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今回の旅の一番の目的は、このシンポジウムでした。『稀才・江藤新平の真に迫る』聴いてきました。終わったあと、すごく胸がいっぱいになってしまって…ホテルに帰り着いたあと、ボーっとしていました。彼の功績は調べればいろんなとこに載ってるので数え上げれば偉大さが語れるんですけどね、今回、佐賀藩とか江藤研究の第一人者の皆さまが語る、彼の人となりの部分が胸にズキュンときまして、すっかり心を持っていかれちゃったよ〜特に心に残ったのが、「江藤新平は急進的に過ぎて、生き急いで、死に急いだ」っていう言
もう帰ってきてはいるんですけどね、佐賀の旅の最終日について書きます。ザ・佐賀の旅とも言える、吉野ヶ里遺跡に行きました。行き方は色々ありますけど、わたしは電車で、吉野ヶ里公園駅から。駅を降りるとコミュニティセンターがあって、荷物を預かってくれたり、レンタサイクルがあったりして便利です。(有料)駅からは、ほぼ真っ直ぐの道を歩いていく。あった。でっか!!だだっ広いテーマパークみたいな佇まいですね。平日だったのですがGWということもあり、思ったより観光客がい
引き続き、福岡の討幕志士・平野國臣の足跡を追っています。國臣の佐賀遊説に触発されて、死罪覚悟で佐賀藩を脱藩し、維新後に中央政界で活躍した初代司法卿・参議・江藤新平の話の続きです。↓佐賀城本丸歴史館にあった江藤新平の写真。(撮影の許可は得ています)。維新後の新平の活躍と「征韓論」については、いろんな資料がありますから割愛。「佐賀の乱」勃発後の新平の足跡をめぐってきました。↓佐賀市内の拡大地図維新後、中央政界で活躍していた新平ですが、1873(明治6)年、征韓論に破れ参議を辞
佐賀にいます。楽しみにしていたGWの旅行。このためにツライ仕事頑張ったよ…佐賀は今回で2回目です。目的はまたもや江藤新平で、没後150年の特別展があるのです。ちなみに今回は福岡空港から来たよ。なんだ、わりと楽に来られるじゃんしかし暑いな。着きました!いつ見てもかっちょいい、偉人の像。これは仲良しの江藤新平・大木喬任コンビ。これは大隈重信、副島種臣。佐賀の街は、歩くといろんなとこにエモい建築物が点在している。どうして佐賀県は他県民にイジられるくらい不人気なんだろう。めちゃめちゃカ
西郷隆盛は写真嫌いで一枚も残っていない!とされている。しかし、それは間違いである。彼は日本画(錦絵)はたくさん残しているし、写真も僅かに残っているようだ!現在、キヨッソーネの描いた西郷隆盛とされる太った肖像画やそのバリエーションが出回り定説となっているが、実はこの太った西郷隆盛こそが本物の写真などを否定する邪魔物になっている。この肖像画が一人歩きしてしまって、モデルにされた弟の西郷従道や従兄弟の大山巌としては引っ込みがつかなくなったようだ!西郷従道の決断で、西郷隆盛の親族、子孫たちは涙を呑んで
今の暮らしはひと言で言うと"…ねばならないのない日々"例えば明日何時に起きねばならない、がないと今日いつまでに寝なくては…もない。夜更かしして本を読んでもいいし多少酔ってふわりと眠ってもいい。その自由な気分は時間に追われていた時代には味わえないものだった。もっともかなり夜更かししても朝は早くにすきっと目覚める、そんなタチなのだけれど。横になると喉のあたりがもやもやして咽せるような咳が出る。風邪かしら、と一応薬は飲んだ。日付が変わらないうちに眠りに就きふと目覚め
フォン・スティルフリート男爵夫人も来日なさってたのね❣️https://twitter.com/_9105294027642/status/1523420482028015616?s=21&t=xlifYTL-h1boLSzuohxVng睦仁天皇暗殺現場写真を撮影した、ハンガリーのフォン・スチルフリード男爵の人力車写真3カット。既投稿以外の長崎大学古写真人力車(2514)には娘と夫人。李家長州政権はスチルフリードが江藤新平司法省に告発した為、蔑んでパパラッチ扱い。勅任官江藤新平を不法処