ブログ記事13,870件
お互いに介護する年齢になった時老々介護が厳しくなり周りにホームに入れたらどうかと提案され最後まで自分で看るかホームに入れるか最終決断で悩んだ時こそ復讐のチャンス!この不倫の代償として罪悪感なく「ホームに入ってもらおう!」という決断をしよう☆自分では動けない父の介護を様々なサービスや地域の方のご支援で母はしている近くに住む妹が毎日通勤途中に見に行くけれど老々介護だ(母と父は2歳差)母は疲れた時「老人ホームに入ってもらおうか」と言うこと
ヘルパーさんと看護婦さんは、合計で週3日入っていただいていましたが、そのほかにお弁当を週2回頼んでいたのでその方が来てくれていました。この人は、町内会の人だったのですんなりと。でもね。お弁当の配達の方も大変だったんです。ヘルパーさん拒否もありましたが、お弁当の配達時間は、決まっていたにも関わらず、その時間に買い物に出てしまったり、いなかったりと。また、チャイムを鳴らしても出なかったりと。それで、電話をかけると電話だと出たこともあり、その方法で配達をしてくださっていました。ただし、電
認知症は、難しいことが多いです。父の場合、本当にお散歩が好きでした。健康のためにといって毎日歩かなければならないと思っているようで。それが、母以外の人間にとっては、毎日が心配の種となっていきました。父は、同じコースしか歩かないという母。でもね。その間にもいろいろなことが。急にバスに乗ってしまったりなんてことも。こういう時、バスの運転手さんや周りの人がこのように帰ればよいと父に教えてくれたことがあったようです。これもあとからわかったことなんですが。なぜ、これができたかというと父
昨日、2月1日、父と母が再婚しました。よっぽどのことがない限り、おそらく親友にも言ってなかった、両親が実は離婚しているってこと。笑多分、母のブログを見てくれている友達、このブログを見てくれている友達たちもいるのでそれできっと知られる(笑)別に隠してたわけじゃないんです。まぁ5人も子どもがいたらいろいろある。絶対。私も子供が2人いて、まだ0、2歳だし、まぁ普通に夫とは、結構仲良い夫婦だと思うけれど、でも喧嘩もするしいろいろあるし。
銀行の通帳もそうですが、何がどこにしまってあるのか?本当に大変でした。自分たちも考えなければとは思っていますが、やはり、できない。進まないですね。そして、認知症になるとしまってあるところを忘れるだけではなく、しまう場所を変えてしまうということがありました。今まで銀行のカードを作ってこなかった父と母。それでまず銀行のカードを作りました。しかし、そのカードは、実家に送られてくる。これが困ることでした。何しろ、そのカードをしまってしまうのですから。そして、しまった場所も忘れてしま
父と母は調理師学校で出会ったそうです
去年の11月に亡くなった母の墓参りに行きました。母は父と同じ共同墓地に眠っています。墓碑銘に、父と母の名前が並んで刻んでありました。父は20年前に亡くなりましたが、そのときは名前を刻みませんでした。母が亡くなったときにいっしょに申し込みました。二人の並んだ名前を見ていると、寂しさが募ります。母は、もうこの世のどこにもいないんだと実感しました。母に「ちゃんと生きてるよ」と話しかけました。母が笑ったような気がしました。
昨日も書きましたが、子供部屋が母の部屋になりました。しかし、これが、2階。このことも私の心配の種となっていました。なぜかというと食べていない体で2階の階段を勝手に上り、また、庭や外に出てしまったりと。お花が好きな母。庭で散策。そのうち散歩に行っていたりと。認知症もあるのでこちらも気が気ではありませんでした。母は、自分が認知症だと思っていないのでその点が。散歩に行くのになぜ、自分がそんなに止められるのかということがわかっていませんでした。だから、口喧嘩は、しょっちゅう。話を聞
人の心に興味を持ち、占いが大好きな私。思い返せばきっと生い立ちにあるのだと思う。私より大変な思いをしている人は沢山いるので、私は大したことない。だけど、自分自身の心の整理をするために少しずつ生まれてからを振り返ってみようと思います。-------------------------------------------------------------懐かしき昭和生まれのアラフォー。母方祖母と父と母と7歳上の兄と5歳上の姉。生後2ヶ月から母が仕事復帰のため祖母に育てられた乳児期。
