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特養の中では、夫婦で入っているのは、この時は、父と母だけだったようです。父が入る前にはいたそうなんですが、いろいろな配慮は、ありました。でも、父と母の喧嘩には、なだめるのが職員さんたちも大変だったようです。しかし、喧嘩するほど仲がいいといいますが、喧嘩した後はそんなことはすっかり忘れている父と母。職員さんたちが、このホームのなかで喧嘩ができるということは普通はないのでいいですねと何回か言われました。特養は、要介護3以上という壁があり、これがネックになることが多いようです。父は、ぎ
同じ特養に入れた父と母。本当に良かったことでした。母が亡くなるまで一緒に特養で暮らせたことは、本当に良かったことでした。しかし、父は、母が特養に入ってきたことで母の部屋でずっと暮らせることがうれしかったようです。でも、片づけは、父が亡くなるまで続きました。だから、危ないこともたくさん。割れた陶器がカバンの中に入っていたこともあったのですが、一番怖かったのは、ガラスの破片。母の部屋に飾ってあった額。父が手が届かないところに飾ってあったのですが、それを外した父。どうやってその額
特養の父の部屋は、本当にものがなかったんです。ものを出しておくとそれをしまう。その繰り返しだったんです。だから、どこにしまうかというとカバンの中。初めのうちは、帰る支度をしている父。入所当初は、ホテルに泊まっていくという話で特養に入ったので自分は、自宅にすぐに戻れると思っている父。なんでも片付ける父は、本当に困りました。なんでもカバンに入れるので石鹸に始まり、ティッシュボックスもカバンに入れ、また、買ったお菓子までカバンに。だから、いろいろなものが混ざり、食べ物もお財布も眼鏡
✨私の両親の事父は板前で若い頃から転々と修行をして、その時に母と出会い結婚👨💗👩2人の子供も生まれ、最終的に今の場所で自分達の店を持ちました👨🍳父と母の頑張りで店(居酒屋)は地元に愛される店として繁盛していきました🍻私も何年かの修行を行い、地元に帰って父の手伝いをして自然な流れで2代目として今に至ります🙂現在、父と母は仲良く色んな所に旅行したりして楽しい余生を過ごしています🚗³₃が、こんな状況になって本当に心配かけてゴメン!🙏🏻父母共に私の治療が4時間以上かかるのに、毎回付き添っ
こういう展開になるのは想定内だった。おばあちゃんが本当はずっとこの家で過ごしたいこともお母さん(嫁)のせいにしたい気持ちも自分の娘(おばあちゃんの娘)ならこうなのにと思っていることも話される前からわかっていた。知らない人が聞いたら、そうなの??おばあちゃん凄く可哀想!となる言い回しをするのはおばあちゃんの通常営業である。プラスおばあちゃんは自分の娘たちをとにかく可愛がっていた。〇〇(娘)からこれを貰った〇〇(娘)がこうしてくれた〇〇(娘)が、〇〇(娘)が
おはようございますご訪問、いつもいいね👍等ありがとうございますちらほら出てくる写真あまり記憶にない写真が出てきたりしてとても貴重に感じる父と母とそして私の息子ちゃんどこかにおでかけもっともっとその瞬間、瞬間をいっぱい写真にとっておくべきだったな後悔後悔父母も元気なまま突然悪くなりあっという間に風のようにいなくなった感じ人生が終わり振り返る時初めて人生にとって何が一番大切なことなのか気づかせてくれるものだと思いますね私の心に胸に愛を引き継いでいます
