週末は天気が悪いという予報なので、今日、晴れている間にと、午後から京都国立博物館に出掛けていた。ここは、春と秋には大掛かりな企画展が行われることが多いが、現在は「京博のお正月」と銘打って、「辰づくし-干支を愛でる」など、いくつかの特集展示が開催されている。そうは言っても、1階から3階まである広い展示室が、すべて何かしらの特集の展示で埋められていて、それぞれが十分に見応えのある展示になっている。(現在の展示室がある「平成知新館」/京都国立博物館)
2015年、京都に旅行に行った際の事です。正伝永源院というお寺で、狩野山楽筆、蓮鷺図(襖絵)を見て、心底興奮したのでした。襖いっぱいに生えている蓮の葉っぱと、白蓮の中に一個だけ、一本の茎に二輪の花が咲いている蓮が描いてあったのです。それを、双頭蓮というのだと教えてもらいました。こんな変な花、本当にあるのかな、と、半信半疑でしたが、一昨年の夏、ついに自分の眼で確認することができました。ずーっと頭の中から消えなかった、山楽の蓮鷺図の双頭蓮、8年越しに鮮やかによみがえりました
今回も妙心寺塔頭を紹介します。江戸時代の初期に創建された天球院。姫路の殿様池田家の菩提寺です。大河ドラマ徳川吉宗のオープニングに登場した竹虎図の虎の絵が室中の間で出迎えてくれました。さらに、梅に遊禽図(ゆうきんず)、籬草花図(まがきそうかんず)、狩野山楽、山雪の障壁画を見ることができました。籬草花図は2012年の切手趣味週間の切手の意匠になりました。襖絵の山鳥の絵は2016年の冬の旅の表紙になりました。宝泉院、源光庵、正伝寺、養源院でも紹介した血天井のあるお寺です。通常は非公開、特別公
おはようございます。今日は狩野永徳(日本画家)の忌日です。狩野派の絵師はたくさんいて、どなたがどの絵を描かれたのか、その活躍された時代も含めて混乱してしまいます。狩野永徳は作品をご覧になると、あの絵のと思われるかもしれません。【狩野永徳(かのうえいとく)】聚光院襖絵出典Wikipedia天文12年1月13日(1543年2月16日)-天正18年9月14日(1590年10月12日))狩野永徳は安土桃山時代の絵師です。狩野派(室町時代から江戸時代まで日本画壇の中心にあった
…一方、京都に残り活躍した「京狩野」の始祖は誰か?「狩野派」は、日本絵画史最大の職業絵師集団である。室町中頃から江戸末期までの約400年間、我国の画壇に君臨し続けた。初代は室町幕府の御用絵師となった狩野正信。以来、血族関係を主軸に派を継承し、その時々の権力者と結び付いて、内裏・城郭・大寺院の障壁画などの大量注文に集団制作で応えうる絵師一門の勢力を維持してきた。長らく京都を活躍の舞台としていたが、江戸幕府成立後、幕府の招きで狩野派の多くが江
もう2ヶ月も前になるが、京都文化博物館で、織田有楽斎の人物像と茶人としての功績を紹介する展示会があった。「織田有楽斎像」狩野山楽筆(正伝永源院蔵)戦国武将としての織田有楽斎の評判は良くないが、茶人としては古田織部※に次いで武家の茶道を確立したことで知られる。古田織部:1543年(天文12)〜1615年(慶長20)南山城・東大和1万石の大名。大名茶人といえば、古田織部の名がまず挙げられるほど武家の茶道を確立した人物で、千利休の「利
広沢池から大覚寺に向かって歩きました案外距離ある・・・やっと参道さらに5分くらい歩いて・・・やっと入り口~入ります入ってすぐ、お籠と、障壁画は狩野永徳宸殿へ~あ、これは狩野山楽「牡丹図」もちろん複製なんだけど、先の台風で吹っ飛んで修復が~とか言ってる報道をみたので、治ったのですね。宸殿の前には「右近の橘」と「左近の梅」京都御所なんかは「左近の桜」だけど、その前の時代の古いところは「梅」なのです。蔀戸勅使門
おはようございます。このところフェーン現象で猛暑日になるところも多いし、9月になっても猛暑日とか真夏日という表現を使うのかと思いました。今日は狩野永徳(日本画家)の忌日です。狩野派の絵師はたくさんいて、どなたがどの絵を描かれたのか、その活躍された時代も含めて混乱してしまいます。狩野永徳は作品をご覧になると、あの絵のと思われるかもしれません。現在、大徳寺聚光院では国宝里帰り特別公開されています。狩野永徳とその父、松栄のによる本堂障壁画46面(全て国宝)が5年半ぶりに里帰りし、一挙公開さ
昨日の続きです【資料】桃山時代から江戸初期にかけては、天下人たちが新たな造形を生み出す一方で、都市風俗や庶民の風俗も盛んに描かれるようになりました。また南蛮貿易により伝来したキリスト教や西洋の影響が見られる美術も現れます。江戸時代初期の寛永年間になると、京都の後水尾天皇の周囲では、町衆も含んだ文化サークルが形成され、徳川家の芸術とは違う方向の美学が展開していきました。Q.234この絵の説明としてふさわしいものは?①西洋技法を用いた、狩野内膳筆《南蛮屏風》の一部②西洋の油彩