じくさんは、どうしても、私の両親が、自分のことをどう思っているのかが、気になるらしい「まるちゃんのご両親は、僕のことどう思っているのかな」とか「こんな年寄りと、もう会っちゃだめよ、とか言われてない」とか何かにつけて、聞いてきます(笑)私はいい年ですが、今は、家の事情(祖母の介護の手伝いなのですが・・・)で、実家に居候の身なのでじくさんとデイトの時は、毎回、伝えています。(高校生みたい・・・。でも、お化粧して、きれいな格好しているので、言わなくても100%わかるはず)
今日も引き続き結婚生活の話昨日、夫婦についてブログを書いた⇩時に思い出したこと。『価値観の違う夫婦の形』先日子どもたちを実家にお願いして、夫とごはんを食べに行きました。月一のご褒美DAYです次女には「今日パパとごはん食べに行くん?それってデートってこと?ラブラブ…ameblo.jp┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈昔父が言った。「夫婦って、相手を50%許せたら結婚生活は成り立つ。父ちゃんは、ギリギリ50%や。でも、相手を70%くらい許せると、もっとええな。楽。」と言っていた言葉がず
こんにちは生活スタイルを変えていくのは年を重ねると大変なんですよね実家の生活スタイルも変わり掃除、洗濯、食事と全て父がやっていますフォローはしていますが生活をしているのは父と母なのであまり多くは手を出さないように家の中の見直しもいろいろと出てきましたのんびりやってますさださんも今月末には14才シニア犬かぁ耳も聞こえない時も名前を呼んでも聞こえない素振りお菓子袋のカシャカシャには即反応するんですけどね、、確信犯だよ〜ちょっと悪い顔シニア期は穏やかな時が
父と母との思い出を少しお話しします。母が最初にくも膜下出血で倒れ暫く生死の境をさ迷っていた頃から、母の病院へ通う為に父と二人一緒の時間が増えました。二人で車に乗って一緒にお見舞いに行くのです。勿論母の話しもしますが子供達の話しもいっぱいしました。昨日娘にあんなことあったとか、息子がこんなことを言ってたとか。それを聞いた父はいつも笑っていました。娘がこんな賞を貰ったとか、息子が先生に褒められたとか。それを聞いた父はいつも感心していました。私が小さなときは叱ることしかしなかった父ですが孫は
父の記憶力は、昔のまま。若いころのことはよく覚えていてよく話してくれました。認知症は、若いころの記憶がだんだんと強くなり、若いころあっていた人に対しては、良く思い出すようでした。私の親族は、みんな似たり寄ったりの顔をしているようで父は、よく間違えていました。私のことは、間違えたことがないのですが、弟は、自分の息子と思っていないことがよくありました。父の弟と間違えることが多く、なんだか笑ってしまいました。それでいて私のいとこが来ると弟と間違え、まあ、似ているのですが、笑ってしまうことが多
関西は晴れ曇り週間天気予報では気温高い日が続きそうこんにちは底辺を爆走中のブログやで立ち止まってくれてありがとうございますイイネもホンマありがとうございます関西に住む主婦の雑談ですお付き合いいただけたら嬉しいな察することが至難の業(・ัω・ั)そんな事もあったねとコレを書いておりますよハハハッあゆの歌詞を思い出したわwww母方の祖父の葬儀のアレヤコレヤの後実は父の実家にも寄ってましたせっかく新幹線乗って海越えて来たんやから顔を見せましょうねとなるのは当然
「いいね!」やランキングバナーのクリックありがとうございます。大変励みになります闘病まんがを書いています。(3/5に無事退院しました)一話目は…こちらから前回は、生命保険を使わせてもらおうとした話と…現在、生命保険を見直したことを少し書きましたが今回から少し暗めの内容で親との関係を書きます。「もう書いてもいいかな」と決意が付いたので書きます。暗い話です。ごめんなさいねこんなこと書いてるけど両親のこと嫌いじゃないです。ただ、家から離
人気ブログランキング両頭愛染明王両頭愛染明王は、明王尊の中でも特に強力な明王です。それは、不動明王と愛染明王の合体仏という特殊なお姿にあります。向かって左が愛染明王、右が不動明王、二尊の力が一つになり凄まじい効験が表されます。慈悲の力は観世音菩薩以上と思われます。後醍醐天皇が最後まで信仰心を崩さずに祈り続けたのが、両頭愛染明王です。密教には、金剛界と胎蔵界の二つの世界があります。金剛界が智慧。胎蔵界が慈悲。金剛界が理論で父親、胎蔵界が愛情で母親です。金剛界を代表する明王が不
