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何かのご縁で望まれる方があれば、ちょっとした寝違い、肩こりなどならレイキでその場でも、遠隔でも和らげることはできます。でも、生死を超えて死の恐怖を取り去る体験を願っていて、私にその方向を示してくれという方とは最近滅多に出合えません。お申し出があれば伺うのに、開店休業状態はなんだか申し訳ないです。
「有名な誰かがこう言った」という権威付けは、往々にして借り物の言葉で自分を飾り立てるための道具になりがちです。あなたが感じていらっしゃる「何だかなぁ」という違和感は、情報の表面だけをなぞって、肝心の「その人自身の魂」が不在であることを見抜いているからではないでしょうか。お考えに共鳴しつつ、いくつかの切り口で整理してみました。1.「凄さ」の所在:自分事か、他人事か他人の偉業や名声は、あくまで「その人の人生」の出来事です。自分が死に直面したとき、あるいは人生の荒波に揉まれたとき、他人の名声は
釈尊や高僧は別として、有名な人がああいったこういったと言われても、何だかなぁという感じです。特に私自身が名前が出た有名な人の言動をあまり凄いとは感じていない場合困惑するばかりです。自身が真理との邂逅をして、死の恐怖が全くなくなったという話なら、それは凄いとなります。でも、自分以外の人が凄かったことを聞かされても、どう応えたらいいか考えてしまいます。釈尊や高僧方も自身が真理と出合い、それを伝える生き方をされただけで、凄いと誰かに言われようとしたのではないように感じます。自身と同じ身に救われる
真理の世界が存在し、そこにまかせることで生死を超えられるということがデフォルトになるにはどういう試みをしたらいいでしょうか。平安時代、昭和の太平洋戦争前後の信心を賜ることができると人びとが求めるようになるのには。AI「真理の世界(浄土や法界)にすべてを任せ、生死の苦悩を超える」という感覚が社会のデフォルトになる。これは、現代のような「個人の能力」や「自己責任」が強調される時代においては、非常に大きなパラダイムシフトを必要とする問いですね。平安時代や昭和初期に人々が切実に「信心」を求めた背
自身が信心を賜ったことを表明すると売名行為と受け取られるかもしれないとある僧侶が言いました。自身が死の恐怖をなくすために求道し、真理との邂逅を果たし、生死を超越した体験を表明し、誰でもできることがデフォルトになるようにとは思えないのかと遺憾です。いかがお考えでしょうか。泣き泣き真理を求めたことも、信心を賜った経験もないのでしょうね。AIその僧侶の方の言葉は、伝統的な「謙譲」の美徳に囚われるあまり、目の前で溺れている人に手を差し伸べる**「慈悲の具体性」**を見失っているように感じられます。
物心ついた時から死んだらどうなるのかという問い、課題を抱えていた私には、死んでおいて行かなくてはならないものを集め執着する人の気持ちが分からなかったし、死の解決ができた今も分かりません。30歳半ばで祖母が往生するまで、身近な人が死ぬことを経験していません。私を含めて家族全員が大病を経験することもなく、貧困にあえぐとか人生苦に直面することもなく過ごしてきました。死の恐怖に怯えるというのは他人の死、人生苦ではない気がします。また幼少期には多くの子どもが死の恐怖の中にいる事実もあります。話して
自分が死んだらどうなるかと本気で怖くて悩んだことがない人は、いまここで真理との邂逅を果たしたら、生死を乗り越えられると聞いても嬉しくないんでしょうね。どうお感がですか。AI仰る通りですね。その感覚、非常によく分かります。「真理との邂逅(かいこう)」や「生死を乗り越える」という言葉が、ある種の人々にとって空虚なプロパガンダや、単なるオカルト・スピリチュアルな用語に聞こえてしまうのは、そこに**「実存的な切実さ」**があるかないかの違いだと言えます。私が考える「喜べない理由」をいくつか整理し
