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2017年8月8日(火)急変した日の午後〜夕方。その後も、まあまあ穏やかな時間が流れていました。16時半くらいでした。褥瘡ケアチーム?の回診があり、褥瘡らしきものが出来ていた仙骨部分を診て下さいました。結局、大事には至っておらず、すぐ剥がれてベタつかないクッションテープのようなものを貼って下さり、終了しました。その後、疲れてしまったようでお昼寝しました。1時間くらい経った頃、こうがは目覚めました。目をしっかり開いていて、「あれ?もう起きたん?眠くない?」と声をかけたのですが、
大学病院で一通りの検査が終わった。胃カメラの生検は早くても10日くらいはかかるとのこと。ここに紹介状を書いてくれた病院でも生検はしたが、その結果はきていないそうだ。大学病院の先生が問い合わせをしない限り、先生同士で基本的にやり取りはしないようで、イラッとしてしまった。私は早く結果が知りたいのに。CTとPETでは、喉に6cmくらいの腫瘍があるが、他への転移はなかった。先生に、下の子がまだ小3であること、子供を残して私は簡単に死ぬわけにはいかないことを涙しながら伝えた。先生もお子さ
●4クール目VAC療法後、4、5日目はフラつきはあったが、次男の学校の合唱祭にも行け通常生活が送れていたが、6日目辺りから急に悪化してきた。・体に力入らず歩くのも大変。・上半身が筋肉痛の様な症状で痛い。・両手指先の痺れが強くなってきた。・お箸を持つことすら重い日がある。・少し動くと息切れ動悸あり、とにかく疲れる。・1日中寝たきりの日もある。・服着るのも大変で椅子に座りながらがやっと。・動機が激しく横になると心臓の音がバクバク聞こえる。11月8日はこんなフラフラ状態の中での外
6月12日夜未明に妻が救急搬送された突然の出来事でしたなんとか今現在のところ落ち着いている今現在原発が再発して身体中に転移しましたもちろん治療法という治療法はやりました。自費治療と言われる免疫治療などしかしながら現在右上半身に腫瘍が大きく突起物のように額眼球右耳下など右の輪郭が変わってきています喉からは腫瘍が飛び出してしまうかなって思うほど右肩も大きくなってしまってます今は痛みをとる治療をしてますあらためてこの横紋筋肉腫の恐ろしさを実感しました。1年の間にここまでな
結果一年後に来る楽しみな事。急遽、入院の為に息子と嫁を車で送った。病院の駐車場に車を停めて三人で入院棟に入った。まさか、息子はこれから長い期間、この病院から出れないとは思ってもみないだろう。ワシも嫁も長い入院生活になるのは分かっていたがいったいどのぐらいの期間か想像もしていなかった。ただ、きっと、次に息子と共に帰る時は、これから始まるいろいろ超えなければ行けない大変な事が全て終わった後だと思う。絶対、元気になって家族全員で病院を出るその時は、きっと、絶対、いままでで一番嬉しいんだろうな。
生検の結果がついに出た。型が分かった。先生が今後の治療も含め、詳しく説明したいとの事なので、旦那と妹に同席してもらった。久しぶりに2人の顔を見ると、これからの説明の不安と安心とで大泣きしてしまった。やはりコロナでカーテンを締め切り、看護師さんと先生だけしか話せない毎日はメンタル的に相当やられる。私以外の人はどうなんだろう?ここまで結果が全部悪かったから、最悪なケースしか考えられなくなってる。癌になった、普通の癌じゃなかった、手術できると思って望みかけて大学病院行ったら転移してて手
暇さえあれば、携帯で良からぬ事を検索したり、末期癌の症状を検索したり、1月に入って気持ちを新たにしたつもりが、自分で鬱へ鬱へと気持ちを持っていってしまっていた。抗がん剤が効かなくなったら?転移・再発すぐしたら?治療法が全部無くなって病院から通院終了を言われたら?と最悪なパターンを想定しては、泣いて妹や母に電話をかける毎日が続いていた。妹に「お姉ちゃんが毎日そんなで子供達がどう思うか本当にいい加減にしなよ!私がお姉ちゃんの立場だったら、自分が生きたいと思うより、子供の幸せしか考えないよ!自分
●入院4日目(抗がん剤13日目)本来なら昨日が1クール目の2回目の投与日だったが、当然できるハズもなく…でも下がってた血球は上がってきたと先生からの嬉しい報告。肝臓の数値が高値となっており、高いままだと抗がん剤の量を検討する可能性もあると言われたが「それだけは嫌です!」と伝えてみた。どうか肝機能、改善してくれ!シャワーしたら髪の毛が絡んで団子状態になり、自分で解けずどうにもならない!院内の床屋さんに連絡してもらい、もう面倒くさいからマルコメにしてもらった。落ち武者状態からスッキリ!