結婚しマンションを探している時実家の母が「ウチから一番近い所にしておき。いいことあるよ。」と耳うちされて「そうなの?わかった!」と素直に言うこと聞いてスープの冷めない距離にあるマンションに越しました。おかげで娘を0歳から保育園に入れて仕事に復帰した後の恒例の保育園からの呼びだしに私は仕事を投げ打ってお迎えに飛んでいく!…ということはしなくて済み随分母に助けて貰いました。それが今の今までずうっと続いております。何年か前には父と母が相次いで入院したことがあり
思考のしくみを知ってしあわせに生きる思考の学校校長の大石洋子です。昨日から1泊で木更津の実家に泊まってきました。昨晩は母の手料理を楽しみました。最近忙しさにかまけて作ってなかった栗ご飯をご馳走になり涙が出るほど美味しかったデス美味しい美味しい連呼してもぐもぐ食べてたんですが、そんな私に母が言うんです。「この栗、お父さんが剥いてくれたんだよー」と。。。私が実家に住んでいたときには父がごはんの下準備をする姿なんか一度も見たことがなかったのですんごいびっくりしました
ピッコマ・LINEマンガで漫画配信中!「ぎふてっど」で検索オンラインサロンへのご参加もお待ちしています♪オンラインサロン/コミュニティ運営ならYOOR「ユア」YOORは、オンラインサロン専用トークルームを完備した、コミュニティやファンクラブ、オンラインレッスンの場として利用できるプラットフォームです。yoor.jpクローゼットの奥を掃除していたら、古いアルバムを見つけました。これを開くのは20年ぶり。母が死んだ時に実家から持ってきた母の若かりし頃の写真
父の片づける行動は、母が同じ特養に入ってからも続きました。何しろ、カバンの中にものを入れるんです。特に困ったのは、石けん。そして、歯ブラシと歯磨き粉。そんな風でした。そして、母が特養に入り、母の部屋を飾るようにしました。でもね。それでも、父が母が作った作品なども高い所に飾っても、それを椅子に登って外してしまうようなんです。その現場は、だれも見ていなかったのですが、母がそんなことをやるはずもなく、父がやったんだと。だから、母の部屋を飾ってもそれが長続きせず。まあ、母の部屋は、片付け
前に母がつまづいて転んで整形外科に通うようになった時のことです。数日は、家の2階で寝ていたのですが、そのうちに起き上がり、全身のだるさもなくなったようで念のため、動けるようになったので整形外科で診察。この間、母の心配をして父は、まったくデイに通わなくなってしまったんです。まあ、それは、仕方がないとあきらめたのですが。でも、父がいると母は、5分おきぐらいに心配し、寝てもいられない母。また、母は、病院が大っ嫌い。だから、病院に行くときは、一緒に行くようにしていたんです。でもね。そうすると家
特養に入るときに自宅にいたときのように同じようにきれいに飾ってもいいですとの話を聞き、父の部屋を過ごしやすいような雰囲気にしたかったまみちゃんでした。でもね。それができなかったんです。それは、父の変な行動。特養に入ってから、変な行動も変わってきました。自宅にいたときの変な行動も少し減ったような気もしたこともありましたが。ここは自宅ではないとわかっている父。ホテルのような場所だから、泊って言っていいんだよとの話から、特養に入所が始まりました。しかし、前に自宅に泥棒に入られてから、自宅
この入院の時、手術となり、数時間後に手術が終わりました。それで母が目を覚ますまでに数時間かかるということで朝、何もしないで着の身着のままで家を出てきたので一度、家に帰りたいと病院側に言ったのですが、それもダメで一緒にいてほしいといわれ、その日は、結局病院に夕方までいました。家に帰るともう、夕方で。朝7時過ぎに家を出て、その後、ずっと病院。その日は仕事も入っていたのですが、そこにも電話したりと。時間的に何をしたというわけではなかったのですが、なんだか、忙しく、いろいろな手続きに追われまし
