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京都五芒星巡り(反時計回り)は弾丸で決めたことなので不安すぎて、前日に「不安すぎてどうしよう」となり、寝られませんでした。そこで「誰かに話を聞いてもらえればこの不安がましになるかもしれない」ということで廣峯神社の牛頭天王と晴明神社の晴明さんにお話を聞いてもらいました。(この時点で午前4時とか)(かなり迷惑)廣峯神社のお守りを握って牛頭天王と話しました。まとめたらこんな感じです。「五芒星巡り行くんですけど何か気をつけることありますか?」『ない。桜井識子の本を読んで行くのだろう?』「はい
5月8日日野八坂神社に行きました。たまたま近くまで行きましたので、立ち寄ったのですが、5月7日8日はひの新撰組祭りの期間中で新撰組祭りの限定の御朱印をいただいて参りました。日野の総鎮守日野八坂神社は新撰組ゆかりの神社です。牛頭天王を祀り「牛頭天王社」と称されていました。創立年代は、不詳ですが伝説によりますと多摩川の淵から拾い上げた牛頭天王像を勧請して祀ったのが始まりといわれています。記録に残されているものでは応永5年(1398)普門寺が開基され、
おはようございます☆来年の干支は『辰年』で、龍神さまに当てられています。今日は、清瀧寺の名前の由来である龍の女神『清瀧権現・善女龍王』についてです。寺に伝わる古文書『清瀧権現縁起』によると、今から1216年前の平安時代・大同2年(西暦807年)にこの地に清瀧権現・善女龍王が鎮座され創建されたと記され、以来当地の鎮守としてお祀りされています。清瀧権現・善女龍王は、法華経において龍女成仏をする龍神さまであり、密教においては、弘法大師・空海上人が長安・青龍寺の密教を守護する龍神として伝えられま
こんばんは(^^)一足早く、今日からGWですあとはカレンダー通りだけど‥‥この時期、毎年恒例の津島神社さんの参拝と、近くの天王川公園へ藤を見に行って来ました。道中車からパチリ曇りでしたが、津島神社も天王川公園も凄い人でした西の八坂神社東の津島神社と並び称される天王社の総本社、歴史のある素敵な神社さんです。御祭神は須佐之男命様本殿を合わせて、37社のお社が有ります。天照大御神のお社に立った時、頭上から木の葉が雨のように落ちてきました喜んで下さったのかな?いつも、オシ
とんだ話を書こう。すべて閃きと思いつきで綴っているブログなのでご容赦を。スサノオが「スサの王」と読めばよいと書いた。これは全くの思いつきというわけではない。以前にも書いたが、スサノオに関わる記事や本を読めば読むほどスサノオがアマテラスを中心とした日本神話の神ではなく、もともと日本にいた最高神を征服者(神武)が祀る神(アマテラス)の下に組み込んだようにしか思えなくなってくるのだ。スサノオの寓話、民話は日本中北から南まで隅々広がる。一方、アマテラスは民話や寓話にはなっていない。スサノオの話で有名
【食育クイズ:Vol.1632】「京都府」の「祇園祭」おさらいクイズ!祇園祭の山鉾の中央に立てられる「真木」に、唯一杉の木が使用されている山鉾名とは?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞コッチラボ国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイズ1kgAmazon(アマゾン)大豆コーヒードリップパックAmazon(アマゾン)
令和4年12月22日木曜日、雨のち曇り。冬至ですね。冬至ネタは多く書いてますが…今年は柚子不作の年なので「ご自由にお持ち帰りください」や、知人に発送なんてことも無く、自分のお風呂用だけ。なんでこんなに極端なの?って驚くけど昨年は千個以上出来たのに今年は10個あるかないかです。来年はまた捨てるのに苦労する程出来るんだろうなと思いますが。さて。昨日は五節句の真実を書きましたが…お祝い気分の正月が台無しぢゃねーか、とはごもっとも。神仏や宗教なんて所詮そんなもの。ダマされ続けるのが信心とい
