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こんにちはメープルです。母が亡くなる1ケ月くらい前の話。この先どうなるんだろう?とずっと思っていました。母の介護・同居いていた時。無職?⇒仕事をやめたくてたまらないけど無職になるのは怖い。独身⇒これは自分の選択なのでOK介護⇒ガン闘病だけど、老化現象も伴って、1日中、何かと母の世話をすることはある…。自分ってどうなるんだろう?という将来の不安と、「介護同居している自分」とは何なのかというアイデンティティ喪失のような感じでした。早く自由になりた
今年も早々と1月も終わろうかとしていますが今年もよろしくお願いします。今日はちょっと皆さんにご存知の方はいらっしゃったら教えて欲しいことはあります※手荒れがあり打ちづらく音声入力しているので読みづらいところがあれば申し訳ございません今日は私の母のことでみなさんにご相談があります母は今、お医者さんに断定ではないですが線維筋痛症と言われたり統合失調症と言われたりしていまひて若き頃、、私を産んだ頃に躁鬱があり入院をしていたこともあるそうですとても心が綺麗で人のために自分の
こんにちは🌞長く投稿を控えさせていただいておりました。母の四十九日が二月一日。。まだ喪中ではありますが、近況など報告させていただきますね😊まず、、約2年半ご愛顧いただきました『ルミちゃんカラオケで歌っみろかい♬』宮崎県都城市牟田町アレザビル2階で2022年7月4日オープンのカラオケスナック🎤母の介護と並行してできる仕事を探し、面接行ったりしましたが年齢制限で限られたバイトで繋いでましたが、長引く介護とコロナ禍で、お昼は介護、夜は母が寝てる間にできるお店をオープン。亡き親友との約
😹狂いのバカ寿司『猫と犬世間のイメージ』猫と犬を世間のイメージで比較してみたい。投稿画像サイトの画像から両者の特性を活かしている画像をピックアップして判断するのです。投稿者は世の中の代表であり、今の…ameblo.jp今朝の😹バカ記事😹バカ記事が続いているので今回は少し真面目記事にしてみました。さて皆さんは同和地区や被差別部落の事をご存知ですか。以下の青字はGoogleAIで調べたものです。被差別を訴える「同和地区」とは、かつて同和対策事業の対象となった地域を指す言葉であり、正式
たまに思いますこの介護はいつまで続くのか?トイレ失敗した時全く言うことを聞いてくれない時ウロウロして何度も外に行こうとした時暴言吐かれた時なんでこんなことしなければならないのだろうと本当に思います母の機嫌が良い今日は機嫌が悪いと一喜一憂しながらの毎日もう嫌だ嫌だ嫌だそう思った時亡き父のことを思い出します父がまだ元気だったころわたしは別の家に住んでいたので週に数回、様子を見に実家に行ってました実家に着くとゴミだらけで汚れた部屋に認知症の母とうるさい父がいてそ
敬老の日ですね。普段よりちょっといいお寿司を取って、母のところで夫と一緒に食べました。総務省からの発表によると、日本の「高齢者(65歳以上)」の割合は29.4%で過去最高。さらに働く高齢者は21年連続で増加、働く人全体の13.7%を占めているそうです。私は今年の誕生日が来たら61歳。そうか、あと4年で“高齢者”に仲間入りなわけだ(正直、まだピンと来るような…来ないような…。)今の私は結構アクティブ。仕事に関しては、ライフコーチとキャリアコ
「…ひるまさん………離婚………したんですね…」「…本格的に…母の介護をしている…」と話すと…いろんなひとに…言われてしまう…長男の親の介護は…長男の嫁の義務…同居しているのであれば…なおさらです…長男の僕が…母の介護をしているということは…嫁が…いないから…
もう何年も前のこと。私は子なしの人生を受け入れ、これまで介護保険領域で働いた経験を、誰かの役に立てたら…と思って、介護をしている方を支えるボランティア団体に入りました。実家では母の介護が既に始まっていて、父が主に担当していました。母への介護サービスを父がほぼ全て拒否をして、私が実家に行き、母の世話をするのも嫌がり、「あんまり来んといてくれ。こっちのペースが乱れる」と言われたこともあるくらいでした。今から思えば、あの頃から、父の認知症は始まっていたのかもしれません。そのボランティア団体は