抗がん剤5クール目(11月23日)と次回の6クール目は3週間間隔なので、血球あげる注射がいつもの毎日注射のフィルグラスチムではなく、ジーラスタ1回だけで済み、毎日病院行かなくてよいからとても快適だった。母が手伝いに来てくれ、毎日散歩した。1時間散歩できる日もあった。癌にならなければ、母とこんな時間を過すこともなかったんだろうなーと思いながら散歩したり、診察の度に妹が病院に来てくれ一緒にランチしてから別れるが、こんな風に母や妹と頻繁に会える事を嬉しく思う反面、そりゃ癌にならずに、これから先時
こうが、今朝8月10日午前5時37分。旅立ちました。最期まで『こうがらしく』あれたと思います。やっと大好きなお家に『退院』して帰ってくる事ができました。今は、まだ信じられません。しばらく一緒にゆっくりしようと思います。お一人ずつにコメントのお返事ができていなくてごめんなさい。こうがを応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。こうが母
去年7月に横紋筋肉腫と診断されました。ほとんど自覚症状もなく、ただ痰に少量の血があった為個人医院を受診したところ、その医師からすぐ大きな病院に行ってくれって事でした。市内の病院で検査した結果あまり良くわからないって事で医師から篩骨洞原発NUT癌もしくは未分化癌のどちらかとの診断されました。地方の大学病院では治療できないと言うことなので私はその場で大阪の大学病院に紹介してくれるようおねがいしました。数日後大阪の大学病院から連絡があり、夫婦で大阪の大学病院に行きました。そこで地方の病院からの紹
腫瘍の記録2018年9月13日(木)娘ちゃんが「腕がもっこりしてるよー」って言った日の写真。外から見たらまだあまりわからない。ちょっと腫れてるのかな?くらい。だけど、9月14日(金)近くの総合病院でのMRI画像。腕の筋肉の中に出来た大きな肉腫。不気味なほど大きい生検前日の2018年9月17日(水)生検する場所に印をつけた。2018年9月20日生検後縫っている。生検から治療が始まるまでの間、家での時間。腕の腫
・2月9日(木曜)(VAC3日目)9年近く連絡をとっていなかった友人と会った。会った瞬間からそんな長い期間会わなかった空気感なく、癌の話をしても泣くより笑ってる時間の方が多かった気がする。ホントに色んな話しをした。友人とのこの感覚が懐かしいと感じながら、連絡をしたきっかけが今誰に会っておきたいか…だったが、音信不通となっていた事がずっと気になっていたんだから、こんな病気になる前にもっと早くに連絡すれば良かったと後悔した。次回も会う約束をした。またこうやって昔みたいに戻れた事が本当に嬉
手術に向けての3日間連日の詰め込み検査が始まった。両親が病院に付き添ってくれた。検査を待っている間、傷病手当の事を調べたり、もし私が働けなくなった場合のお金のやり繰りなど、まだそんな事で頭がいっぱいだった。「そんな事心配しなくても、今までの貯蓄もあるし、パパはしっかり働いているんだし、お金なんてどーにでもなるから!そんな心配しなくて大丈夫だから!」と両親に言われたが、全くそんな言葉は私の心に響かず、子供に不自由させたくない、やりたい事は全部やらせてあげたい、塾だって今まで通り通わせた
2022年8月17日病院に入院した。4人部屋だっだ。コロナのため、カーテンでそれぞれ閉めきられており、どんな方が入院してるのかさえ分からない。トイレに行く時に運良くすれ違えれば軽く会釈する程度だった。入院したての私は不安と絶望しかなく、カーテンで仕切られたベッドにこもっていると、気が変になりそうで、このまま鬱になるんじゃないかと思った。看護師さんが話しかけたり、色々聞いてきたりしてくれたが、「うるさい!あなたは健康でいいじゃない!私の気持ちなんて誰にも分からない!」と心の中で思って
