ブログ記事2,241件
S型標語印「未納不足は先の迷惑」は戦前の昭和11年10月末から戦後の昭和27年まで、戦前が40局、戦後が12局で使用されております。北海道では使用局が多く14局を数えますが、その半数しか集まっておりません。2回に分けてご紹介します。2回目は釧路の戦後と帯広の戦前と戦後です。釧路局24.11.2標語印が左下に押印されております(拡大図)帯広13.2.10帯広21.9.29(拡大図)日付印が逆さになっております愛猫オッチャン2世
昨年のJAPEXは11月3日から5日まで東京都産業貿易センター台東館で開かれました。私は今年も4年連続で「朝鮮の標語印」を競争出品いたしました。その結果は大銀賞で過去3回の大金銀賞には及びませんでしたが、このブログでも順次ご紹介していきます。第22リーフ「朝鮮博覧会自九月十二日至十月三十一日」は日文と韓文共通で実逓便は初めて報告です。朝鮮の手押標語印は実逓便が非常に少ない希少品で、入手に苦労しております。愛猫オッチャン2世今朝の散歩道旧江戸川沿い、もうすぐ日の出
長く使われた標語印の第5弾です。M型標語印「包装しっかり宛所はっきり」は昭和8年12月から戦争を挟み昭和27年末まで使用されております。この標語印も簡単に入手できますので収集家の間では駄物扱いされておりますが、その変遷を追ってみました。約20年の間に、葉書は1銭5厘から5円と実に300倍以上も値上がりしました。この標語印のたどった20年を葉書や封書で集めております。最終回は昭和26年11月の郵便料金値上げで封書は10円、葉書は5円時代です。鶴岡27.8.13愛猫オ
千葉県川柳作家連盟「犬吠誌」の3月号をご紹介いたします。私は数年前から維持会員の黒潮会員を務めております。犬吠誌の会員は最盛期は500名以上いたそうですが、年々減って300名を切り第3種郵便物の指定も受けられなくなったそうです。従って経費もかかり、会員誌代も値上げになります。どこの吟社も高齢化に苦労しております。黒潮集黒潮会員自選・独り居の膳は珍品も砂を噛む・早朝の散歩を照らす寒の月・ドラッグがZ世代に滲みて行く・四コーナー回って先を思案する課題吟「通る」川
昨日は川柳文芸が今日在ることの礎を築いた『誹風柳多留』の編者呉陵軒可有を偲ぶ「可有忌」が川柳所縁の龍宝寺で開催されました。句会の前には法要もあり、出席者は44名、投句は94名でした。午前中には川柳人協会の理事会と総会があり、私は理事に就任いたしました。「可有忌」のお知らせ川柳横丁(東京都台東区蔵前4丁目)龍寶寺の前の通り龍寶寺本堂が句会会場です愛猫オッチャン2世今朝の散歩道市川広尾防災公園のバラは満開でいい香りが満ちておりまし
川柳新潮社は川柳新興の祖・阪井久良伎が市川市に居を構えてから彼の主治医・吉田機司を経て、松沢敏行が昭和38年に創設した吟社です。千葉県ではもっとも伝統があります。今年になって前任の川口雅生氏から、私が主幹を引き継いでおります。通巻300号には2月句会の結果が載せられております。参加者は出席43名、投句23名の66名でした。宿題「背景」川崎信彰選(人)両親のハートが見える子の素直春菜(地)プーチンのミサイルにあるハングル語青樹(天)届かない学費へ父の病知るむつみ宿
戦前の陸軍省は戦争のたび省内に臨時特設のじゅっ兵部を設けて国民からの寄付で「じゅっ兵はがき」を印刷し兵たちに配りました。兵隊は軍事郵便として切手なしで留守宅などへ葉書を書くことが出来るようになりました。これは日露戦争から始まり、満州事変からは毎月印刷されたそうですが、戦況の悪化などで消滅したようです。この葉書がどれだけ作られたかはわかっておりませんが、手持ち分をご紹介します。昭和12,3年あたりからは中国の風景などを描いた絵葉書が目につきます。また大陸に進出した兵士の様子なども描か
