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おはようございます。お立ち寄りありがとうございます。先月父が亡くなりました。特養でお世話になっていましたが急に亡くなりました。嚥下が出来なくなっており、胃ろうの手術の日程も決まっていました。元気だった頃、延命治療は絶対にしないで欲しい!!って言っていた人なので胃ろうが嫌だったのかな?と思っています。死因は老衰で、苦しまずに亡くなったのは父にとっても良かったかなと思っています。でも、もう少し生きていて欲しかったな。家族のエゴですかね?葬儀も身内だけで行いました。
姉がいる間に、市役所での手続きや相続に向けての準備に走ってます凍結される前に父の口座からの引き落としだったものを私に変更、満を持してイザ、金融機関へ父の取引金融機関は1か所だけ。(字が書けるうちにまとめておいて大正解)金融機関では新聞のお悔やみ欄で父の死を把握してましたが、私が行くまで凍結はされてませんでした。母も私もそこに口座を持っているので、そこでの相続の為の印鑑証明は不要とのこと(姉のは後日郵送)父の出生から死去までの戸籍謄本(改正、除籍)が必要、今年3月から地元の役所で他市
もっと生きるつもりだっただろうなー。お父さん。あんなに目を開いて口も開いていつもの表情で呼吸が止まっていた父。いつものように起きていたんだね。阪神のコールド勝ちをラジオで聴いてから興奮して眠れなかったのかな?だから起きたままで夜中を迎えた?まだまだ生きるぞ!って思ってたから目を開けていたの?面会のたびに歌謡曲を流していたから、Googleの履歴を見ると…。亡くなった日の面会、つまり最後に私が父のために流した曲は、「男はつらいよ」土曜は寅さんだったから。自宅でも笑いながら観て
父が肺炎で入院したのはわずか1か月前だ。その父は遺骨となって自宅に戻って来た。怒涛のごとく過ぎた1か月だった。入院できて安心したのはつかの間、回復する兆しはなく悪化する病状に不安な日々を過ごした。病院からいつ連絡が入るかも知れず、臨戦態勢のまま過ごし、ついに死去。悪夢だ。コロナ禍風邪ひとつひかず、出勤を続けた自分だったがついに体調不良、、気温のアップダウンが激しいことに加え、この2週間体はすごく疲れているのに毎晩深夜に目が覚めてしまい、眠れないのだ。人生の緊急
ブログ書く時間全然ない!ガッツリ書こうとするからなんだけどね2024年3月16日午前5時50分父が永眠しました。備忘録兼ねて、ブログ書いていきます。3/15の朝、いつも透析を受けている病院から電話があって、ちょうど電車に乗ってて、どこからかかってきたかもわからなかったので折り返しの連絡遅れてしまったら父が倒れて運ばれたからすぐにきて欲しいと…「次からはすぐに電話に出られるようにしててください!」と、緊迫した師長さんの声で言われてしまって、その電話で、私は全て病院に任せる
お父さん。お兄ちゃん転職するって。公務員。お兄ちゃん、ちゃんとお母さんを守ってるからね私も頑張るね。お父さん、お母さんは意外にも、ディサービス楽しんでるだから、だから心配要らないからね。お父さん、家族皆んなで頑張るよお父さんが居ない夜が心細いよ、頑張るよ、私お兄に負けたくないアタシと孫。負けず嫌い頑張るからね
久しぶりの更新ですが、今回は忘備録というか、自分の心の内を吐き出す場所がないので、気持ちのアウトプットをする作業です。実家の父が、末期がんで入院しています。どうやら、3月から入院しているようですが、正確なことはわかりません。私が知ったのは、10日ほど前でした。父には、1~2か月に1回のペースで実家に顔を出して、会いに行っていました。が、今年に入ってから、私がバタバタしていて時間がなく、なかなか会いに行けていませんでした。
