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京都花月昭和53年6月中席のポスター。京都では珍しく看板がWヤング、露乃五郎、月亭八方、阪伸・巨人と四組出ており、うめだのような番組です。トップにはこれが初舞台の横山ノック門下のアラン・ドロン。5年間活動しコンビ解散後にショーパブを経営して、そこからテンダラーや水玉れっぷう隊が芸人になったのは有名ですね。ポケット・ミュージカルスは橋本収構成「花しぐれ」で、小づえ・みどりが出演。なぜかこのコンビはポケット出番も多くありましたが、さほどコントも上手くはなかったんですがねぇ・・・
昭和62年7月下席のうめだ花月のポスター。この下席から、なんば・うめだの両花月のポスターデザインが一新され、今までの演芸場らしさがなくなってしまい、なんだか寂しい気がしました。ただ単に出演者の名前の羅列で、ポスターデザインもなんのこっちゃようわからんような事態。吉本新喜劇は一番上に載せているものの、花紀京と桑原和男の名前しかなく、他に誰が出ているか全く分かりませんし、タイトルや作・演出も分かりません。この年になってマンスリーよしもとのプログラムでも新喜劇の欄が縮小され、主な4
京都花月昭和53年2月上席のポスター。演芸は桂三枝が9・10日だけ出て、あとはチャンバラトリオが看板ぐらいで、三枝が出てないといつもの京都よりもかなり貧相なメンバー。三枝も含めて落語が笑福亭松之助、露の新五、明石家小禄、桂文福と5人も噺家が出てます。ポケット・ミュージカルスは谷しげるショウで、松本俊介構成の「もう!いいかい」。吉本新喜劇は演芸とは打って変わっての豪華メンバーで、谷しげる・伴大吾を座長に専科から原哲男、桑原和男、船場太郎で「UFOの男ども」(作・演出中村進)。
京都花月昭和53年正月興行のポスター。カウス・ボタン、桂小文枝、桂きん枝、チャンバラトリオといつもの京都の番組に比べると、若干いい番組ですが、やはりなんばやうめだとは少し格落ち感がありますね。しかし当時の京都なら正月は満員だったでしょう。トップにはコンビを組んで3年目の、のりお・よしお。林正之助会長お気に入りで、正月やお盆お馴染みの天津竜子舞踊劇団。ポケット・ミュージカルスは伴大吾主演で、松本俊介構成の「伴大吾ショウ年のはじめに」。他に丘光二、津島ひろ子が出演。吉本
1990(平成2)年11月のなんばグランド花月のチラシ。この月は夜に別の公演があったため、時間短縮で昼公演の出演者がちょっと少な目になっています。●11月5日~11日笑福亭仁鶴、大助・花子、Wコミック、ハイヒールが看板。吉本新喜劇は「太地・浜のマドンナは誰のもの!?」で檀上茂の脚本。桑原和男、東野幸治、130R、チャーリー浜が出演。漁師たちの恋騒動のお話し。●11月12日~18日桂文珍、小づえ・みどり、カウス・ボタン、チャンバラトリオとうめだ花月のような編成。吉本新
梅雨時の「うめだ花月」。全席バランスの取れた番組となっていますが、漫才の比重が高くなってきて、諸芸が少なくなってきています。●上席いくよ・くるよの宣材写真は漫才ブームの頃ですね。「4時ですよーだ」が始まったダウンタウンは人気絶頂。今月はこのうめだ出番のみ。新コンビ竜介・モンタ。人気者だった人が相方を変えると看板がグーンと下がるのはなんだか哀れに感じます。ポケットは栗田国人構成「スタンバイばばあ」で和田しげる、浦野和恵ほか。吉本新喜劇は「俺は男だ文句があるか」(TVタイトル「風
昭和63年4月の「うめだ花月」。演目に漫才の比重が高くなり、諸芸が減りつつありますね。●上席正月興行以来久々に阪神・巨人がうめだ出番。NGKに20日出番がほとんどになってましたからね。三人奴を大文字にするよりWヤングにした方が豪華に見えると思うのですが、当時のWヤングは再結成時に比べて扱いが悪かったです。吉本新喜劇は橋本収作・演出「予期した出来事」。マンションが舞台で、船場夫婦(船場太郎・中山美保)の部屋の向かいにヤクザ(泉ひろし・前田国男・中川明己)が事務所を作ったことの立ち退
今回のVHSテープの中は放送日は不明ですが1991年の『火曜ワイドスペシャルドキッ!丸ごと水着女だらけの水泳大会8』司会は田代まさしと森口博子いきなり『お色気!!スーパー騎馬戦』丸の中で歌っているのは『純愛抂時代』西野妙子『初恋通り』中嶋美智代『あてのない恋』星野由妃そして、田村英里子ちゃんの『リトル・ダーリン』『'91超ハイレグレースクィーンファッションショー』『男女混合ハンディキャップマッチレース』『恐怖の水上ダイビング』今回のご迷惑大賞?ribboの佐
吉本新喜劇の最古参メンバー、桑原和男(くわばら・かずお=本名・九原一三)さんが10日、老衰のため、神戸市内の病院で亡くなった。87歳。桑原さんは、九州は小倉の出身で漁師の息子だったそうです。その後、大阪へ出ていとし・こいしに弟子入り。その後は何度か漫才コンビを組みますが、どれも大成せずに終わります。芸名も「原こち郎」「源五郎」「中之島小学」と色々変えてました。源五郎の時は平参平と組んでいました。そして1961(昭和36)年に吉本新喜劇の前身「吉本ヴァラエティ」に入団。組替えは時々あったも