既にご紹介しておりますように、今年のJAPEX第57回全国切手展では3年連続の大金銀賞とJAPEX実行委員会賞を受けました。今回の作品名は「関東庁と満州国の標語印」で、6フレーム96リーフからなります。日露戦争後、中国の遼東半島と南満州鉄道付属地の権益を守るための組織として関東庁(当初は関東都督府)が設けられました。関東庁は昭和4年頃から標語印を使用しており、目的別に順次ご紹介します。貯金、保険、年金、国防、国債、人生訓関連の標語印に引き続き、郵便関連に移り第12回目は「転居の知らせは先づ
すでにご紹介しておりますように、昨年のJAPEX2022第57回全国切手展では3年連続の大金銀賞とJAPEX実行委員会賞を受けました。作品名は「関東庁と満州国の標語印」で、6フレーム96リーフからなります。日露戦争後、中国の遼東半島と南満州鉄道付属地の権益を守るための組織として関東庁(当初は関東都督府)が設けられました。関東庁は昭和4年頃から標語印を開始し、最後期は昭和18年中ごろまで使用されました。満州国では康徳4年(昭和12年)3月にひな型が示されましたが、6年(昭和14年)12
私は昨年来、市川市広報のいちかわ文芸で川柳を担当しております。4月6日発行分をご紹介いたします。なお応募数は約30句でした。愛猫オッチャン2世今朝もいつものように旧江戸川沿いを約30分歩いて来ました。午後からは上野精養軒で開かれる、全日本川柳協会の東日本の常任幹事会に参加します。午前中は期日の迫ってきている、投句や句会の準備をして過ごします。
松戸川柳会は米島暁子氏が主宰する吟社で、毎月第4日曜日に松戸市で句会が行われます。川柳まつど462号は今年1月の句会結果が載せられております。出席者は23名、投句は11名でした。同人句ねぎぼうず題「ロマンス」・ときめきがジャンプをさせる歳の壁・独り居がヘルパーの日は髭を剃る・ヤモメ同士スープ冷めない仲となる句会宿題「発見」・読むたびに新たにさせる愛読書(天)闇バイト同じ匂いを嗅ぎつける宿題「つくづく」・モンゴルの相撲に満ちるハングリー(人)パワフルな指導
長く使われた標語印の第5弾です。M型標語印「包装しっかり宛所はっきり」は昭和8年12月から戦争を挟み昭和27年末まで使用されております。この標語印も簡単に入手できますので収集家の間では駄物扱いされておりますが、その変遷を追ってみました。約20年の間に、葉書は1銭5厘から5円と実に300倍以上も値上がりしました。この標語印のたどった20年を葉書や封書で集めております。先ず1回目は葉書が1銭5厘、封書が3銭の時代です。なおこの標語には変種として宛ての字にーが入って「死」になったものが存在
千葉市民短詩型文芸作品集は千葉市民以外にも千葉県内の俳句、川柳、短歌作家にも幅広く解放されております。今年は第16集になりますが、私も数年来参加しております。今年は川柳は55名が応募いたしました。愛猫オッチャン2世今朝の散歩道旧江戸川沿いの船宿近く屋形船や釣り船などが係留されております。また小さな貨物船が丁度川を下っています。今朝は晴天ですが、風が非常に強く吹いておりました。約6,000歩を歩いて帰宅いたしました。明日は午後から足立川柳会がありますが、私は課題
市川郵趣会の3月例会は市川郵便局が使えず、市川駅近くの神社で行われました。この日は私は所用のため欠席しております。市川郵趣第266号は12ページからなりますが、抜粋してご紹介いたします。今年は市川市内の郵便局をご紹介しております私は千葉の広告印の紹介を続けており第15回目です左の黒印は薄くて申し訳ございません新たに市川郵趣会長になった中村さんのページです第4回いずみ切手展で冨樫会長の最後の出品でした愛猫オッチャン2世今朝はちょっと寝坊して、5時