今回でこの話は完結です。父の葬儀を無事に終えた私達。しかし、それで終わりではなかった・・・!役所と提携している葬儀場ならではのスタッフさんの言葉が胸に響きました。(全6回/完結)●前のお話『その25:父の葬儀(5)』亡き父がそこにいるとわかって、父との思い出が走馬灯のように巡ったらしき母。父と離婚後、母からは父の悪口しか聞いたことがなかったけど本当はこんな風に思えるほど…ameblo.jp★「守護霊さんと話せる娘の日常」のLINEスタンプはこち
亡き父がそこにいるとわかって、父との思い出が走馬灯のように巡ったらしき母。父と離婚後、母からは父の悪口しか聞いたことがなかったけど本当はこんな風に思えるほど幸せな時があったんだなと感じられてとてもうれしい瞬間でした。(全6回)●前のお話『その25:父の葬儀(4)』通夜の日、りんのおかげで亡き父がそこにいる事を皆が実感し、突然父との思い出が走馬灯のように蘇った私は・・・。(全6回)●前のお話『その25:父の葬…ameblo.jp★「守
驚きの展開『Re:リベンジ-欲望の果てに-』第3話では、天堂海斗が父の死の真相に迫ってついに捕まえたり・・・ですか!!なんとなく初めから分かっていた展開だった気もしないではなかったのですがね!!感情の共有海斗の熱い思いや苦悩が良く分かるだけに彼の心情には共感するものがなかったわけではないのですが・・・海斗が大友医師を最初から疑っていたものが崩れて、むしろ身内の恥をさらけ出すような展開になったのは、金持ち家族のありがちな話って感じだったね!!複雑な人間関係このドラマの舞台
まだ父が亡くなってから5日。自宅の祭壇の父の遺影には、毎日何回も話しかけまくっている(笑)「お父さん、あの時~~~だったねー。あ、あんパン食べてる?もうとっくに食べたよね?」とかなんとか話しかけていると心が安らぐ気がする。あんパンは最後まで食べたがっていたから、亡くなってからは毎日食べてもらいたい!もう麻痺からも嚥下障害からも解放されているはずの父は、きっと両手でパンを頬張っているに違いない!先ほど炊きたてのご飯も備えてきた。※パンを入院中の父の口に入れる真似だけした話は、過去の
今夜10時『木曜劇場#Reリベンジ-欲望の果てに-』第3話◩⬔ついに父の死の真相が明らかに⬕◪海斗(#赤楚衛二)VS郁弥(#錦戸亮)海斗の父を殺したのは誰なのか?そして郁弥は何者なのか…?#りりべ@revenge_fujitvpic.twitter.com/76G1rwIrnfメニューを開くフジテレビ@fujitv43038797:40
こんばんはお立ち寄りありがとうございます。先週、父が亡くなりました。葬儀はこれからです。母の負担も考えて、ちょうど良い時間の葬儀が取れなかったので…。葬儀まで時間があるので、納棺式にも立ち会わせて頂いて、父の髪の毛を洗わせて貰ったり、足袋の紐を結ばせて貰ったりしました。特養に居たので、まだ亡くなった気がしません。葬儀で実感するのかな?でも、良い事もありました。永ちゃんの武道館のSS席が取れました!!今まで何度抽選に申し込んでも当たらなかったのに。初めてのSS席で
みんなの回答を見る今のブログタイトルにしたのは一年前の事でした。本当は2018年、父が亡くなった時点で変えても良かったけど、介護の思い出や経験についてまだ書きたかったのでその後5年も放置していました。何よりも未練があったからかな。父母と生きた時間が遠くなるにつれて悲しさや寂しさまで愛おしく感じてしまう時があります。もっともっと悲しみたい、悲しめば悲しむほどそばにいるような気がする、、、でもそんな感情に溺れてしまうと毎日がちゃんと過ごせないからやめときます。とりあ