介護が始まってからなんとなく孤独な気持ちで過ごしてましたそして、このブログはそんな孤独な気持ちから書き始めました認知症介護の話がしたいと思ったからですなぜならわたしの同年代の友人で親が認知症の人があまりいませんそれはもちろん良いことだとは思いますわたしの認知症母の話をすると「大変だね」と言われるのですがこの大変さはわかるまいと思ってしまいます(ひねくれてます)あまり深刻に話をしても暗くなるのでわたしが面白おかしく話をしてしまうからかもしれませんが…そして介護が
結婚して半年経った頃夫が救急車で運ばれたことがあります。朝から激しい腹部の痛みと嘔吐で立ち上がれないほど苦しんでいたので救急車を呼んで付き添ったのでした。救急センターでの診断は『帯状疱疹の疑い』とのことでしたがその後、かかりつけ医に診てもらったらただの『夏風邪』だったのです。。←え?夫のあの痛みと嘔吐は何だったのか疑問は残りますがとりあえず大事に至らずホッとしたのを覚えています。それ以来、夫は風邪を引いて発熱したり倦怠感を訴えることが頻繁にあった
一昨日のことH2特養に見学の予約の電話を入れましたところ(10:30)担当者は只今、席を外してまして折り返しお電話差し上げます午前中、電話きません午後4時になり、こちらからもう一度電話してみました先程とは違うスタッフの方が出られて担当者は只今、送迎に出てまして戻りましたら、こちらからお電話します私:16:40位には出かける予定があるんですが何時位になりますか?(17時から歯医者の予約があります)それくらいには戻ると思うのでお電話差し上げます私:わかりました!も
「悩みのるつぼ」朝日新聞be2025.10.25.「母の介護で対立妹と和解を」女性60代タレント野沢直子さんの回答「お姉さん、歩み寄ってあげて」相談内容:もうすぐ95歳になる車いす生活の母を1人で在宅介護。4年前から要介護5となり、不自由度は増すばかり。私は今年度仕事を辞め、介護と家事に専念。腰痛などもあり厳しい日々。当初は県外に暮らす妹が時々手伝いにきてくれ、それなりに協力的で仲良くやっていた。しかし、コロナ禍で往来がままならなくなり、次第に気持ちがすれ
ご訪問ありがとうございます昨日はお休みしてしまい、申し訳ありませんでした🙇♀️(しかも一昨日のブログはあまりの頭の痛さに、一文めから打ち間違っていて、失礼致しました!訂正しました🙇♀️)また、アメトピに掲載して頂きまして、ありがとございます。振り返りをたくさんの方に見てもらえる機会を頂き感謝しています。(てんてこまいの介護日記振り返り⬇️)『母の介護の振り返り』ご訪問ありがとうございますてんてこまいの介護日記として、母と叔母のダブル介護にてんてこまいしている日々を記録していこうと始
認知症の介護は、病状や状況が少しずつ変化するので、その都度対応が求められます。このため、早めに介護の進め方や、譲れない条件を定める事が肝要です。私は、下記3点の介護方針を、かなり早い段階で決めました。介護方針1:母が主人公介護方針2:頑張り過ぎない介護方針3:母が費用負担介護方針1:母が主人公私が最も重視したのは、介護を受ける母が「主人公」である点です。本人の意思や要望・希望等を尊重して、本人の視点や立場を中心に介護を進めました。これは、「パーソン・センタード・
夢スター春秋コンサートその3今回が最後になりますグッズ売り場の様子コンサートが終わりロビーで販売していましたパンフレット1000円夢もなか1000円CD他三善英史さんの本を買いましたお母さん、もっと生きて欲しかったお母さんの介護を書いた本直筆サイン入り三善英史さん雨三善英史さんから直接、本を買って一緒に写真いいですか?とお願いすると笑顔で前に出てくれてマス
明日が出張整体なのでカフェは営業する事にしたので、今日お休みしました。母が退院して3日。相変わらず施設でも寂しい病で、問題児のようです。今日は入院中に薬疹らしくものが出て、皮膚科の生検の結果と抜糸に市民病院に同行しました。かなり弱っていたので、どうなることかちょっと心配でした。顔に薬を塗られて、絆創膏がちょっと恥ずかい感じでしたが、思ったより元気で一安心。施設のお迎えがくるまで時間があったので、ちょっと人間界に戻してあげました。病院と施設の箱のような個室は、あまりにも冷たく孤