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2016年9月3日の夜、眠れない夜を2晩送り、若干寝不足気味で布団に入りました。ああ、また今晩も“恐怖”に取り付かれて眠れないかも・・・“死”も恐怖ですが、“眠れない”も恐怖でした。ゴソゴソと布団にもぐりこむと、また“死のジェットコースター”がやってきました。ああ、またか・・・そこでふと、気づきました。僕も心理学をかじって来た人間のはしくれです。「どうして、眠れないのか?」それは自分の中の感情を完全に表出(表に出す)していないからじゃないか・・・。
僕は2年前にがんになってから、ずっと死について考えてきました。僕の一つの結論として「死は奪われるものや無くなるものではなく与え、授けるものである」という結論になりました。僕の病や死をきっかけにして色んなところで新しい繋がりが生まれています。この繋がりは僕からのギフトやプレゼントだと思います。先日、見舞いにきた母は「死は新しい人生のスタートです」と言っていました。僕もそう思います。死に関してはそれでいいのですが、死の恐怖に関して明確に書いてある書物がほとんどなく、漠然と
僕は自分がいつか“死ぬ”ということを“知って”いました。しかし、それは“いつか”であって、差し迫ったものとしてとらえていませんでした。今までいつか来るであろう“死”について、自分なりの準備と理解をしてきたつもりでした。準備とは、「後悔しない人生を送る」理解とは、死についての書籍を片っ端から読みあさるたとえば、こんな本たち・・・。しかし、実際に自分が“死”に直面してみると、そういったことはあまり役に立ちませんでした。まあ、何もし
ふと気づくと、僕を占領している“思考”や“感情”たち。ポジティブ思考の隙間にふと入り込んでくる“ネガティブ”。⑧何かに追い立てられている感じで、落ち着けない、いつも焦っている常に後ろから何かに追い立てられている。追い立てられているのに、恐くて後ろが振り向けない。追い立ててくるのは・・・そう・・・「死」です。自分には時間がない。生きる時間がない。時間がないと感じているくせに、焦って何にも手がつけられない。ゆとりがない、余裕がない、リラック
"私に病気はふさわしくない"この言葉とても好きな言葉です病気になって私が一番心がしんどかった時は"癌を恐れてる時"でしたなんか、、私自身が癌に支配されてる感じ。例えば、私が身体がしんどすぎて自分で自分をコントロール出来なかった時この時も本当に、恐かったし辛かったなんか、これと似ていて癌を恐れて癌に支配されてしまうとちょっとした事で不安になったり恐怖で絶望してしまったりするまだ、私は生きてるのに。死んだ訳でもないのに。癌の恐ろしい所でもあり希望でもある