続きです。私の姉と弟が名古屋に住んでいるが、独身の姉は「父の死」を知ってからすぐに車に飛び乗り和歌山まで高速で走ってきた。延命治療を始める以前から、いつかは父が…。と覚悟を決めていたようで、喪服などのセットを用意していたようだ。運転中、どれだけの悲しみが姉を襲っただろうか?弱味は一切見せない、しっかり者の長女。しかも午前3時頃から出発して和歌山には8時に到着していた。弟一家は昼頃に直接葬儀場へ車で着いた。私が控え室に着くと、5才の姪っ子と0才の甥っ子が可愛らしく遊んでいて、一番悲し
いよいよ父の葬儀を行う事になった私達。葬儀場には5人くらいまで泊まれるとの事だったので「じゃあ皆で泊まろうよ!」みたいになって、修学旅行的なワクワクな感じで集まったのでした・・・(全6回)●前のお話『その25:父の葬儀(2)』父死亡の知らせを受け、とりあえず役所に行くことにした我らに次々と奇跡が起きまくる・・・(全6回)●前のお話『その25:父の葬儀(1)』2020年5月…ameblo.jp●次のお話『その25:父の葬儀(4)』通夜の日、りんの
『Destiny』第3話「横浜地検」中央支部の検事の西村奏(石原さとみ)は、12年ぶりに再会した大学時代の恋人・野木真樹(亀梨和也)が、横浜地裁で弁護士の父・野木浩一郎(仲村トオル)と言い争っているのを見かける。そのとき耳にした「辻英介を殺したんだろう!」「だから俺がカオリを…!」という真樹の言葉が頭から離れなくなった奏は、「東京地検」特捜部の主任検事だった父・辻英介(佐々木蔵之介)が最後に担当していた『環境エネルギー汚職事件』について調べ始める。すると、検察が事件を捏造したとして、英
病院のパーキングのレシート未だにふと、「え?何でもう会えないの?いやどうにかしたら会えるっしょ」って気持ちが込み上げてくる時がある。こんなに「死」が遠いって事を思い知らされたのが初めてだ。祖父、従姉妹の死を目の当たりにしてきたけど、「父の死」は全然違う。パートナーの死を経験をした方は尚更壮絶だろう。。毎日毎日病棟に行くのが少し恥ずかしささえ覚えてたあの頃。コロナ?インフルの影響で15分しか面会できないところを毎度2時間は居た。そして、呆れたおばちゃんナースに電話越しに反抗したのを今も
今日、キリンビールさんから嬉しい優待が届きました。優待が欲しくて、確か去年の11月末?くらいに下がっているのを買って。この前売ってw(でも、優待は欲しいから、NISAで100株はガチホしています)ほんま、キリンビールさんありがと~ございます。欲を言えば500株くらいで優待を新設して頂けると嬉しいですさて、今日の仕事で。普段ならイライラしない程度のことがほんまにイライラして。ほんま、人って。自分勝手を人に押し付けると、相手をイライラさせんねんなーと思ったし。相手の状況を一切考え
父死亡の知らせを受け、とりあえず役所に行くことにした我らに次々と奇跡が起きまくる・・・(全6回)●前のお話『その25:父の葬儀(1)』2020年5月のある日、見慣れぬ役所から突然届いた父の死亡を知らせる手紙。子供の頃に別れ、消息もわからなくなっていた父の死をめぐって起こった出来事を綴ります…ameblo.jp●次のお話『その25:父の葬儀(3)』いよいよ父の葬儀を行う事になった私達。葬儀場には5人くらいまで泊まれるとの事だったので「じゃあ皆で泊まろうよ!