・2月16日(木曜)(VAC10日目)鬱状態が改善されてないんだろう。頭の中が不安と恐怖で締め付けられていて、寝ていても1時間置きに目が覚める。隣でグーグー寝ている旦那を見て、疲れているのだろうが、羨ましくも思い、熟睡出来る様子に腹が立つ。でも旦那には子供達が安心出来るようになるまで、成人するまでは元気でいてもらわないと困る。朝早い出勤だし、睡眠はなるべく多くとってもらわなきゃだ。旦那には私が元気はうちは、負担かけないようにしなくちゃだよな。でも鬱の気持ちが邪魔して上手く出来ない
2月6日(月曜)今朝の便も普通の色😅イカスミが原因かと思われるが、予定通り胃カメラ検査。頸部食道の癌の箇所もどうなっているか見てもらうため、鎮静剤を使用しての胃カメラだった。もうイカスミが原因と思っていたので、癌の箇所がどうなっているのかが私は1番気になっていた。ウェ〜ッとならないから、胃カメラは鎮静剤使っての方が断然良いと思う。私は麻酔が効きやすいタイプなんだろう。まだ始まらないのかな?なんて思っていたら、終わって10分位経っていた。CTも撮り今日の検査は全て終了。主治医が
在宅医療になって私自身会えるとこには会える病院では会える時間が決まってます私自身は安心でも妻はどうなんでしょう?不安なんでしょうか?
11月22日明日VAC療法5クール目突入のため前日入院。メンタル不安定。夕方主治医に聞いてみた。「今抗がん剤してる意味が分からなくなってきた。お盆の頃ここに来た時は治療方法あって嬉しい、頑張ろう!と思えたが、今はいつ抗がん剤が効かなくなるのか、不安で毎日仕方ない、寿命はどれくらいなのか?」横紋筋肉腫の寿命はやはり2年程度が一般的とのこと…やはりその程度なのかとショックを受けた。「凄く小さくなったら放射線はしないのか?」→粘膜や皮膚がただれたり副作用も大きく、1回しかできない(やれて
高校生の次女は実は、小児がんサバイバーです。治療が終わって5年が経ちますしかも『横紋筋肉腫』という筋肉に出来る希少がんです。また横紋筋肉腫についてはブログに書いていこうと思います。
ポート手術の翌日に抗がん剤治療の開始となりました。今回は6年前のAI療法とは違いドキソルビシンの単剤になります。6年前は副作用が酷く、何も食べれず横に寝て耐えるだけでした。今回は単剤なんで副作用も、だいぶマシやと思いますと言われていますが不安でたまりません。2度とやりたくないと思っていたからです。投与前に吐き気止めの内服薬及び点滴をし、いざドキソルビシンを点滴します。さて、副作用はどうなるやら。不安しかない(^_^;)
今日の体調体調良し😁吐き気なし😁食欲あり😁前に更新してから、日にちが過ぎてしまいました。結局は8月30日に急激に体調悪化になり、8月31日に緊急入院となりました。頭痛と吐き気がとまらなくなり、自立するのも大変になりました。原因は脳浮腫による脳ヘルニアになる一步手前までいきました。2日間意識不明になりましたが、3日目にようやく目が覚めました。脳圧下げる薬とステロイド薬を大量に使って、ようやく効いてきたみたいでした。その意識不明の間には意識が戻らない可能性がある事や、
2月3日(金曜)抗がん剤予定がなくなり、今日から3日間暇を持て余していた。こうゆう暇は私のメンタル良くない。妹に電話をかけた。マイナスなことばかり言ってたらマジで怒られた。「自分で悲劇のヒロインを作りあげている」と。母にも「脳は自分の思うように変化する。ダメだダメだと思ってれば脳はそう思い込む。良くなると思ってれば脳はそう思い込む。」と言われた。夕方、長男から熱っぽいと電話あり。37.3〜37.4℃とのこと。塾を休ませるか悩んだが、自転車で厚着して行けそうだから大丈夫との返事で良かっ
