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三井三池炭の宮原(みやのはら)坑跡です。1889年(明治22年)から1997年(平成9年)まで稼働。竪坑などの施設を観ることが出来ました。係員の方からお声がけhがありましたので30分程度の説明をいただきました。トロッコを地下まで運び、石炭を運んだそうです。動力採掘は湧水との戦いだったそうですが、排水設備を投入してから大きく採掘量が増えた。石炭はここから鉄道で三池港へ。
今日は、昨日のメンバーに神宮寺隊員、親方が合流し長崎県佐世保市にある無人島の永ノ島へ。瀬渡しで10分到着永ノ島は、ここです。かつて、永ノ島炭鉱として栄えた島で、明治時代から昭和初期にかけて石炭を採掘していました。1897年:坂田某が採炭権を取得し、永ノ島での採炭が始まる。1906年:初期の採炭が終了し、炭鉱は閉鎖。1947年:堀川辰五郎が採掘権を取得し、再開。1953年:再度閉山。1960年代:栗山鉱業株式会社による本格的な開発が始まり、
ずっと前から気になっていた軍艦島に行って来ました長崎旅行を決めた時から目的地の一つが軍艦島でした気象状況によって島に上陸するのがかなり難しいと聞いていたのでどうなるかと思いましたが、無事上陸出来ました強者どもが夢のあと。。朽ちた建物を見て、そんな言葉が浮かびましたが、半世紀以上前はしっかり人が住んでいたし、住人達はまさに一島一体の仲の良さだったそうです✨炭鉱が島に住む人々の仕事だったので、労働環境は想像を絶する過酷さだったそうですが、当時の給与は世間の3倍以上はあったそうな。。地下1
空知の大地を流れる石狩川その流れに沿って、江別・奈井江・砂川・滝川の地に昔々、北海道電力の火力発電所が稼働してた産炭地も近く一番大きな発電所が奈井江その奈井江町の鎮守「奈井江神社」新入社員だった当時のおじさん火力発電所や江別の王子製紙に営業に行ってた当時は高速も中途半端で、裏街道275号線や農道豪雪地帯でもあり、真冬は毎回地吹雪に苦しみそんなこと思い出しながら参道を歩くなぜかパンダの置物が(´艸`)「二の鳥居」
「あけのべ憩いの家」を出発して坂を上って3~4分程で、明延鉱山の出口側の横にある駐車場に到着します。中からはひんやりとした空気が流れ出してて、前に立ってるととても気持ちいい♡(*´ω`*)内部の14℃の空気が流れ出てきてますから、天然のクーラーみたいですよね♪駐車場の隣には明延鉱山を学べる学習の家と、当時使用されていた電車が左右に並んでおりました電車ここだけでも充分に写真スポットになってますね📸駐車場に全員が揃ったら鉱山に向けて出発。駐車場から坂を下って階段を降り、少し歩くと入り口に
日本三大億万長者・菊地寛実翁の弟、戸部光衛が築いた―常磐炭田に唯一残る“炭鉱所長宅”を訪ねて―いわき市には、かつて本州最大の炭鉱会社常磐炭鉱が存在し当院も炭鉱病院と活躍していた時代もありました。現在も、地域貢献の一環として「常磐炭田史研究会」に所属し炭鉱時代の歴史を語り継ぐ事業に参加させていただいております。今回は、現在の残る「炭鉱住宅」の見学会の様子をお伝え致します。日本の近代化を支えたエネルギーの中心地の一つ、常磐炭田。その歴史の中に、ひっそりと