名古屋のシンゾウです京都検定を13回も受験した結果、関係資料(デジタル、紙)が滅茶苦茶溜まっています。一度、資料を全部見直して整理しなければなりません。最近、新しく作る資料の多くが、過去の資料とダブるケースが増え、無駄な時間が増えています。過去の資料の中にも、多くのお宝資料も残っている筈です。この暇な時期にやらねばと....思ってはいるのですが、なかなかその気になりません。もどかしい限りです。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本日の問題(486)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆《
名古屋のシンゾウですカナダに勉強に行っている孫とLineビデオを試みました。果たして繋がるのでしょうか。結果、全く問題なく繋がりました。時差が16時間もあるんですよ....なんと!素晴らしい技術革新でしょうか。カナダ、雪が降っていましたが、春は近いそうです。頑張れ!!今回から《公式テキスト、抜粋単語》のサイトを開きました。試験は、この単語から出題される筈です。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆《公式テキスト、抜粋単語》◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆★【平安京以前の京都(
○2022年の『第56回京の冬の旅非公開文化財特別公開』で、建仁寺:正伝永源院が特別公開されていると言うのを聞いて、京都ぶらり旅へ出掛けて来た。ここには織田有樂齋の墓がある。また、武野紹鷗供養塔なども存在する。○そういうものと併せて、正伝永源院には狩野山楽の蓮鷺図襖絵が存在する。それが特別公開されていると言うのだから、何としても見たかった。正伝永源院で、狩野山楽の蓮鷺図襖絵は必見のものである。ただ、実物は見たが、写真撮影ができなかった。それでパンフレットの写真を利用するしかない。○京都市
今日は寒さがやや緩んでくれて、〝それなり〟には散歩に行く気分になった。といっても、週末だし観光客も戻り始めているし、どの辺りに行くのが良いか少し悩んだ。それで、祇園の近くにある建仁寺の塔頭「正伝永源院」が、織田信長の弟の〝織田有楽斎〟没後400年ということで、「京の冬の旅」の特別公開をしていたので行くことにした。と言っても、このお寺だけでは時間もあまりそうだから、「洛陽十二支妙見巡り」の「巳/日體寺」と、「通称寺の会」に参加している「目疾地蔵」の「仲源寺」にも行った。ま
名古屋のシンゾウです本日の《覚えちゃお!2022-23》は、とても大切です。過去にも出題されている筈です。必ず覚えるようにしましょう。やりっ放しになっていたPCの「2021京都検定フォルダ」をコピーし、「2022京都検定フォルダ」を作り、各ファイルを整理しました。滅茶苦茶沢山のファイルが作ってありましたので、必要があるか否かの判断に時間が掛かり過ぎてしまいました。それでも、なんとなく気持ちもクリーンなった気がします。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本日の問題(395)◆◆◆
祇園に伽藍を構える建仁寺方丈の潮音庭は、いつも一足も二足も遅く紅葉の時期を迎える。建仁寺塔頭の正伝永源院が、秋の特別公開をやっているので二日前に伺ってきた。やはり微妙な紅葉である。織田信長の弟であり茶人の織田有楽斎が再興した「正伝院」と熊本藩主・細川家の菩提寺「永源庵」が明治期に合併し、現在の「正伝永源院(しょうでんえいげんいん)」となる。客殿の前には池泉式庭園が設けられている。旧正伝院庭園は江戸時代『都林泉名所図会』で紹介され程だったが、現在の池泉式庭園はその当時のものでは
先日新宿御苑に行ったときとてもきれいに作られていた菊花壇その中であれっと思ったのがこれ嵯峨菊思い出したのが去年秋に行った京都の嵐山で見た嵯峨菊見たのは大覚寺にて入口はいると早速嵯峨菊大覚寺はもともと嵯峨天皇の離宮嵯峨院の一部天皇崩御の後876年に寺になったその後一時荒廃していたのを1307年に後宇多天皇が入手し復興中へ入るとまわりに菊が植えられていて嵯峨菊の説明があった1000年以上昔から大沢池に自生していた野菊から作られたものお庭にはたくさん
