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○2024年12月16日、岳陽を訪れた。今回、岳陽での見物は岳陽楼のみだった。これまで、2013年6月、2014年6月と、岳陽楼を訪れているが、二回とも、駆け足で訪問したに過ぎない。それで、今回は、ゆっくり、のんびり岳陽楼見物をしようと思った。○岳阳东站到着が10時20分、そのままタクシーでホテル『朵兰达V酒店(岳阳楼步行街店)』に直行し、荷物を置いて、岳陽楼前広場である巴陵広場到着が11時49分になっている。今回は、丁寧に岳陽楼を見て回ったつもりである。○それでも、岳陽楼を後にしたのは、1
◯2024年12月16日、岳陽を訪れ、岳陽楼に登って来た。2013年6月、2014年6月に引き続き、三回目の岳陽楼訪問だった。2013年6月、最初に岳陽楼を訪れた際、岳陽楼が歌枕であることを理解した。それで、次の34個ものブログをものして、岳陽楼が歌枕であることを証明した。『范仲淹:岳陽楼記』、『劉長卿:岳陽樓』、『楊基:岳陽樓』、『杜甫:登岳陽楼』、『陳与義:登岳陽楼』、『蕭德藻:登岳陽樓』、『李白:與夏十二登岳陽樓』、『李白:荊州賊亂臨洞庭言懷作』、『李白:陪族叔刑部侍郎
○2024年12月16日に、岳陽を訪れ、岳陽楼に登って来た。日本では、杜甫の「登岳陽楼」で知られる岳陽楼だが、中国では、范仲淹の「岳陽楼記」が最も有名である。岳陽楼景区内にも、多くの「岳陽楼記」を見ることが出来る。○とにかく、范仲淹の「岳陽楼記」が名文であることは、間違いない。もちろん、当古代文化研究所が大好きな文章の一つでもある。その范仲淹について、日本では意外と知られていない気がする。それで、今回は『范仲淹:桐廬郡嚴先生祠堂記』と題し、范仲淹について述べてみたい。○中国の検索エンジン、百
◯2024年12月16日、岳陽を訪れ、岳陽楼に登って来た。2013年6月、2014年6月に引き続き、三回目の岳陽楼である。最初に岳陽楼を訪れたのは、2013年6月11日の夕方で、すでに岳陽楼は閉まっていて、岳陽楼に登ることは適わなかった。詳しくは、次のブログに書いている。・テーマ「岳陽・武昌」:ブログ『岳陽楼』岳陽楼|古代文化研究所○二回目の岳陽楼訪問は、一年後の2014年6月18日だった。この時は衡山から岳陽にやって来て、大幅に電車が遅れて焦った。結果、11時20分に岳陽に着
中村常務理事が原曲体感研修「うぬぼれ、天狗」「天才でごめんなさい」に出てくださいと勧めてくださっているのを見て、心よりの感謝。●1/12に、起死回生の秘法と異次元パワーを得るための祈りを受けました。異次元パワーは支部オーダー日でしたので、礼拝堂開催にこそっと隅の方にでもと復活の祈りからの参加でしたが、前方に椅子を3席、代表者が座るのだろうなと見ていると職員さんから前へどうぞと案内され、大エル・カンターレ像前の真ん中の席に。主への祈りを唱和して、プロジェクション・マッピングの光の
○2024年12月16日に、岳陽を訪れ、岳陽楼に登って来た。2013年6月、2014年6月に引き続き、三回目の岳陽楼訪問である。もっとも、前回の二回は、僅かな時間で岳陽楼を見学したに過ぎない。その反省もあって、今回は、十分な時間を取って、岳陽楼を歩いた。○それで、ここまですでに、ブログ『巴陵広場』、『岳陽楼』、『洞庭湖』、『君山』、『汴河街』、『江南三楼』、『范仲淹:岳陽楼記』、『岳陽楼:五朝楼観』、『双公祠』、『杜甫:登岳陽楼』、『昔聞洞庭湖』と、11個ものブログをものしている。今回は、いよ
○2024年12月16日に、岳陽の岳陽楼を訪れた。2013年6月、2014年6月に引き続き、三回目の岳陽楼だった。中国文学を語る上で、江南三楼の存在は大きい。それが目的で2013年2014年に、江南三楼の全てを訪れた。○結果、江南三楼は、どう考えても、歌枕であることは間違いない。日本人の私たちに、そういう感覚は無い。それを感じたのが2013年5月11日の岳陽楼訪問だった。午後6時過ぎに訪れた岳陽楼は、すでに閉門していて、中へ入ることが出来なかった。それでも、何とか、外から岳陽楼を眺めることがで