Lo型(大箱型、日付部上部)の標語印「ぜひ国産!」は昭和5年10月から6年末まで、全国17の郵便局で使用されました。なお東京中央局は昭和5年だけの使用ですので、たった3か月だったようです。昭和5年11月14日愛猫オッチャン2世早朝散歩の前にいつも雨雲情報を確認しております。雨雲が近づいているとのことでしたので、傘を持って散歩に出かけました。大した雨ではありませんでしたが、予報通り降ってきました。今日は昼は知人と食事を予定しており、午後はパソコン教室です。
関東局と言ってもほとんどの方は馴染みが無いと思います。関東局は昭和7年の満州国成立に伴い、満州における日本の出先機関を統合して満洲国の日本大使館に設けられた機関です。新京に置かれて関東州(日露戦争後日本に割譲された遼東半島先端部)と満鉄付属地域を管理しました。昭和11年9月、その前々身である関東都督府発足30年を記念して5枚組の絵葉書がタトウ、説明書付きで発行されております。今日は2回の後半です。奉天駅前大連大広場旅順日本橋(石井柏亭画)金州付
スキーで有名な小樽の天狗山にライブカメラが設置されており、ユーチューブで小樽市内がいつも一望できることを「とらこのブログ」で知りました。これから毎日覗いてみます。「こなゆき」の記念すべき900号ですが、2月句会の結果などが掲載されております。同人吟粉雪集・ふる里の珍味に妻の酌がつき・再会が胸のマグマを目覚めさせ・たまに会う人に仮面がはずせない・黙々とおのれ耕すいぶし銀・気まぐれに始めた趣味が生きる糧あおばと互選句・落ち込んだ妻によく効くバイキング(6票)
長く使われた標語印の第5弾です。M型標語印「包装しっかり宛所はっきり」は昭和8年12月から戦争を挟み昭和27年末まで使用されております。この標語印も簡単に入手できますので収集家の間では駄物扱いされておりますが、その変遷を追ってみました。約20年の間に、葉書は1銭5厘から5円と実に300倍以上も値上がりしました。この標語印のたどった20年を葉書や封書で集めております。6回目は昭和20年4月の郵便料金値上げで封書は10銭、葉書は5銭時代です。津20.5.27大垣20.4
昨年のJAPEXは11月3日から5日まで東京都産業貿易センター台東館で開かれました。私は今年も4年連続で「朝鮮の標語印」を競争出品いたしました。その結果は大銀賞で過去3回の大金銀賞には及びませんでしたが、このブログでも順次ご紹介していきます。第17リーフ「理解は融和の母なり」の日文で花図型は既に実逓便が報告されておりますが、てがみ型は官白ですが初めてです。朝鮮の手押標語印は実逓便が非常に少ない希少品で、入手に苦労しております。第17リーフ「理解は融和の母なり」愛猫オッ
江戸川区川柳作家連盟の「川柳江戸川」の令和5年度版が出来上がりました。1年間分の句会と大会の結果が載せられております。私は江戸川の句会の日が松戸川柳会と重なり、なかなか出席できません。昨年は投句を含めて4回と大会に参加致しました。第71回川柳大会私はも13位でした(7位と同点ですが着到順です)課題「ホット」米島暁子選・地球儀のホットニュースは血の匂い課題「深い」大野征子選・プラごみに腹ふくれてる深海魚・罪深さ意識してないフードロス課題いしがみ鉄選(天)
長く使われた標語印の第5弾です。M型標語印「包装しっかり宛所はっきり」は昭和8年12月から戦争を挟み昭和27年末まで使用されております。この標語印も簡単に入手できますので収集家の間では駄物扱いされておりますが、その変遷を追ってみました。約20年の間に、葉書は1銭5厘から5円と実に300倍以上も値上がりしました。この標語印のたどった20年を葉書や封書で集めております。5回目は昭和19年4月の郵便料金値上げで封書は7銭、葉書は3銭になりました。津19.8.16大垣20.2.