令和4年12月21日水曜日、晴れのち雨。遥か昔から僕が提唱していたヤハエの海幸山幸「浦島太郎神話」を永井豪先生(77歳)が取り上げてくれた。何と永井豪先生が高校生の時に描いた未発表作、初のお披露目だそうだ。ということは僕が生まれた夏のことかもしれない(笑)その後すぐに日本中が彼の作品の虜になった_ハレンチ学園、キューティーハニー、デビルマン、マジンガーZ…僕の、というより同世代のカリスマ、TV独占状態でした。そんな彼が高校時代に描いたもの。この作品が出るのか作品集に収まるのかは分か
世良田八坂神社群馬県太田市世良田町1497世良田町は旧上野国新田郡世良田郷世良田氏は清和天皇の皇子を祖とする清和源氏の新田氏から分立した氏族です清和天皇は広峯神社の分霊を京都八坂の祇園に移した祇園社は後に八坂神社と改称した祇園社略記播磨国明石浦に牛頭天王の祠があり後に廣峰山に移され清和天皇の代(858~
京都の八坂神社と今宮神社の牛頭天王のお札のお話です。桜井識子『牛頭天王の眷属が宿る場所と注意点』京都の八坂神社にいる、牛頭天王の眷属がたまに見回りに来てくれることになりました。牛頭天王の眷属の場合、縁起物に宿ることができません。牛頭天王の存在する世界…ameblo.jp牛頭天王は変わった人が好きと桜井識子さんがおすすめなので、私には合うかなと思って、去年御札を買って縁起物コーナーにお祀りしていました。わたしの縁起物コーナーは、この牛頭天王のお札を祀るために買ったのです。
4/24昨日は愛智神話の牧さん牧勝昭さんのお話会でした。昨年の夏?以来の久しぶりに会うメンバー。魂の同窓会メンバーに入れて貰って早2年と数ヶ月💖個性様々な方々がメンバーに集っていて、自由に話してるのを聞くのも超楽しい💖昨日はメンバーの中に津島神社の尾張天王祭について聞きたい✨の質問から、まきわら船の深い説明に「え〜?そのよーな意味が?」😍と超ワクワク💖映画「君たちはどう生きるか?」の牧さんの解説が、物凄く深くて、そーいうことだったのか!💖と目から鱗✨やっとあの映画の深
桜が咲いたのがついこの間のような気がするのに4月が今日で終わりなんて、なんだか信じられませんね〜4月最後の日は雲の取れない一日でしたそんな空の下でしたが、30日なので久しぶりに氏神様にみそか詣でに行ってきましたよ✨手水舎にお花ご神木の大銀杏も新芽がたくさん出てました出たばかりの葉っぱは小さいのでなんだか可愛らしいです本殿の後ろにあるのは何の木なんだろうな?かなり大きいんだけどケヤキではないと思うんだよね🤔なんて思いつつ、写真を撮っていたら太陽が顔を出してくれまし
令和6年2月13日火曜日、晴れ、寒い。シオンの偉大なるヤハウェ_へブル人の手紙第9章「血による浄め」。へブル人の手紙とは新約聖書なので稲荷(INaRI=ナザレのイエス)五十鈴の物語だが、第9章にはアーク(契約の箱)のことや遺言書契約の話しなども書かれている。「血による浄め」と呼ばれるのは「…雄牛の血や雌牛の灰が汚れた人たちの上に撒かれ肉体を清め聖別する…」という神の契約に基づいてモーセが契約書(アークの中の石板)と民全員、そして幕屋と儀式用の器具全てに血を振り撒いたことにある。もは
今日は、京都の八坂神社に参拝しました。一昨年に桜井識子さんの本やブログを読んで是非に守って頂いたい!と思い参拝したのが始まりです。昨年は五芒星巡りをしていたのでおふだが満員御礼状態で、おふだを頂けませんでした。なので、水晶入りの数珠を頂きました。一年以内に参拝して、また波動を入れて頂かなければいけません。南側から入りました。お正月ですので、たくさんの参拝者でした。拝殿の右端の方に行き、柵みたいな木の上に数珠を置きました。ちょっと間違うとお賽銭箱に入ってしまうのでドキドキしました。そこ