父と母がやっと入所しました部屋の入口には自分の部屋がわかりやすいよう防火のれんをかけることになっています同じのれんを掛けている人がいたので間違わないようひまわりを目印に🌻🌻父の部屋の入口母の部屋の入口お互いの部屋は食堂を挟んで離れているので遠くから見ても分かるようにママが工夫してくれました🌻父の部屋母の部屋何だかんだとありましたがどうか楽しく余生を過ごしてほしいものです施設へ持って行く物はママが全て準備してくれました🙇自分はお金に関することや諸々の変更手続きなど(まだ
私たち家族の場合、認知症と気が付いたのは、もう、認知症にどっぷりつかってから気が付いたんです。それまで、私の子供たちも大きくなってきていて、実家へ行くのは、年に何回か。おかしいと私が気づき、母にお父さん、おかしいよと話してから、数年も経って。どうしてもおかしいから病院へ行こうといっても動かなかった母でした。父はおかしくないというばかりでこちらも生活もあり、実家へ行くのは、年に数回。やっと腰をあげられたのは、父がぎっくり腰になってからでした。それまでも父のかかりつけ医はわかっていたので
認知症というのは、難しいですね。私も両親二人にかかわってみてやっとわかったというのか、わからせられたというのが本当のことだと思います。記憶が逆戻り。古い記憶がどんどんと戻ってくるんです。父の場合は、70代より前の記憶が主なものでした。そして、母の場合もやはり、70代の記憶より前の物でした。だから、新しいシステムというのか、そういうことを忘れていったんです。一番、困ったのは、ごみの分別。毎日の生活の中で必要なことなのですが、母には、それができなくなりました。そして、郵便や銀行
ありがたかったお弁当。町内会の人たちが作ってくれたお弁当。本当にありがたかったんです。このお弁当だけを食べて最後の方は、暮らしていたようなんです。私が1週間分の簡単に食べられるおかずやチルドのおかずなどを買って冷蔵庫に入れて帰っても家に来る数週間前は、冷蔵庫のものが減っておらず。ご飯は、電子レンジですぐに食べられるごはんパック。それとカップラーメン。簡単に食べられるものを買って用意をしておくのですが。私が行く日は、食事はしてくれたのですが。そして、配達されるお弁当だけは、食べて
2年前のこの時期人生のどん底にいました。実家に帰るのも妻の実家に挨拶に行くのも嫌でした。とりあえず実家に帰りましたが、また父と母に弱音を吐いてしまいました。申し訳なく思います。妻の実家にも挨拶しに行きました。今年はやっと普通の?対応をしてもらえました。昨年は職場の人間関係で悩みました。今も悩んでいますが…。父も母もいつまでもいません。今年は何とか自分で折り合いをつけられるよう試行錯誤しながら生きていこうと思います。悩みは尽きませんが、頑張って生きようと思います。
✨私の両親の事父は板前で若い頃から転々と修行をして、その時に母と出会い結婚👨💗👩2人の子供も生まれ、最終的に今の場所で自分達の店を持ちました👨🍳父と母の頑張りで店(居酒屋)は地元に愛される店として繁盛していきました🍻私も何年かの修行を行い、地元に帰って父の手伝いをして自然な流れで2代目として今に至ります🙂現在、父と母は仲良く色んな所に旅行したりして楽しい余生を過ごしています🚗³₃が、こんな状況になって本当に心配かけてゴメン!🙏🏻父母共に私の治療が4時間以上かかるのに、毎回付き添っ
日々、両親の現実に驚かされる…父も母もそれぞれに個性があり、その個性がたぶん突出している…と思うwww有難いことに兄弟が仲がとてもよく、それぞれ連絡しあいながら両親の事を考えているのですが、まぁぶっ飛んだ父と母なので打ちのめされます(笑)今日出会った本は📚『親を憎むのをやめる方法』(益田裕介さん著書)医学とは感情という主観を取り除く科学の営み。精神医学は人生の困りごとを科学的に考えてみよう、という目的でスタートした学問。人が主観的に「感じている」情報を
嫌な予感ご訪問頂き、本当に有難うございますこの日記には宗教の事が出てきます。もしかしたら不快に思われる方もいるかもしれませんでもきっと私と同じ様な思いをされている方もいるかもしれないのでありのままを書いていきます。ご理解の上、読んで頂けたら有難いです※宗教に対する批判では無いです母にすると私「もしもし、ばぁば最近また義家族からお金の無心無かった貸してない」母「え、無いと思うけど…じぃじは」