こんにちは~7月スタートです!晴れ間が見えて嬉しいな~どんな31日になるかな~♪♪今月も大切に丁寧に言葉を綴っていきたいと思います。お付き合いどうぞよろしくお願いします☺☆さて初日は~久しぶりに60代の着こなしをご紹介します。テーマはホテルランチコーデです。60代に似合うロイヤルブルーが、顔映りがよくお気に入りだそうです。母の着こなしのポイント・レーヨン混で落ち感があり女性らしく上品に着られるノースリーブ&ロングカーディン・お店の人が着こなし
私の自宅に来て少ししてから入院した母。まだ、介護のことでの手続き途中で自宅にどこかにベットを入れてなんて話していたところだったところに母の入院。ですので手続きが中途半端になりました。入院当初は、なんだかわからないうちに母の入院、そして、手術と目まぐるしく1日が過ぎました。救急車は、病院が決まらないと動かないということは、わかっていたのですが、一番、近い救急病院には行けなく、2番目に近いと思っていた所よりもそんなに距離も変わらずにもう一つの救急病院が見つかり、そこへ入院。母の食事のことに
今日から父と二人暮し離婚して、父と母と三人暮らししてる私。年金暮らしの両親に甘える生活。フルで働いてる私は家事をほとんど任せている。今日から一週間ほど母は私の弟夫婦のもとへ可愛い孫ちゃんの子守。奥さんが仕事の出張で沖縄へかっこいい去年は海外出張だったなぁ…英語が話せるなんて素敵❤️バリバリ仕事して、稼ぐ奥さん!かっこいい私の目標!なんて言っている場合ではない。この歳で父と二人って。なんとなく、キツイ…しかしながら、父は料理が上手で、今日の麻婆豆腐も美味し
じゃあ、父と母だけが偉いかといったらそうではないおじいちゃんが亡くなってから長い間ずっと、父・母と過ごしてきた日々は、こころぼそくもあったとおもうし、わたしが父母に感じるニタイイチの構図に、憂いたこともあったと思う。わたしは孫だからおばあちゃんにも父母にも感情移入してしまうし、どちらのことも大切でどちらの気持ちも分かる。口ではキツく言い合っても、心の奥底に信頼があって甘えがあって家族だから、と思っているのも感じる。こんな家族が、わたしは大好きで自
自分のための休暇ならうれしいんだけどねぇ(笑)19日(土)に予約していた母の物忘れ外来を12日(土)に変更できないか聞いてみたんだけど土曜日は予約がいっぱいで変更できるところがないと言われてしまった。仕方なく明日午後休取って行くことにした。先月22日(土)母が真面目に薬を飲んでいないことが発覚うすうすはきちんと薬が飲めていないんじゃないかって思ってはいたんで100均に売っている一週間のお薬ケースを用意して行ってたんだけど。やっぱそうか~
母一人の生活から、私たち家族との同居。少しは前から考えてきましたが、突然、やってきた同居。どうしようもなくなっての同居でした。まあ、これも長い間ではなかったのですが。しかし、この時は、参りました。認知症の母との同居。この時、みんなに言われたことがありました。「よかったね。」母のことを心配していた人たちは、これが一番と思ったようです。でも、家族にとっては今までになかったこと。家に泊まりに来ることはあっても一日中、ずっと一緒ということはなかったからです。母は、特に気にもせずだ
こんにちは、さぐです。私が摂食障害になってから、父や母と言い争いになることが多くなりました。父と母が、私のために、たくさんたくさん努力してくれていることは知っています。今生きていられているのも、両親のおかげです。でも、言い争いになる時や、治療がうまくいかない時の言葉が、私の心にグサグサ刺さってくるんです・・・「運動長すぎ!!もうやめたらっ!?」→「暑い中頑張ってるね。でも、もっと自分の好きなことしようよ」「食事少ないよね!?