父が亡くなりました昨日の未明自宅に鳴り響く一本の電話嫌な予感がしながらも、最近の父は比較的安定した病状だったので、まさかと思いながら電話に出た「呼吸が止まっています。」私の呼吸も止まりそうになった看護師さんの話では、夜の巡回までは普通の呼吸をしていたみたいで、夜中に栄養パックを持って病室に入った時には呼吸が止まっていたらしい気が動転とりあえず何をすれば良いか聞く父の着替え用の服を持って来て欲しい、と母は私からの報告を聞き、「あぁ…。」と落胆しながらも父の服を取り出した。点滴
2020年5月のある日、見慣れぬ役所から突然届いた父の死亡を知らせる手紙。子供の頃に別れ、消息もわからなくなっていた父の死をめぐって起こった出来事を綴ります。(全6回)●前のお話『その24:ピクニック』引っ越し先にほど近い所に大きな公園があるため、天気のいい日はお弁当を持って、娘とよくピクニックに行きますりんが守護霊さんと話すようになってから初めて行ったピ…ameblo.jp●次のお話『その25:父の葬儀(2)』父死亡の知らせを受け、とりあえず役所に行くこ
うーむ。2050年には身寄りなし問題ですと(๑˙―˙๑)?え。いや、2050年ではなく、もうほんの手前のような気何しているのは私だけなのでしょうか確かにここ何年か幸いにも亡き父の介護というか、家に引き取った過程であまり親しくやり取りをしていなかった親戚と顔を合わせる機会があり、身元保証人や入院の際の連帯保証人をお願い出来る状態が続いていますが、むしろもう数年前には私の入院連帯保証人のサインの際に、同居家族では全く受付ともらえずやむ無く90オーバーの母方の伯母に入院保証人をお願いしていた時
県外の女性が入会された今年の初めに介護していたお父様が亡くなり自分と向き合うことで、自分の家族を持ちたい自分は寂しがり屋で家族の賑やかな中で暮らしたいと彼女は心底思ったそうだお子さんがいても、ご両親との同居でも構わないまた、年収や学歴、住む場所などの条件には一切拘りがないあくまでもお人柄重視ここまで肚をくくった女性はほとんどいないお父さんが、最後に娘さんの結婚への本
【95歳父の介護日記~父の老いに傷つくなんて弱っちいこと言ってないでって思って父に面会しに行った】「父の弱っていく姿を見ているとつらいんですよねぇ」近所の気持ちの良いカフェ「Litta(リタ)」さんでそんな話をした。店主さんの身近な方も認知症が進んでいるとのことだし、カウンターでお隣の席になった方も94歳のお母さまが認知症が少しあるそうで、共通の話題。「娘の会」という親の介護をしている女性の集まりに以前何度か行ったことがあるのですが、やはり同じような経験をしている人と
【死への念いを昇華させたい】私の父は、遺書を遺して自殺未遂の後、死ぬに死に切れず帰って来た。それから、酷い鬱病になり脳梗塞になって入院して死に至る迄の間の父の姿を思うと、今でもいたたまれない。遺書を遺して自殺未遂し帰宅した父を誰一人として涙して迎え入れる家族が、私を含めて一人として居なかった。その時の父を思うと、いつまでも胸が痛んでしまう。父が脳梗塞で倒れた時、私ひとりしか家に居らず気が動転して父から離れられず救急車を呼ぶのにとても遅れてしまった事で父は私が殺した
おはようございます父のしんだときのことを書こうと思って、ちょっと馬力が必要だなって足踏みしています。あんたんとこの父ちゃん、しんだんやってな!「と、ひとから言われた😭」「他人にそんなこと言われる筋合いないわぁ😡」と、芋子が泣いて電話してきたのでした。そのとき、かめのこは夜勤明けで、相方とくつろぎの外食中でした。JR松山駅前の居酒屋ゑびすにいたのだった。10年ほど前のこと。当時の写真も何もないですと、ここまで書き進めていたところ。緊急地震速報⚡️地震が起きる前、ランチを食べに行
介護旅行・終活・世界遺産のことはお任せ!小田原のアラベラです。先日、私が活動している<小田原シニアライフ協議会>の終活セミナーが開催されました。具体的には<エンディングノートの書き方講座>でした。参加者は少なかったのですが、その分受講者の状況に応じたお話ができたと思います。ある受講生は2年ほど前に父親を亡くされたそうで、その時にいろいろな事情もあり、疎遠になっていたので、死後の様々な処理や手続きに大変苦労されたとのことでした。今は母親が健在だけれど、
看取り日記より〜その日は16:09主治医から電話があり、胃液で誤嚥したり腸が破れて体内に便が漏れたりもうギリギリの状態で生きていると告げられる。熱は37度ほど翌朝まではもたないらしく直ぐに病院へ向かう。まだ暫くは居たかったが短時間で帰された。コロナ禍だから仕方ない。当直の看護師には、もしもの時は早めに連絡をしてもらうようにお願いした最後は、孫にも会えるようにお願いした。20:25分看護師から電話あり、血圧が測定できず、やっと取れたが、60しかないとのこと直
今日の空はこんなにも、青お父さん育ててくれて、ありがとう家族のために一生懸命働いて、お疲れさまどうか安らかに再、始動1人でも多くの結婚したいをサポートこれがわたしの使命なので見守っていてね