ブログ記事22件
『正治初度百首』を完成した直後、内親王の病状は悪化します。『明月記』正治元年九月九日に、定家は次のように記しています。大炊殿、昨日自(よ)リ殊二重ク悩ミ御ハスト云々。去ル二日御鼻垂レ、此ノ三日温気御ハスト云々。「悩ミ」は病気、病状、「温気」は熱を意味します。おそらく百首歌を仕上げるのに、無理をして、病が嵩じたのでしょう。この後二か月あまり、定家は、大炊殿に頻繁に参り、御足が腫れたり、御熱が出たりしていると記し、御灸、火針などを施した治療が行われたとあります。そうこうした後、十二月二十六
櫟谷七野神社10月の三連休の最終日。櫟谷七野神社の神様に呼ばれました。この日は、大切で愛していた人と逢う日でした。だけど、その前々前日くらいから、未読スルーが増えてブロックされて無視されてる日が続いてます。『ランチは何にする?』『何が食べたい?』ってお店決めも話し合ってしてたのにー。あの、温かい時間に包まれて幸せの時間は、何の為にあったの?今回も裏切られて、凄く哀しかった。求められたから、出来るだけ応えたのに…何が悪かった?私、あの人が勘に障ること何かした?なんで嫌がらせを
26日から28日まで、京都と宇治に行ってきました。京都を訪れるのは本当に久しぶりで、母の介護で長年旅行に出かけられなくなり、もういつ訪れたかも定かでなくなっていました。ともかく現在の超モダンな駅ビルができる前のことで、その時はハーフマラソン大会に参加するために行ったのでした。今回の京都行の第一の目的は、式子内親王の御墓と伝えられている処に参ることでした。ネットのおかげで、お墓の位置やどのような状態であるかはわかっていました。場所は、千本今出川の近く。京都のバス路線は本当にわかりづらいので