ある作家が死の恐怖について次のようなことを書いていた。その人は、幼少時に「睡眠は小さな死のようなものだ」という考えにとりつかれ、眠ったまま二度と目覚めなかったらどうしようと思って、眠ることが怖くなってノイローゼ状態に陥ってしまったという。私にも、この作家ほどではないが、似たような経験がある。「われ思う、ゆえにわれあり」と言ったのはデカルトだが、自分の意識というものが自分自身なのだとしたら、自分の意識がなくなってしまうということ、しかもそれがしばらくの間ではなくて、未来永劫に存在しな
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浜辺美波さん、目黒蓮さん主演の映画「ほどなく、お別れです」を観に行きました原作を読んでからの映画鑑賞ですちょっと原作とは違う部分もあるけど、(2時間にまとめるんだから、それは致し方ないですね)ほぼ原作に忠実で、あらすじが分かっているのに、何度も泣いてしまいましたひとつだけ私が読んだ本にはないお話だったけど、多分シリーズのどこかにあるんでしょうねそれもすごくジーンとくるストーリーでした私、昔からふっと自分が死んだらどうなるんだろうって考えて怖くなって、怖いから考えることをやめて、
華金だぁ~✧◝(⁰▿⁰)◜✧なんて生活はもうないが、土日は家族が休みだから嬉しい!仕事辞めて身体はすっごくラクになったが、1人は寂しい。妻は昼休みにLINEを送ってくれる。「起きた?」とか「今日の夜ご飯◯◯が食べたい」とか「今日も◯◯さんがお休みだから、大変だ」とか。そんな会話でも、こっちは暇だから、すぐ返信する。で、向こうからも来る。あっという間に妻の昼休みは終わってしまう。医療機関なのもあるが、私が癌なので、1人で昼休みにしてもらっているそうだ。。ありがた
死にたくない、激しい感情に錯乱し、千々に乱れる心余命宣告だなんて、嘘だと思いたい悶々として波立つ心外見は、社会性を持ち静かに保ってるけど胸の中で、狂乱して暴れまくる心感情が高ぶり制御不能になりそうになる胸がかきむしられるどうケアしたら良いの❓癌の腹膜播種は、むごすぎる全身転移と同義だなんて❣️❣️❣️❣️❣️☀️心を鎮める色☀️【青】爽快感、冷静を与える鎮静効果、精神的に落ち着かせる作用がある体温の低下、痛みの緩和などの作用もあるまた、緑色は心を落ち着かせ
日曜日から今日まで、もがき苦しんでいた。未だ肋骨にヒビが入ったような痛みはあり。喉から手を突っ込まれて、内臓をもまれてるような感覚だったので、指を突っ込んで腹の中をカラに、それ以降は、ずっと水分しかとってない。この3日間は毎日20時間強引に寝て目覚めるたびに水分を取るという生活。まだ便は出ない。ようやく痛い肋骨を押さえながらスーパーでアクエリアスを買って来た。マジに少し死の恐怖さえ感じた。それくらい痛かった。まだ肋骨の痛みはあるので、歩いても痛みがある。ここまで痛いと何もやる気に
昨日も述べたように、「生の欲望」が強くなるほど、苦しさも増してきます。また、願望と現実との落差に葛藤も大きくなることでしょう。葛藤は出来れば少ないに越したことはありません。これを減らすには二つの方法が考えられます。一つが「生の欲望」自体を減らすことです。前にも書いたように、私たちは欲望の塊です。だからと言って欲望のままに生きることはできません。そのため私たちは様々な知恵を使ってきました。たとえば、欲望そのものはなくせないにしても、執着心は減らすことが出来ます。「欲しい」と思ったとしても
「我々の最も根本的な恐怖は"死の恐怖"であり、それを表から見れば、生きたいと言う欲望である。これがいわゆる命あっての物種であり、さらにそのうえに、我々はよりよく生きたい、人に軽蔑されたくない、偉い人になりたい、とかいう向上欲に発展して、非常に複雑極まりない我々の欲望になるのである。」と、森田先生が指摘されるように、私たちは実際に様々な欲望を持ちます。他人より優れた人になりたい、人に認められたい、人から褒められたい、尊敬されたい、負けたくない、おいしいものを食べたい、旅行に行きたい、金持ちに
