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こんにちは日本からカナダに帰ってきて1週間がたちました〜時差ボケは思ってたより軽くて、2日目以降は夜中に目が覚めたりすることもなくいつもより寝れてる方なんですけど仕事は私のいない間に新しい人が何人か来たりとか、業務的に色々変わった部分もあり対応に気を使うことが多くて結構疲れましたね今日はお休みなんですけど朝全然起きれませんでした1週間分の疲れがどっと出た感じですとりあえず4ヶ月分のたまりにたまったメールチェックがもう少しで終わりそう
ある日も仕事を休んで母の失禁した布団を洗い、ケアマネさんと相談して福祉道具を取付、母を風呂に入れ、着替えさせて掃除して、食事を作っていました。なるべく1階で生活できるよう、何往復もして母の荷物を2階から下ろし、身の回りの物を揃えました。何ヶ月もこの生活。しかし、もう私の不調が限界になりました。『兄夫婦にも協力してもらいたい』と口にしたことで、まさかの事態となりました。父『なんでお前はそういうことを言う!?あいつらは仕事で忙しいんだ!バカか!』『私も仕事してるよ。休んだ
こんにちはなみなみです季節の変わり目で頭がぼんやりしますねご自愛を心がけて過ごしましょう今回のテーマはアダルトチルドレンの私が毒親から逃げると決めた日についてです私の両親は超絶な毒親でしたお父さんはDVなとなどお母さんは過干渉などなど毒親の漫画を読んでいると「これって私の親じゃん」と気付かされたのですそしてある日、ある人からこう言われたのです「20歳を越えて立派な成人でそれって親の許可いる?」と聞かれたのです私の頭の中は初め
私は保守的な親に育てられました。今思うと親の価値観を知らず知らずのうちに強く刷り込まれ今苦しんでます。母は私がレールに乗らず人生を踏み外すことを非常に恐れていて、テレビ番組とかで【ザ・ノンフィクション】とか色んな人の人生の番組とかを幼い小学生の私に見せて「こんな結婚をしたから、この人はご苦労なさってるのよ。愛情はすぐに冷めるから、やっぱり結婚相手はお金が大事よ」とか「大学くらいでないと仕事がないわよ。大企業で働かないと自営業は浮き沈みがあるのよ」とか自身の狭い人間関係やテレビでみた話を延々と
昨日夕方から雪が降っていて雪すごいなぁと思っていたら、妹が急に思い出したかのように毒親のことを語り出した。昔雪が降った次の日に学校のお友達が雪遊びをしようと休みの日に誘いに来てくれたのに、うちの母は今日用事があるのと断ってしまった。(他人にはいい顔しがち)本当は用事なんかないのに。その後に買い物に行くから荷物を持ってと言われ、私と妹は母に買い物に連れ出されたのですが。外で誘いに来てくれた子が雪遊びをしていた。その子のお母さんも楽しそうに雪遊びをしていて、私は
いえーいAmebaMoviePlayerstatic.blog-video.jp心の声をonにしたAmebaMoviePlayerstatic.blog-video.jpなんでこんなに早口で話すの?子どもと会話をしようだなんて1ミリも思ってへんやろ子どもが話すとそれに被せて、我先にと話すお前はさ、滑舌が悪いなんてもんじゃないねん。もっとゆっくり話して子どもに伝えたれド腐れ🐴🦌お前は、僕これだけ新幹線の名前を知っていましゅ~褒めて
こんにちは♡30代・サイドFIRE女子・海外移住予定のモネたんです自己紹介はこちら→♡♡♡私は母と離れてからの方が母との関係がよくなったし、母と離れたことが人生のターニングポイントであったとも思っています。今日はちょっと長く、ダークな過去も綴ってありますので、親子関係に悩んでいる人に読んでいただければと思います。幼い頃からの両親はずっと不仲。私の父と母は幼い頃から不仲で、家族団らんの思い出は一切ありません。父母兄と
あけましておめでとうございます今年は穏やかなお正月を過ごすことができました。いいお天気で自宅からはきれいな初日の出を拝むことができました。今年は、特に抱負は語らないけど「今年の私は〇〇になる」とイメージができました。だからたぶん私はそうなると思う(笑)そんな自分が楽しみな今年です。アドラー心理学カウンセラー児童心理カウンセラー障害児育児サポーターもとはしえつこです。息子のリハビリの様子と回復の過程を綴ったブログをご覧になりたい方はまずは、こちらから
26歳で結婚した母、当時でいうとかなり晩婚で周りから急かされていたそうです。「公務員と結婚しなさい」と親に言われて育った母は、公務員の父と出逢ってすぐに結婚しました。初めて出逢った合コンで、母は父に噛んでいたガムを髪につけられたそうです。ありえない…と思うのですが、年齢的に焦っていた母は【公務員】と【顔がかっこよかったから】という理由だけで父と結婚したと言っていました。父と結婚してからは、「結婚してもまだ遊ぶのか」と友達とコンサートに行くのも禁止されたそうです。私が産まれたタイミングで
