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父の死から、1週間が過ぎ、少し落ち着き、静かにお正月を過ごしていたところ地震🫨🫨🫨津波🌊警報🚨鳴り響くサイレン隣県の福井でも、相当揺れた。今でも余震と津波警報は続いている久しぶりに、恐怖を感じた。幸い、冷静な姉が一緒にいてくれたので、私も落ち着いて行動できましたが、やはり自然災害は怖すぎる幸い、大きな被害はありませんでしたが、本当に怖かった。もともと、いつもの正月と違って、今年は質素に地味に静かに過ごしていましたが、とんでもない正月となりました。最後にこの度の地震に際し、被害
死別ブログを読み始めたのは「夫の命が危険です」と言われて数日してから。もしかしたら明日明後日に夫がいなくなってしまう。そう思うとネットで色々検索してしまった。人様のブログを読むというのはもう長年のしている事だが死別ブログは一度も読んだことが無かった。その存在すら知らなかった。呑気に暮らしていた私は主婦のおしゃれな暮らしとか料理ブログとか、そんなブログばかり読んでいた。死別ブログは当事者にならないとなかなか巡りあわないだろう。母が夫である私の父を亡くしたのは60代になってから。
採卵日のまさにベットの上で、父の死を知らされ、混乱のまま採卵に臨みました。採卵後の痛みに耐え、すぐに地元へ帰り、父との対面。前日の夜、赤ちゃん産まれたら、父との関係の改善もあるかな、との私の期待はもう叶わないものになりました。私の治療は今やめられない。2日後には移植が決まっている。葬儀と被ってしまう。どうしよう、、、移植は朝一の予定だけど、移植後に地元に帰っても火葬に間に合わない。葬儀に出ないなんて、、、。もう、どうしたらいいか分からず、姉に話すと、姉「治療を優先しな、お
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー父の死それは無機質な血の通わない作業だった。この日、私は父の名をはじめて知った。「キ・ヨ・サ・ト・・・」そして彼の名を相続放棄申述書の被相続人の欄に書くことになった。まさかこんなかたちで…父の名を書かなければならない日が来るとは、夢にも思わなかった。彼は今、あちらで何を思うのか・・・。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
実家に行って郵便物をチェックしてみると、父宛の手紙が届いていました父が入社して一番初めに配属になった事業部の同窓会の案内でした。父の会社はのちに社名も変わり、その事業部も無くなってしまったのですが、あえてその旧名称と事業部名での同窓会父は同窓会が大好きで大学の学部や野球部の同窓会、中学校同窓会、入社して初めての部署の同窓会お誘いがあれば決して断らず、全参加どの同窓会も後から写真が送られてくるのですが、必ず集合写真の端の方で嬉しそうに笑っている父がいました。幹事の時も、そうじゃなく
大切なお話があります。https://t.co/IPWyoLbg6n—小野琴己(@kotomi__ono)September2,2021元ハロプロ研修生小野琴己のお父さんが新型コロナウイルス感染症でお亡くなりになった。小野がまだ18歳ってことはお父さんは40代半ばから50代前半って考えるのが妥当だよね。そういう年齢でも助からないケースは充分あり得るってことだ。個人的にはもう還暦も見えて来てるし肺炎の既往歴もあるもんだから極力リスクを負わない生活を心がけ
😭生と死を超えた最後のレッスン『自身の葬送の儀』エンディングアロマテラピー東京第5期生クラス(東京第3期)が感動のうちに終了しました。最終回はこれまでのまとめに加えて、●香りのタッチケア●いのちを繋ぐハンドトリートメント●精油の安全性のレッスンを行いました。でも、なんといっても最終回は誰もが深い感動を覚える『自身の葬送の儀』のワークです。このワークは第一回目の『死の体験レッスン』をも超えるワークとなり…これまでの人生の総決算でなり、これからの人生
病院のパーキングのレシート未だにふと、「え?何でもう会えないの?いやどうにかしたら会えるっしょ」って気持ちが込み上げてくる時がある。こんなに「死」が遠いって事を思い知らされたのが初めてだ。祖父、従姉妹の死を目の当たりにしてきたけど、「父の死」は全然違う。パートナーの死を経験をした方は尚更壮絶だろう。。毎日毎日病棟に行くのが少し恥ずかしささえ覚えてたあの頃。コロナ?インフルの影響で15分しか面会できないところを毎度2時間は居た。そして、呆れたおばちゃんナースに電話越しに反抗したのを今も
驚きの展開『Re:リベンジ-欲望の果てに-』第3話では、天堂海斗が父の死の真相に迫ってついに捕まえたり・・・ですか!!なんとなく初めから分かっていた展開だった気もしないではなかったのですがね!!感情の共有海斗の熱い思いや苦悩が良く分かるだけに彼の心情には共感するものがなかったわけではないのですが・・・海斗が大友医師を最初から疑っていたものが崩れて、むしろ身内の恥をさらけ出すような展開になったのは、金持ち家族のありがちな話って感じだったね!!複雑な人間関係このドラマの舞台
早すぎた父の死父が亡くなったのは私が26歳の時。突然だった。父は1人で暮らしていて、地元から遠く離れた場所に住む私に電話を度々かけてきては「ちどり、早く帰ってきて」「もうお父さんを看れるのはちどりしかいないよ」なんて言い出すようになっていた。当時の私からすれば「親らしい事もしてもらってないのに何で今更私が面倒を見なきゃいけないの」と、思っていた。病院からの電話どうやら父は入院していたらしい。心配してはいたが、すぐ退院出来るとの事でホッと胸を撫で下ろした。1
なんだか嫌なタイトルですが。。。正直父の死を知らせれた時から葬儀を終えても。。。いつその悲しみが襲うのだろうか。と思っていたのですが。。。。それが訪れない。我ながらやっぱりおかしくないのかなあ。と思ったりもしたので理由を考えてみました。一番は、よく考えたら日常に父がいなかった。じゃないかと。普段から頻繁に連絡を取り合っているわけでもないし、会うのは年数回。1回2時間程度。なので”いなくなった”と言ってもそれって普段と変わらないじゃん。ってことなのかなと。あとは癌だとか、余命1年くら