牛頭天王が新羅からやってきた神だからといって、朝鮮民族固有の神ではない。牛頭の神で世界で最もメジャーな神は古代オリエントで信奉されたバアル神だ。バアル神は古代ユダヤの神でもあった。バアル神は雷神でもあったらしい。スサノオと被る。wikiのバアル神を読んで面白いことに気がついた。もともと、このバアル神、ハッドゥと呼ばれていたのが、主神という一般名詞であるバアルのほうがメジャーになったとある。ハッドゥと見て思い浮かんだのが秦だ。秦という漢字の音に「はた」という音があてられたのはハッドゥも奉じた民
島根県雲南市にある須我神社。祭神は、下記のとおり。須佐之男命稲田比売命清之湯山主三名狭漏彦八島野命清之湯山主三名狭漏彦八島野命は、別名八島士奴美神。八島士奴美神は、先代旧事本記では大己貴神(大穴牟遅神)とされ、粟鹿神社の粟鹿大明神元記では、蘇我能由夜麻奴斯弥那佐牟留比古夜斯麻斯奴(そがのゆやまぬしみなさむるひこやしましぬ)とされる。長い・・・長すぎる。この長い名からも、大国主が蘇我氏であることがわかる。大国主の父であるスサノオも、もちろん蘇我氏とい
前回の清荒神厄除けツアーの続きです良かったらこちらもご覧くださいませ↓清荒神の山門に着くと『空いてる~❗️』と、嬉しくなりました清荒神とはwikipediaからそのまま情報を引っ張ってくると【wikipediaより】清荒神清澄寺は、兵庫県宝塚市にある寺院。真言三宝宗の大本山。摂津国八十八箇所第72番札所。寛平8年に宇多天皇の勅願寺として静観僧正により建てられた。本尊は大日如来。鎮守社として三宝荒神社があり、竃の神の荒神などを祀る神仏習合から「清荒神清澄寺」の名称がある。本尊は大
かっては旧幡ヶ谷村の総鎮守で、現在では幡ヶ谷地域の氏神様として尊崇されている幡ヶ谷氷川神社車は脇にある参道から入れます。手水舎拝殿の前にある狛犬は子を抱いていて阿形の方の子は乳を飲んでいて吽形の方は子は牡丹を咥えています。御祭神は素戔嗚尊で、相殿神には豊受比売命と奇稲田姫命おみくじと絵馬が掛かって本殿の脇には境内社が並んでいます。稲荷神社厳島神社◯◯龍大明
昔から大切に語り継がれてきた物語があります♪(神話、説話、民話…など)禍を転じて福と為すからの続きです。読んでいると何となくインスピレーション降りたり心の奥底から、湧き上がるある想いなど広く深く意識が広がっていくように思います。人生のある時期内と外から何かに?突き動かされるかのように巫女(特に古の時代からの巫女)について知りたくなって…^^図書館へ通い多くの本(巫女の歴史や民俗誌など)読み続けまた巫女のご神事について
すっかりご無沙汰しており…申し訳ありません…8ヶ月ぶりの通勤電車🚃…8ヶ月ぶりのお仕事…新しい環境…派遣登録をし4/1から勤務開始‼️初回2ヶ月契約でその後3ヶ月毎の更新予定でしたが…初回2ヶ月のみで更新しないことにしました…お仕事については次回是非お話させてください‼️前回の雨の穴守神社のあと、中々の激しい雨の中☔1つお隣の、駅からほど近い羽田神社⛩️に初めてお伺いしてきました。いつもお賽銭は100円なのですが、お札しかなく社務所で両替を頼むことに…若い女性でしたが、と
赤山禅院(せきざんぜんいん)は、平安時代の仁和4年(888年)に、第三世天台座主円仁の遺命によって創建された、天台宗総本山延暦寺の塔頭のひとつです。慈覚大師円仁(794年~864年)は、838年、遣唐使船で唐に渡り、苦労の末に天台教学を納めました。その行程を守護した赤山大明神に感謝し、赤山禅院を建立することを誓ったとされます。日本に戻った円仁は天台密教の基礎を築きましたが、赤山禅院の建立は果たせませんでした。その遺命により、第四世天台座主安慧(あんね)が赤山禅院を創建したと伝えられていま
東京のスサノオ天照皇大神の弟神で、粗暴を働く荒々しい素性でありながら、出雲に降りると八岐大蛇を退治した英雄神という性格を持つ。「建速須佐之男」や「素盞嗚」「進雄」とも書き、その猛々しく凄まじい神格から牛頭天王や武塔天神とも習合する一方で、稲荷神と同一視される宇迦之御魂の親神であり、五穀豊穣の農業神としての性質も併せ持っている。武蔵国一宮の氷川神社の御祭神であることからか、現在の東京にもスサノオを祀る神社が規模の大小を問わずとても多く、地域毎に何か特徴があるのではないか、と思い調べてみました。