誰だって幸せになるために産まれてきたんだ。毒親育ちだろうと関係ない。毒親は変わらないんだから、あなた自身がどう生きるかだ。こんにちは。子育て中、これから親になる、そんな仲間を応援しております。食×心のケアで幸福度をアップする子育てカウンセラーえみです。初めましての方は→こちらえみのホームページは→こちら毒親育ち、そんな親との関係が現在の人間関係に影響する。そんな問題にぶち当たって悩む人
伯母に父の転院を伝えた。お世話になり、ありがとう、と返信がきた。弟にとってあなたは、たからものです、と最後に書いてあった。何て事ない言葉かもしれない。そんなつもりはないかもしれない。普通なら、喜ぶ言葉かもしれない。でも、私は聞くと心が沈むんです。母の時もそうだった。たくさんの人がこう言った。お母さんは本当にあなたが大事なのね。お母さんは娘思いよね。その言葉を言われる度に苦笑いをする自分。苦しむ自分。心が沈む自分。そう言われたら、もっと何かをしなければいけないのでは、、
本日は「完璧になりたいです!」という人の電話セッションでした漠然としているので、少しだけ具体的に話してもらいました。「声が不安定でなくて、自信があって、話す言葉はとげとげしくなく、他人が聞いていて聴き心地が良くて、他人からどう思われているか気にせず、自分の意思を最後まで貫き通し、自分を大切にできる人・・・」気が利くとか、言われる前にできるとか、もう上げたらきりがないですが、もちろんここに、外的な容姿の要素、痩せていて美人などの
元銀行員さまこです今日も母の話これまでのこと。『決意したこと』元銀行員さまこです本日はかなりネガティブな話なので、苦手な方はUターンお願いいたします本当にネガティブだよ…!戻るなら今のうち!今、かなり心をガリガリ削りなが…ameblo.jp『ドタキャンで凹んだ』元銀行員さまこです…ちょっと重くて暗い話なので、苦手な方はUターンでお願いします。非常に気が重くて母を入院させようって決めて保健所にも相談したし病院にも検討し…ameblo.jp『病院ってこんな感じなの?』元銀行員さまこで
はじめましての方へ母を殺すか自分が死ぬかまで追い込まれたアラサーOLが「毒親から解放されて自分らしく生きたい…」と書き始めたブログへようこそ「幸せになるために」”毒親育ち”"アダルトチルドレン"と自覚し、自分と向き合っていったら、・自分を好きになれた・「生まれてきてよかった」と思えた・夢は叶うもの、叶い続けるものだとわかった・自分が生きる意味、使命がわかってしまった・殺したいほど憎かった母親との関係も改善という、夢のような現実がやってきました。現在は、「自
「なんでお母さん(お父さん)って、自分の発言や行動を忘れるんだろう?」このような悩みを抱えていませんか?「それを言ったの、本当にお母さん(お父さん)?」「そんなこと、お母さん(お父さん)が言うはずない」「それ言ったのお母さん(お父さん)じゃないよ!」「お母さん(お父さん)がそんなことするはずないじゃない」「あなたの記憶違いなんじゃない?」すっとぼけているのか、または本当に忘れているのか。はたまた、自分の言ったこと
はじめましての方へ母を殺すか自分が死ぬかまで追い込まれたアラサーOLが「毒親から解放されて自分らしく生きたい…」と書き始めたブログへようこそ「幸せになるために」”毒親育ち”"アダルトチルドレン"と自覚し、自分と向き合っていったら、・自分を好きになれた・「生まれてきてよかった」と思えた・夢は叶うもの、叶い続けるものだとわかった・自分が生きる意味、使命がわかってしまった・殺したいほど憎かった母親との関係も改善という、夢のような現実がやってきました。現在は、
こんばんは。ゆなです。前回のエピ↓『娘を女として敵対視した母①』こんにちは。ゆなです。毒親育ちって、どういう事って思う方もいますよね。毒親にも、色んなタイプがいると思うんですがうちの母は…【娘を女として敵対視】するタイプだ…ameblo.jp母「何言ってるの?私は!私が子供の頃はね!」「これくらいで頼ったりしてないし!」「妹の事ばっかり可愛い可愛いって言って!私の事は、ブスって言ってたじゃない!」「孫にばっかり甘くしないでよ!」たしか、こんな風に言っていました。で、泣いていまし
わたしが小学4年生の頃だったと思います。普通に小学校で授業を受けていて、休み時間になってすぐ先生に呼び出されました。母が交通事故に遭い病院に運ばれた父が迎えに来るから早退しなさいそういった内容だったと思います。兄と一緒に、父親に連れられて病院へ向かいました。母の手術は数時間かかり、終わったのは夜遅くなってからでした。当時のわたしはまだ幼く、「交通事故」といっても大したことないだろうちょっと怪我しちゃったんだなくらいの気持ちで手術が終わるのを待っていました。しかし、
植木屋の仕事をしているアラフィフです。HSP&モラ夫持ち&毒親持ちのぼっち気質。日々の心の有様を綴っています。今日は仕事がお休みでした。明日から三連勤の予定だし、雨だし。家事に勤しんだ後は家の中でまったり。とは言え。学生の子供たちは、もう春休みモードに入りかけていて、いつになっても出かけなかったり、出かけたと思えばすぐ帰ってきたり。一人でのんびり〜!とはいきませんちょっと、ゴロゴロした後に、少し離れたスーパーまで、気になる商品を買いに行くことにしました。雨の中を歩く。