京都市右京区の臨済宗大本山妙心寺花園会館内妙心寺派直売店で狩野山楽「龍虎図屏風」から抜粋の龍と虎図の御朱印帳を販売されていましたので購入しました。¥1700期間限定の販売。郵送販売もされています。
「百寺巡礼」の第135番は大通寺です。大通寺は真宗大谷派の別院で長浜御堂とも呼ばれ、本願寺12世・教如が湖北門徒に仏法を説き広めるための道場を旧長浜城内に開いたのがその始まりです。1602年に徳川家康によって京都に東本願寺の建立が許されたことに伴い、長浜御堂を大通寺とし、徳川の譜代大名・内藤信成が1606年に長浜に移封された際に現在地に移りました。最初の写真は、大通寺参道です。次は1841年に建立された総けやきで入母屋造の山門です。次は長
おはようございます。一昨日は、比叡山延暦寺で比叡山焼き討ちから450年の犠牲者の慰霊法要が営まれました。仏教の精神である敵味方を分けない「怨親[おんしん]平等」に基づき、今年は信長と明智光秀の子孫も恩讐を超えて、初めて参列されました。織田信長と明智光秀の末裔が一緒に供養の席に同席されるというのも、感慨深いですね。京都新聞記事https://news.yahoo.co.jp/articles/cdb112fd58327cdd00a5eae38e669392871ec698*******
名古屋のシンゾウです本日は、30問の一般問題を掲載します。PCに登録した問題が、かなりマニアックでしたので、少し難易度を落として掲載しました。少し、難しいかもしれませんが、お付き合いください。―――――――――――――本日の問題(247)《チョット難しい問題かも》【13481】三船祭、保津川で扇流しを行うのは○○に扮した女性である。【13482】醍醐寺の開山は理源大師○○である。【13483】東寺にある国宝仏画で、後七日御修法に道場に掛けられる物は。【1
・・・大覚寺・宸殿や妙心寺などに優品を残した京狩野の祖と呼ばれるのは誰か?桃山・江戸初期の画家・狩野山楽は、近江・浅井長政の家臣の家柄に生まれ、秀吉に画才を認められ、狩野永徳の弟子となり「狩野」姓を許された。永徳没後、大坂城などの障壁画に腕を振るった。豊臣家滅亡後は徳川家に許され、「江戸狩野」の狩野探幽ら宗家に対して、「京狩野」の祖となった。作風は永徳譲りの豪快さを受け継ぎながら、優麗で端正な装飾性を加え、大覚寺・宸殿の「紅白梅図(重文)」「牡丹図
・・・下賜されたもので、その宸殿の襖絵「牡丹図」「紅白梅図」(共に重文)の金碧障壁画は、誰の代表作か?大覚寺宸殿の襖絵「牡丹図」「紅白梅図」は、狩野山楽の手になる。山楽は近江出身の江戸初期の画家で、秀吉に画才を認められ狩野永徳の弟子になる。永徳の死後、探幽が徳川幕府の御用絵師となって江戸に移ると、山楽は「京狩野」の祖となった。「牡丹図」は東福門院の入内(ジュダイ)当初の御殿を飾っていた障壁画とも云われ、60過ぎた円熟期の作で、牡丹を華やか
昨日の続きです。大覚寺さんの中へ入りました。撮影禁止の場所も御座いますのでお見せ出来ないものも御座いますが、落ち着て座って居たいお寺です。このお庭の他にも、坪庭含め沢山しっとりとした静かなお庭が御座います。お庭観覧の別チケットが御座いまして、入口でどうしますかと訊かれましたので勿論お庭もと応えますと大変驚いていらっしゃいましたが、何故驚かれたのかは、結局最後までわかりませんでした。宸殿、重要文化財です。牡丹の間。金の襖に牡丹が見事に描かれておりますが、遠い上に暗く見え難かったで
北山駅から老舗中華料理店サカイまで徒歩でランチに。みその橋サカイ(北大路/中華料理)★★★☆☆3.61■冷麺と言えばサカイ■予算(夜):¥1,000~¥1,999tabelog.com焼き豚冷麺(太麺で評判に違わず美味しい、年間提供)と餃子(知られてないけどお勧め)をいただきました。その後、北山通りと大宮通りを歩いて正伝寺まで。カフェとパン屋さんが結構ありました。暑くさえなければいい散歩コース。正伝寺は英国のロックスターデビットボウイが指定して、コマーシャル撮影をしたところとして
サントリー美術館のミネアポリス美術館展に、行ってきました!サントリー美術館開館60周年記念展ミネアポリス美術館日本絵画の名品サントリー美術館展覧会概要サントリー美術館開館60周年記念展ミネアポリス美術館日本絵画の名品サントリー美術館www.suntory.co.jp久しぶりの美術館、楽しかったです。そしてなんと全作品撮影可。現地では入場料無料で撮影可なので許可が出たようです。久しぶりにこういう豪快な構図も楽し