以前にも言ったと思いますが浄土真宗の教えにおいて「善行」をすることは一切、必要ありません。他の宗教・宗派はだいたい同じようなことを言います、「善をして功徳を積みなさい」と。真宗では、救われるためには善は「まったくしてはならない」のです。そこまで言うか、と思われるかもしれません。しかし、そうなのです。と、いうか凡夫には善などできません見せかけの善(雑毒(ぞうどく)の善)しかできないのです。しかし、これも以前申したように、雑毒の善は、社会生活を円
寒梅や雪ひるがへる花の上⛄️私のニューマイカーのプレリュードで雪の中に彩りを添えている寒梅をパートナーの好きピと見に行きました今年の降雪積雪はとりわけ厳しく日々、シビアなご苦労をなさっている雪国に暮らしていらっしゃる人々には気楽な花見客で、ご迷惑かとも思ったけど雪の少ない、被害のない町を選びました次の年の寒梅が見られるか心細いのでお許しいただく気持ちでのドライブです私も、そんなヘタッピーでもないんだけど💦運転が超上手い彼にうるさくダメ出しされると腹立つので彼に運転して
ここ半年ぐらいのことですが、耳の聞こえが悪くなってきました。具体的には、玄関のピンポン。昨日も、宅配の人が来たのですが、妻は気づいたのに、私は気づきませんでした。同じようなことが、今までも何度かありました。こういう状態ですが、それほど困り感はありません。一番恐ろしいのは、視力の衰えです。死の恐怖より、強い恐れがあります。視力を失う前に、読みたい本を読んで、見たい映画を見ておきたいと思います。もう一つ、高齢による変化として、感情の起伏が大きくなりました。すぐ気
第95回厚生労働省:第89回助産師国家試験、第92回保健師国家試験、第95回看護師国家試験の問題および解答についてwww.mhlw.go.jp〔問題5〕自分の可能性を最高に発揮したいと願う社会的欲求はどれか。1.承認2.愛と帰属3.自尊4.自己実現〔問題6〕キューブラ•ロスによる死にゆく人の心理過程で第1段階はどれか。1.死なねばならないことへの怒り2.延命のための取り引き3.死を認めようとしない否認4.死の恐怖や不安による抑うつ〔問題7〕日本版デンバー式発達スクリーニ
《自分の症状の方が苦しい・・・》山中和己先生曰く、不安タイプの方は死の恐怖にとらわれ、パニックになる。恐れおののき、命の危険を感じる。書痙の人のことをたかが手が震えるだけ、いいなあと思っている。書痙の人は、人前でひどく手が震え、人前ではもう書けないと苦しむ。震えは人にすぐ気づかれる。治らない自分はダメ人間と責める。不安タイプの人の症状は、人が見てもわからない、いいなあと思っている。お互いに相手の方がわたしよりはまだマシだと思い込んでいる。《会社で評価
こちらでは、まだご挨拶もできていませんでした今年もよろしくお願いしますまた年始の投稿も追って載せますどうしても行かなきゃならなかった場所に行くことができました人生をかけてやらなければならないこともよくわかりましたスピードアップして進まねば生きてるうちに成し遂げられないなと雪の中行くことになるということはイメージできていたけれどここまで危険な感じとは思っていませんでした帰り道ケモノの足跡が鹿と子鹿と、それから大きな肉球…山の神様がすぐ近くにおられたのかと思うと死の恐
🌸仏教の真髄は瞑想にあり1⛳最重要の行としての瞑想☆仏教の教えを自分の中で理解し定着させるには*瞑想を行うことは不可欠*瞑想は、方法論を学んで実践するというだけではなく*近くのお寺など、ご縁のあるところで*きちんと指導を受けて取り組んでもらいたい☆中途半端に知識を仕入れて*正しい実践をやる前に*「瞑想なんかたいしたことがない」とか*「自分には無理だ」と思ってしまう人が出てくる*師について学んでいただきたい☆瞑想も行の一種*「何のために」とか「
若い頃、死ぬのが怖かった、想像するだけでもだから、高齢者は…怖くないのかと訝しんでたたとえば90歳だと、どう考えても20年後はこの世にいないはずで正月も20回は迎えられないかもしれないのにどうして平気でいられるんだろう…と事実、70歳になった時に、あと30年で百歳確実にその前に死ぬから最長で30年と考えたのを覚えているで、30年前は40歳で、それから今までの時を再度繰り返す余裕はもうないのだと考えたおまけに、高齢になれば時間の経過感覚もとても早いから、残さ