こちら『⑭面会交流について』【前回までのあらすじ】臨月の妻と幼児を捨て、全財産を持って夜逃げした不倫夫「フクオ」婚姻費用調停と出産の準備がひと段落し、面会交流の話が出るが……。おさらい何…ameblo.jpでも触れましたが、毒親育ちです気まぐれの暴言暴力、学校の備品を買って貰えない、外に締め出される、勝手に進路を決められる……みたいな軽いもの(?)ではあったので、大人になるまで気づいてませんでしたが😅💦毒母との離別そんな母の基本行動は「他人の悪口を言って、自分を上げること」なの
実家を飛び出して‥その時の私の心情は、どうしよう。初めて父親にやり返した。暴力をふるってしまった‥年老いた親に。年寄りに‥心臓がバクバクバクバク身体中が震え、なんてことを、なんてことをしてしまったんだろう‥と精神が錯乱状態になり、今思うと、1番かけてはいけなかった人に電話をしてしまいます。兄です。兄に震える指でコールし、『お父さんに暴力をふるってしまった。ごめんなさい。どうしよう』と泣きながらその時のことを話しました。帰ってきた言葉は『親父がそんなことを言う訳がな
自身の経験を活かし、当事者目線で問題を深掘り解決!こんにちは毒親育ち専門カウンセラー松永春奈です。突然ですがあなたの親は、あなたをけなすような発言をしていませんか?親が子どもをけなすなんて、あってはならないことですが。実際に親の暴言で苦しむ子どもはたくさんいます。ではなぜ、親は子どもをけなしてしまうのでしょうか?親が子どもをけなす材料として使うものは、以下の3つが多くありま
東京で探すことになった両親の住まい検討していた住まいは北関東戸建て↓東京中古マンション購入↓東京賃貸マンションに変わっていたのですが、この時点で両親が迷い始めてしまいました。私はなんとか東京に引っ越してもらうように両親を説得しています。介護とお金実際に、もし北関東で介護をすることになったらどうなるのか。父の姉、タミさんの介護の時の話と、老後のお金についての話もしてみました。前回のお話はこちら『妹夫婦のお金事情-2-』東
3y2m亡くなっている父を発見した時から火葬の時までずっと一緒だった、3歳のもんちゃん。私がパニックになって、号泣しながらオエオエしている時は「どうしたの」とティッシュをくれたり。ただ事ではない事が起きている、ということは分かっていたらしく、車で大人しく長時間も待機してくれた。それからしばらく父の事で、負担をかけてしまったと思う。3歳のもんちゃんは、じーじの死をまだ理解していない。葬儀場で眠っている父を見て「こんなところでねんねしてるんだ〜」と言い、火葬場で骨を
精神疾患を抱える方は、毒親育ちの人が多くいます。実は私もその一人。25歳でパニック障害と産後うつを経験しました。パニック障害と診断を受けると、精神疾患を持つ方と関わりが増えるように。さらに親密な関係になると、相手が親に対する不満を口にするようになったのです。以前私が出会った女性は、同じパニック障害持ち。お母さんとの仲がとても悪く、いつもお母さんの不満を漏らしていました。「私がパニック障害になったのは、
長年のお客様がお子さんに私のことを話しているそうです。私のことをいろいろ伝え聞いたお子さんが向日葵さんは真面目にがんばってるのになんでこんなに不幸を背負っちゃってるんだろうと言っていたそうです。ほんと、私も知りたいです。でも、私はこう思ってます。先祖がやってきたことがまわりまわって私の代にきてるそう思うんです。私は家族と同じになりたくないと思い生きてきました。今、姉は病気で動けなくなり父も周りから人がいなくなってます。私も不幸のオンパレードですけど乗り越えて
ごあいさつこんばんは正直なところ、わたしはこれまでブログを読んだこともあまりなく書き方があまりわからないまま勢いで始めましたなのでわかりにくい部分読みにくい部分多々あると思います徐々に慣れていきたいです!!家族についてわたしは元々東北の生まれで祖父母、父母、兄、わたしで暮らしていました。生後間も無く父の転勤が決まり父母と兄とわたしとでの生活が始まりました幼い頃の記憶は幸せなものばかりで数年に一回は海外旅行にも連れて行ってもらっていたしどこにでもいる
『母がおかしくなった』と連絡を受け、仕事帰りに実家に駆けつけた私が見たものは、歩けず、ひたすら一方向を指差して言葉にならない発言を繰り返す母と、憔悴している父でした。いつから?何があったの?状況を把握できていない父に聞いても的をえず、よくよく母を観察すると、足を骨折している?とにかく布団に寝かせようとしたら布団は失禁を何度もしたのか、びしょびしょでした。押入れから新しい布団を出し、母を寝かせ、コインランドリーへ行き失禁した布団を洗いました。実家に戻り、改めて見渡すと、腐った食