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「東大寺正倉院」(奈良県奈良市)を訪問天正2(1574)年3月27日、織田信長は奈良に赴き、東大寺正倉院に収められている(香木)蘭奢待(らんじゃたい)(*1)を切り取り、その威光を示しました。荒木村重は、塙直政(ばんなおまさ)・菅屋長頼・佐久間信盛・柴田勝家・丹羽長秀・蜂屋頼隆・武井夕庵(たけいせきあん)・松井友閑(まついゆうかん)といった信長の側近や重臣と共に、奉行・特使を務め、東大寺へ派遣され、信長より篤い信頼を得ていました。蘭奢待を切り取ることについて、事前に朝廷からの許可を得ていた
ここは、近鉄奈良駅前。今日から始まる、ムジークフェストならに、行くところです。その前に、周辺を巡ってみましょう。駅の北側から、大学の横を歩いていきます。おや、洒落た美術館。佐保川まで、やって来ました。ここに、聖武天皇の御陵です。こころ静かに、祈りを捧げます。東の参道を歩いていきます。バンビがお食事中。はむはむ。光明皇后の御陵に、祈りを捧げます。ここから、東に歩いて、東大寺旧境内の、転害門に着きました。この時期は、若草がおいしいのよ。
径38~38.3cm2019年5月に漆絵盆を入手した(註1)。初見の時では、松樹と下部の植物の描写(註2)から、天平時代の表現様式によって制作された模倣作品だと思った。また、天平時代の文様として見慣れない小庵は、この盆の制作者個人による独創的なものと感じた。しかし時間をかけてつぶさに観察しても、なぜか本品が模倣作品であるという決定的な判断が下せる箇所が見当たらない。筆の払いを見せる多数の細やかな描線は、重なっていない。この小庵の巧みな描線の画技に
我が家の「正倉院」からはワタシの高校大学時代のテキストやノートが大量に発掘されましたが、ほぼすべて処分決定!大学に行くことイコール田舎を離れることが目的の勉強でしたから、大学入学とともに知識はアタマからこぼれ落ちています。テキストに思い入れがありません。それは大学のテキストも同様です。学問をおさめるために入学したにもかかわらずほぼ4年間、講義をサボって山登りばかり。これまたテキストに思い入れナシ!!(って、えらそーに語れることではございません)そんな中、倉庫の奥からこんなの発見。秋
おはようございます只今、連休を満喫中でございます昨日は雨でしたがこんな場所に行きました正倉院おぉーーー写真は地味ですが存在感と迫力がありましたヨ他にも東大寺内を見て回りましたが鹿のウン◯と雨が混ざり地面がカオスですっかり心が折れw帰りは鹿のいない別の道を通りサッサと観光を済ませ京都に戻ってきました5ヶ月ぶりの京都今日も楽しみたいと思いますこれは近鉄奈良駅近くで買ったよもぎ餅とっても美味しかったです
お笑い大好きなマルーです😊昨晩、YouTubeの「太田上田」に、ランジャタイが出演していたのを、楽しく観ていたのですが、そこに、びっくりなコメントが!ランジャタイの名前の由来は、天下人だけが切り取ることを許された香木の蘭奢待から付けているええ~!そうなんだ~!😲😲😲調べてみましたら、蘭奢待(らんじゃたい)とは、東大寺正倉院に収蔵されており、紅沈香と並んで、権力者にとって重宝された、天下随