アルツハイマー型認知症は、脳の海馬の萎縮。段階も父の場合、最低だったんです。海馬の萎縮度が最低だった父。この状態だと普通は、動けなくなる人も出てくるといわれたことがありますが。父は、最後まで何とか歩けました。特養の中では、杖をついてくれなかったのが悩みの種でしたが、頑として自分は、若いと最後まで思っていた父でした。認知症なので記憶の後退があって、自分の年齢も若くなっていたんだと。最後のほうは、会ってもすぐに忘れることが多くなりました。車いすには、乗ることを辞さない父でしたが、杖だ
先日、久しぶりに実家へ。なんだか今年はあまり帰れてなくて本当に久々でした。今年は父と母は結婚50年、金婚式を二人元気に迎えられて良かったねとささやかなお祝いを✨顔を合わせて美味しく食べて元気にラジオ体操もして楽しく過ごしました♩少し汗をかきながら笑いながらラジオ体操をして「なんだか平和ね」と当たり前に日常を過ごせることが本当に有難いなぁとしみじみと感じました。実家の部屋には大きく育ったグリーンたちがいっぱい。父がもってけと分けてくれて新しい仲間が我が
玲瓏おもしろくてサクサク見ています。ファンタジーは好きなのですがやはり重い、コワイものより冒険的な夢のある感じのドラマが好きですそんな方にはオススメです。こちらが一回目の感想です。リンイーは村人に捕らえられ玲瓏は高熱を出し寝込んでしまっている。目覚めてお父さんを傷つけた、というが、夢だと答える父。玲瓏の父と母の出会いが描かれました。道に迷ったよそ者の綿児と出会った。モウ一目惚れでしょ母綿児は、玲瓏を産むと🔥の壁の中に行かなければならな
遡ること先週の話(になってしまった笑)木曜日はお昼のサークル、金曜日はアスリエ鷺沼でのレッスンでした怪我や用事の方が重なりどちらも人数が少なめでしたが、参加者様のダダ漏れのやる気に背中を押されて私もついつい激アツ指導にとはいえ、ここのところは「あまり難しいとつらい…」という声にも答えながら、詰め込みすぎずに楽しめるように、そしてついて行ける音の速さに、いろいろ調整していますかれこれ15年以上のお付き合いになるメンバーさま方も一緒に歳を重ねてきて、でも今もこうやって同じ空間で時間を共有して
奥四万湖✨四万ブルー✨綺麗✨✨紅葉も綺麗で✨✨お天気だけど、雪降って❄️めちゃくちゃ寒かった❄️四万の甌穴郡✨✨四万温泉って、のんびり癒されますよね✨✨帰り道、気になったきのこ茶屋でランチ🎶久しぶりに厚焼きたまご買ってたまご9個分の厚焼きたまご✨✨父と母と3人でのんびり癒されました✨✨レッスンお休み頂き、ありがとうございました🙏✨
去年の騒動から納得いかないながらも父と母はプチ家庭内別居という形で収まっていました何がプチかというと父と母の収入を半分にしてお互い管理にしてご飯も洗濯も各自となったのです(プチじゃなくてこれが家庭内別居なのかな?)*父の暴走の詳細知りたい方はテーマの家族騒動からどうぞ一見落ち着いていたのと週に何回かは母は我が家に泊まりに来ていてまあこんな感じなのかなと思っていましたでもどうしても父に辞めてもらいたいことそれがお酒を飲んで自転車を運転するのです酔
一口馬主です。名前が決まりました!シップオブラブです。父と母から両方の名前をもらってるので期待値大です!1のつく日なので縁起もいいですね。レモンシフォンの近況です。こうやって毎週状況を連絡してくれてます♪
老人ホームに入ってから、父は、要介護3から1になったとのことを書きましたが、アルツハイマー型認知症としては、本当に重かったんです。なぜ、要介護3から1になったのか、原因がわからなかったのですが、あとで聞くとその時は、母も少しずつ元気に。そして、認定の時には、母が一緒にいたんです。前も父の認定のときは、母が全部話し、父も話しましたが、母が横から話し出すんです。多分、この時、父の認定のときも母が横から、話をしていたんだと。でもね。父は、本当に重かったんです。一人暮らしは絶対に無理。やる
父は、頑固になりました。これが、パニックの一つの原因にもなっているのですが。今までも家族の中心は、僕だという考え方は、同じだったのですが、人の話を聞いてくれないというのか、自分のことが正しいと思うようになっていったんです。でも、それが、おかしな行動に走ったりと。昼夜逆転も父は、特に気にしてはいなく、自分は、普通のことをしていると思っていたようです。ですので私が、実家に泊まった時のことですが、自分が起きるとみんなを起こすということがわかりました。でも、あの大きな声であーだこーだと言われた
父は言った言わないが多い人なので今回の父の騒動についてはできる限り書面にてとお願いしています前回こちらが時間をくれと言ったにもかかわらず私達の返信を待てない父が立て続けに書面を送ってきてそれ自体も自分勝手だなと思ったんですが内容も自己擁護ばかりで…その書面の最後に前回私たちが疑っている内容についてきちんと形にして渡すから待っていてくれそう書いてあったのですなので待ちました1週間2週間…っておい!自分が責められた時の私達の攻撃がやや強かっ