前回、今回と3週間間隔なので、体調良い日が多いと思いきや、指先の痺れがひどくなってきて字が書きにくい、包丁が上手くもてない、口内炎がひどくしみて食べられない…と副作用に悩まされる日々も多かった。だが、そんな中でも子供の塾の送迎や簡単なメニューになってしまうが食事の用意をしたりして、母親業が少しでも出来ることが嬉しかった。CTを撮ったが、転移無く、腫瘍も画像上では無くなっていて経過は順調✌️先生に数日前から咳が少し出て、昨夜38℃出たけど、いつもの血球下がる熱かと思いました‥と伝えたところ、
2022年8月10日旦那と子供達は朝イチでPCR検査に行き、検査3日目のため私は父と病院へ向かった。病院の診察が始まる前に、先生から私の携帯に電話がかかってきた。「今日は誰と病院に来られますか?」「もう着いてます。父と一緒です。」「ちょっと込み入った話しになるのですが‥」絶対転移の話しに違いない!「主人を呼びます。1時間くらいかかるので診察時間過ぎてしまうのですが、大丈夫ですか?」「時間は大丈夫です。ゆっくり来て下さい。着いたら受付に声かけて下さい。」私はまたもやパニクり旦那
妻美智子7月17日朝7時永眠
年末年始は実家に帰省し、弟・妹家族とみんなで一緒に過すのが毎年恒例だったが、今年は帰省せずに家族4人でゆっくり過ごした。旦那は物置きに溜め込んで見ぬ振りしていた私物を私に急かされ年末に処分し、私は窓拭きやサッシの溝をせっせと掃除し、抗がん剤が多少抜けてきているせいか、体が軽く調子良く過ごせた。調子良く過ごしている私を見て旦那は喜んでくれた。子供達は従兄弟と過ごせずブーイング気味だったが、そこは旦那が上手くなだめてくれた。大人数で毎年過ごしてたお正月も楽しかったが、家族4人でグータラ過すお
とりあえずは過去の振り返りから2017年8月下旬、仕事中に階段を上り降りすると右足の太腿の裏とお尻の間にピリッとする感覚がする。あまり気にもせずに仕事をするも痛みは治まりませんでした。自宅に帰ると椅子に座ってもピリッとします。お尻をつけるとピリッとする。歩く分には痛みはありません。軽い筋肉痛やろうな。湿布を貼って寝れば痛みはなくなるよ。なんと、これが軟部腫瘍の始まりやとはこの時は夢にも思いませんでした……。過去の振り返り②に続きます
しばらく時間が空きましたが今日から抗がん剤治療の3回目の為に入院します。2回目の抗がん剤の後の肺のCTとセカンドオピニオン先でPETCTの結果は肺の腫瘍は縮小傾向にあるものもありますが、新しく1つ腫瘍が出来ているものもありました。抗がん剤を継続してどうなるかはわかりませんが、全て縮小及び消失すると信じて頑張るしかありません。産まれて1ヶ月経った娘の為、迷惑かけっぱなしの妻の為、復活を待ってる友人達の為、励ましてくれる親父、兄妹の為にも必ず治してみせます。行ってきます。
しばらくバタバタしていて更新するのが遅くなりました。4回目の抗がん剤が終わり体調も回復しましたので7月6日に退院しておりました。それからは肺のCTの検査などがありました。結果は2回目が終わった時よりも効果がさらにあり癌は消失部分が増えてはいました⤴️⤴️結果は嬉しいんですが、まだ癌は残っているし、その部分は抗がん剤が効いてない可能性が高いとの事です。その結果を聞いてからは癌が大きくなってからの切除か(現状は小さ過ぎて切れない)放射線治療するか悩んでいましたが、切除するなら時間がかかるので放射線