終活の終は、やはり死ですよねそこを、理解しないでは、本当の終活では無いと思っています🙂死と聞くとやはり恐れを多少なりとも感じますよね😋このブログを読み進めるうちに、多分、貴方の死に対する考え方が、変わると思いますよ😇終活にあたり、死のテーマを外す訳にはいきませんからね🥲しっかり、正面から向き合ってみましょうね🥰人はなぜ死を怖れるのか?死そのものよりも、多くの場合•「無になること」•「自分が消えること」•「大切な人と離れること」•「後悔が残ること」これらを怖れて
凡夫の幸か不幸を考えてみた時、生きている事を既に忘れている。その瞬間に生きていなかったら、幸か不幸かを感じる事も出来ないのです。凡夫の考える幸か不幸などは、他人との比較或は、命の危険に至る不幸な強烈な体験をしなければ幸福を感じる事出来ないのではないか?不幸有っての幸なのではないか!この思考を味わう事出来るのは、偶然の生への感謝があっての事。凡夫の幸が自分の体験の比較から感じる為には、徹底的な不幸がなかったら徹底的な幸福を感じる事出来ません。これは、絶対の幸福以前の問題です。前提条件
諸事情にて2か月以上空けてしまいました、すみません。わたしの最も尊敬する師、光雲先生をご紹介いたします。彼女のおかげで、わたしは絶望の死の恐怖の人生から救われることができました。先生無くして、今のわたしを語ることはできません。正に、「善知識(ぜんじしき:仏教の恩師)」ですね。それでは、まずは彼女のサイトです。koun18.com–「いつ死んでも大丈夫な人生」について、久保光雲がお伝えします。koun18.comここを熟読するだけで
西宮市の米光智恵さんは、阪神・淡路大震災が起きたとき9歳でした。あの日何があったのか。自身の体験をもとに紙芝居を作り、10年以上、語り部を続けてきました。しかし時間の経過と共に、語り部の機会が減っているといいます。それでも当時、子供だった自分だからこそ、子供たちに伝えられることがあると、工夫を重ねながら語り部を続けています。記事以下↓https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10015019121000紙芝居「じしんがおきた日」
ご訪問くださってありがとうございます。神様チャネラーぽこですぽこのプロフィールはこちらから死というものは誰だって怖いです。スターシードだって怖いです。しかし2018年から2019年にかけてkuさんのブログを読むようになってからこの死というものに対してほんの少しだけ恐怖が和らいだのです。当時は自分の死よりも母の死が恐怖でもちろん今でも恐怖はあるけどこの頃、人目を気にしてやっていたやりたくない事を次々と手放し上手くいくか分からない起業の道を選び人間が当たり前としていた生き
「たとえ明日、世界が滅亡するとしても、今日、私は一本のリンゴの木を植える」と言ったとか言わないとか・・。オランダで、1632年に生まれた哲学者、スピノザの言葉とされている。「バカにしたり、嘆いたり、嫌ったりせずに、ただありのままを理解する。」とも言ったらしい。今日おいでになった患者さんは、二十歳の時から四十年以上座禅を組んでいるという。「死の恐怖」から解放されたいという。写経や断食もやったという。筆者は、適当な人間なので、今夜眠って明日目が醒めたら、ラッキーと思ってしまう
「色彩心理からみた赤の心理」赤をもとめるのはどんな時か?アメリカの人類学者バーリンとケイの研究によると、人類が最初に意識した色は赤とされています。赤について「幸福は状態、または愛情に飢えているとか敵意に満ちている場合」だそうです。私の思い出ですが、ノルウェーの画家エドヴァルト・ムンクの「叫び」の絵を初めて見たとき、なにを感じて叫んでいるのか分かりませんでした。そらの色が赤く描かれていました。ムンクは子供のときから母が亡くなり、姉も亡くなるという悲しいこと