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◆「老子」100分de名著名著22『老子』「100分de名著」の番組公式サイトです。誰もが一度は読みたいと思いながらも、なかなか手に取ることができない古今東西の「名著」を、25分×4回、つまり100分で読み解く新番組です。www.nhk.or.jp古代中国で生まれ、2300年にわたって読み継がれてきた『老子』そこに書かれた教えは、いつの時代にも生きることに悩む人たちに多くのヒントを与えてきました。なかでもよく知られた教えが「上善(じょうぜん)水のごとし
吃音放置のすすめ吃音放置療法私はこれを、「ナオる」「ナオす」とは読まない。「治」は「オサめる」と読んでいる。「治める」とは、不安定な状態をなんとか安定させることであり、物事を静めるの意だ。(中略)「完治する」とか、「すっかり治った」などということが現実にありうるのだろうか。どんな優れた治療でも、人体にダメージをあたえないことはありえない。病いを完全に克服することなど、不可能だろう。病気は「治める」しかないのである。「治す」「治った」という言い方には、どこかに得意気なニュアンスがある。近代科
タオのススメ♦︎老子道徳経のふかさ♦︎神様に裏切られるのが怖くてまともに本音の願いを打ち明けられないなんて日もある。めっちゃ願って頑張ったのに試合に負けたとかプレゼンが落ちたとか思う結果が出ないとか会いたい人に会えないとか。そんな経験したらやさぐれを記憶しちゃうよね。でもね長い目で見えてきたら、カフクイフクで理解できたら、その時に願いが叶ってなくてぎゃくに良かったんだわって悟り晴れてくる。めっちゃ願ったのに叶わなくてどん底のやけっぱ
こんにちは。GOLDENKIDです。素空慈先生は毎週韓国で講義をされていまして、YouTubeでも公開されています。そして日本の方々にも見ていただけるよう日本語字幕版も製作し公開しています。現在韓国では「孫子の兵法」を講義されているのですが、その前の「老子道徳経」日本語字幕版がついに最終回を迎えました。そこで今日は最終回となる老子道徳経第16部—宇宙の神秘の冒頭を抜粋してご紹介させていただきます。【素空慈講義】老子
【ブッダの真の悟り、解脱を体現したい方のための専門指導】世間にはびこる偽物の悟り、覚者達から離れ、自己の真相を体現したい方の場Q、これから実践して行こうと思うのですが、どんなコースがあるのですか!?A、3日間コース3か月間コース6か月間コースがございます。6か月間コースは3か月間コースより割安になっております。3日間コースは短期集中で正しく禅を知りながら、実践して行くコースです。入門コース
お釈迦さんの本物の悟り、解脱に悟りと云う、世間一般上、未知なるものに何かしらの「私」の期待、夢、希望、願望、理想を膨らまして乗せ、悟りと云われているもので、現実化しようと考えます。ですが、お釈迦さんの悟り、解脱と云うのは、もともと生まれてもいない、錯覚で物理的に存在していない、考えの中の考え錯覚のアイデア実体のない観念そのものの、「私」を捨て去る「道」です。ですから、お釈迦さんの悟り、解脱は、世間一般の自己実現、願望実現
ハッキリするのに時間がかかるのは、理に長けた人です。解りたがるからです。このような解ろう、理屈で納めようとするのはビジネスなどの問題解決では、力を発揮出来ますが、お釈迦さんの悟り、解脱と云うものは、いっさい考え方を必要としない、観念知識をいっさい必要としないのです。お釈迦さんの悟り、解脱はこれから知識を学んで、技術を磨いて、上手になって努力して、精進して積み重
お釈迦さんの悟り、解脱の体現に与り、その後、どのように日常生活を送るのかと申すと、人間世界の如来のままで生活するのが卒業なのです。社会生活の娑婆に出ると、思いや感情がさわがしくなります。たくさんの縁に触れて、騒がしくなるのは、当然の働きなのです。実践修行中も、解脱後もそのような騒がしくなるのをいっさいそのまま受け入れっ放しでいるのです。一定の絶対の平和的な平常心や、静寂で在り続
今のまんまのこのまんまの事実を認めるだけだ、瞑想や坐禅など、修行するという事は、あるがままの今を否定して、求めているのだから、余計苦しみの原因を生むと主張している方がいます。その方は仏教や禅、非二元など相当の知識がある方で、されど見性(悟り)の体験がない方で、瞑想や坐禅などは、今のこのまんま以外を求める行為だと思い違いしていて、瞑想や坐禅の修行の必要がないと言いながらも、何人かの非二元スピーカーやティーチャーなどをウロウロと求め渡り歩き、悟りの知
あなたが私が存在していると思い込んでいようがいまいが、2500年前にすでにお釈迦さんが人は身体の中に存在しておらず、無我ですでに物理的に実体がないと、修行の上、ハッキリと証明していて、伝えているのですから、もともと、私と言う考えそのもの、観念そのものの、鼻っから実在していないものを、考え方で追及して、どんなに意識して正そう、変えよう、消そう、止めようとしても、もともとすでに
荘子の「胡蝶の夢」とは。現代語訳です↓>荘子は夢の中で胡蝶になりきっていたが、目が覚めてみると自分が夢の中で胡蝶となったのか、自分は本来胡蝶であって今荘子であるのか、私にはわからない。主体としての私には変わりないが、形の上で荘子となり、また胡蝶となっている。<この説話は実は深遠で「無為自然」「一切斉同」の荘子の考え方がよく現れているとされる。このことを、自分なりに、少し考えてみます。人間の思考ないし意識の問題としてアプローチできそうです。自分の考えや意識こそは自