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2月16日(金)、新橋演舞場で、『ヤマトタケル』を、見ました。2月4日(日)初日、3月20日(水)千穐楽。すでに、終演しています。梅原猛作。石川耕司監修。二世市川猿翁脚本・演出。『三代猿之助四十八撰の内』となっています。『スーパー歌舞伎』として、3代目猿之助の存在を、世に知らしめた作品。初演は、1986(昭和61)年の2月4日、新橋演舞場で。その後も、再演を繰り返しています。チラシを確認すると、「昭和61年(1968)2月4日に新橋演舞場で初演され大きな反響を呼び、“
高校の日本史の授業で、江上波夫氏の実弟の教師から「騎馬民族渡来説」を教わって大変興味を持ちました。何しろ、大和王権(天皇の系譜)自体が半島経由で渡来した人々で成り立ったということですから「じゃあ、天皇家の始祖は渡来人?」となるワケです。幼い頃によく読んでいた子供向けの日本神話や「倶利伽羅峠」のお話しやその他のお話しなんかで子供ながらに「何だか卑怯なことなのに自慢している・・」「なんかおかしいんじゃないか?」と違和感がありました。親が転勤族だったので、
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************帰神術の古典に見える実証として、佐藤翁は顕神本田霊学法典において古事記2例(上巻・天岩戸の段、中巻・仲哀天皇の条)、日本書紀4例(巻一神代上・天石窟の段、巻五・崇神天皇の御紀、巻八・仲哀天皇の御紀、巻九・神功皇后の御紀)を挙げている。幽斎には、公式、正式、普通の三種類がある。佐藤翁によれば、『公式幽斎とは神界から直接の
インターネットで梅原猛氏が亡くなったことを知りました。TVのニュースでは市原悦子さんの死去はたくさんやっているのに全く触れられないことが不思議です。わたしの世代では有名人であった。梅原猛。哲学者である。しかしどちらかというと、本業の哲学よりも独自の推論で新しい解釈を古代の日本文化に与えた『梅原日本学』の方が有名だ。従来の常識や通説、それを支える権威を疑う。彼の出世作『隠された十字架法隆寺論』(新潮文庫)によると「法隆寺はなぞの多い寺」である。普通の人はそうは思わな