長く使われた標語印の第5弾です。M型標語印「包装しっかり宛所はっきり」は昭和8年12月から戦争を挟み昭和27年末まで使用されております。この標語印も簡単に入手できますので収集家の間では駄物扱いされておりますが、その変遷を追ってみました。約20年の間に、葉書は1銭5厘から5円と実に300倍以上も値上がりしました。この標語印のたどった20年を葉書や封書で集めております。3回目は昭和12年4月1日から葉書が2銭、封書が4銭になった時代です。八王子12.7.25(料額が1銭5厘から2
樺太では樺太庁鉄道以外に、富士製紙、王子製紙が出資した南樺太最大の私設鉄道である「樺太鉄道」が存在しました。この私鉄は樺太東海岸の落合~敷香間の路線を経営し主にパルプ・製紙の輸送等に使われ、また独自に絵葉書を数回発行しております。2020年11月27~28日に一度ご紹介しておりますが、最近違う絵葉書を入手いたしました。これらの絵葉書には昭和10年7月24日の樺太・豊原駅の記念印が押されております。2回に分けて、今日は後半の部分です。三ッ富士の遠望とその代表的植物オロッコ族
長く使われた標語印の第5弾です。M型標語印「包装しっかり宛所はっきり」は昭和8年12月から戦争を挟み昭和27年末まで使用されております。この標語印も簡単に入手できますので収集家の間では駄物扱いされておりますが、その変遷を追ってみました。約20年の間に、葉書は1銭5厘から5円と実に300倍以上も値上がりしました。この標語印のたどった20年を葉書や封書で集めております。8回目は昭和23年7月の郵便料金値上げで封書は5円、葉書は2円時代です。この標語印の葉書が15銭と50銭はどういうわけかまだ入
印象吟句会「銀河」は島田駱舟氏が主宰のちょっと変わった川柳吟社です。第279号は1月句会の結果が掲載されていますが、出席者は35名、投句は100名で選は別々に行われます。1月句会の課題課題④席題1音楽鑑賞課題⑤席題2課題⑥席題3課題①東洋テックロゴマーク没天銃口のようなレンズが見張る都市ささきのりこ課題②池袋西口・恋一途障害物を蹴散らかす天:新年の寿義を裂く神の技門脇千代子課題③
樺太では樺太庁鉄道以外に、富士製紙、王子製紙が出資した南樺太最大の私設鉄道である「樺太鉄道」が存在しました。この私鉄は樺太東海岸の落合~敷香間の路線を経営し主にパルプ・製紙の輸送等に使われ、また独自に絵葉書を数回発行しております。2020年11月27~28日に一度ご紹介しておりますが、最近違う絵葉書を入手いたしました。これらの絵葉書には昭和10年7月24日の樺太・豊原駅の記念印が押されております。2回に分けてご紹介します。タトウ鉄道路線図敷香ー落合間が営業路線車窓
昨年11月のJAPEX2021第56回切手展で私の競争出品作品「日本の標語印」は、金賞にあと1点が足りず一昨年に引き続き大金銀賞でした。「日本の標語印」は全部で6フレーム96リーフからなり、順次ご紹介しております。この作品は手押標語印2フレームと機械標語印4フレームに大きく分けられます。第22回より機械標語印が始まっております。第27回は第42、43リーフで簡易保険の奨励標語印をご紹介いたします。なお簡易保険は大正5年10月1日から開始されております。第41リーフ「共存共
和欧文機械日付印は自動選別・取り揃え押印機などの普及に伴い、外国郵便の押印にも対応できるように和文と欧文両方を表示する型式で、昭和43(1968)年12月1日より使用が開始され、元号が併記されるまでの期間を第1期としました。第2期は昭和54年の元号法成立をうけて、和欧文機械日付印には元号が併記され、昭和54(1979)年9月1日より使用が開始され、平成2(1990)年9月31日まで押印されました。最近「和欧文機械印の研究第2期」が発刊されました著者はこの分野の第一人者「水谷行秀」